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国士舘高校三年進路編

『監督、進路について話があります。両親に来てもらうので、いつ都合が良いですか?』
『分かった、何曜日何時から学校の小会議室で』
その日まで頭を整理して、担任とも作戦会議をした。
独特な空気感の中、私の
『筑波大学に行きたいです』
から四者面談が始まった。

•将来教員になりたい
•しっかり勉強もしたい
以上2点の簡潔な理由で議論を始めた。
父から
『本人のやりたいようにやらせたい』
監督からは、
歴代の他大進学のOBたちがどうなったか、隣の芝は青い、もう一度考え直せ、などなど監督が1時間以上話し続けて第一回は終了。
OBについてはほぼ知らなかった。父は同世代なのもあって、うんうん楽しそうに聴いていた。笑

第二回は詳細に志望理由を伝えた。
•ただ教科書読んで黒板に写すだけの先生になりたくない。
•怪我の知識をある程度持った指導者になりたい。筑波大学にはそれを学ぶ研究室や授業がある。
•教員としては筑波大学卒の方が就活で有利である。
•選手としてダメになった時を考えた。
全て用意した方便ではなく本音だった。

『二足のわらじは大変だぞ。でもお前は特進クラスにいながら結果を出したもんな』
『とりあえず一回桂治と話せ。国士舘大の話も聞いて、筑波大に練習いって話を聞いてから決めろ』
筑波大学へ話を繋いでくれることになった。

(高1秋の伏線回収。その時担任の先生のアドバイスがなかったら、この展開は無かったのかなと。)

後日、鈴木先生と両親と四者面談が始まった。
改めてスカウトという形で話がスタート。
中学高校と、お願いをして入れてもらった立場の自分としては、嬉しい境遇の変化だった。
また、小さい頃見てたテレビのヒーローに、うちに来てくれと言われ、シンプルに嬉しかった。

数日後筑波大学へ。
練習では、ここでもまた小さい頃のテレビのヒーロー、小野先生と打ち込み。
『お前が筑波に来たいんだったら、俺は待ってるぞ』
嬉しい言葉にゾクゾクした。
練習の雰囲気も良くて、柔道楽しい!って感じた。
みんな楽しそうに乱取りして、バチバチの勝負の中でいい技があれば周りで見てる人たちが褒めてくれるし、煽ってくれる。
『ここでやりたい!』
心からそう思った。

(自分で車を持つようになり、運転して、ガソリンや高速代などの現実を知って思う。
わざわざ千葉県から平日に仕事の休みを取って、何度も話をしにきてくれた。
千葉→東京迎え→筑波→東京送り→千葉
その労力やお金、今となっては想像に難くない。
改めて両親には感謝の気持ちでいっぱいです。)

改めて監督に話に行った。
『やっぱり筑波大学に行きたいです』
『分かった』
それから監督は推薦書など何も言わずに書いてくれた。
頑張れと言って下さりました。
今でも挨拶に行くと、お前はああしろこうしろとお叱りを頂きます。笑

進路選び、人生の大きな選択の一つになりますが、私は「自分の心」が反応した道を選びました。
学歴がとかの体裁上の条件ばかりに囚われず、「学びたいこと」があって、「ここで柔道やりたい」と強く思い「小野先生の言葉に熱くなった」その3つが大きかった。
進路に迷える中高生や、その保護者の方の参考になれば幸いです。
以上、進路編でした〜。笑

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