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国士舘高校三年生春編

いよいよ最終学年が始まった。
目標は個人団体合わせて『五冠』
インターハイ予選まであっという間だった。
まずは支部大会。
ここでライバルの同級生も怪我から復活して参戦。
日体荏原に強豪選手2人もいてハイレベルな支部大会だったが、同級生と2人で決勝を戦った。
この時は私が勝ち、都大会でも決勝で戦おうと話した。

都大会では、準決勝で日体荏原の選手に負けた。
試合の時、日本一になった選手としてのプレッシャーを無駄に感じていた。
勝たなきゃいけないとか、強さを証明しなきゃいけない、とか。
会場の注目も変な力みに繋がった。
指導取られるだけで会場が沸いて、ちょっと攻められるだけでも周りが盛り上がった。
IH本戦にでることすら出来なかった。
未熟だった。

負けてからしばらく立ち直れなかった。
DVDを借りて、朝まで見て寝ずに朝練に出て、練習も身が入らず、1週間ほとんど寝れなかった。
あれこれ色んなこと考えて、夢にも負けた試合が出て来て、どうしようもなかった。
けど、この腐る期間も必要だった。
時間が解決した。
監督も特に触れずにいてくれた。

そしてすぐIH団体予選。
出番は無いと言われていたが、怪我人が出て先鋒でフル出場になった。
この日は個人戦と打って変わって絶好調でオール一本勝ち。
全中予選で負けた相手も数回投げて勝利。
『団体戦で活躍したい』
その想いを思い出して戦った。
プレッシャーからの解放と、チームの中で自分が一番弱いから伸び伸びやれる状況も後押しした。
チームは引き分け一回以外全勝という圧勝で都大会を抜けた。

東京都Jr.は、2年連続で国士舘大の先輩に負けた。
投げられはしなかったが、指導4で反則負け。(当時は4つ)
何もさせてもらえず完封されて負けた。
全日本Jr.に縁なく高校3年間終わった。
高校時代Jr.に対して、価値や思い入れを感じなかった。なんともおかしな価値観だ。

国体予選は、超ハードな組み合わせだった。
3回戦は2年のIH予選で負けた修徳の選手、準決勝はIH予選で負けた相手、いずれもゴールデンスコアもしくはフルタイムで戦ってヘトヘトだった。
決勝は同じ年に81kgの選手権優勝した相手。
指導で負けて、国体の代表もなれなかった。

個人としては高校終了。
上手くいかないのが自分らしいなと思いつつ、団体戦のために前向きに動き出した。
大きい相手と組む。
投げる力をつける。
団体戦で活躍することを目標にして取り組んできた6年間が、今の柔道スタイルに大きく響いている。
受けの強さ、技の威力など、純粋な強さ、地力の部分を求めた。器用に勝つことなど1ミリも考えてなかった。

夏へ

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