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国士舘高校三年生夏編

この夏も個人的な追い込みをした。
選手として午前練習、午後も投げ込みなどしっかりあるため、二年生の時ほど自主練の量は多くなかったが、朝走ったり空いてる時間にウエイトなど行った。
やっぱり選手としての追い込み練習はキツかった。合間をぬって筑波大のAC入試の論文を書いた。
そして本番は一瞬で訪れた。
まずは、金鷲旗。

同級生同階級のライバルが抜き役に抜擢。
確か全部で14人抜きし15試合してチームを牽引。
へとへとになりながらも、これが俺の仕事だとばかりに意地で戦っていた。すげぇかっこよかった。
15試合終えた後に衝撃だったのは、彼はこれが引退試合なのに、監督はお疲れ様ではなく
『もっとこうしろああしろ』
と叱っていたこと。
心の中で鬼だなって思った反面、これで満足するな、という檄にも聞こえた。
岩渕先生の愛を感じた場面だった。

メンバー全員が他校ではエース級と評される国士舘は危なげなく勝ち上がる。
準決勝で山場の日体荏原との対戦。
ここでも私は温存だった。
内心『まじかよ』と不安になった。出番がないことはないだろうが、いきなり決勝戦ってやれるもんなの?とか色々考えていた。
試合は1点ずつ取って取られてを繰り返す。インターハイ予選では4-1で圧勝していたが、抜き戦だったり三冠の二つ目ということで硬さもあったか、大将対決までもつれた。
普通ならブレる場面だが、チームのエースは少しもそんな様子はなくキッチリ勝ってきた。
そして決勝は春の選手権に続いて大成高校との対戦になった。

ここで田嶋は次鋒と交代して出場。
監督『前半組は疲れが目立ってる。1番元気なお前が全員抜いてこい』
大事な場面でたくされた仕事にテンションが一気に高まった。「自分ならやれる」そう思えたし、それだけの練習量をこなしてきた。
先鋒が引き分け、田嶋の出番。特に変調のない試合で引き分けに終わる。硬さが取れないまま試合が終わり、悔しさで溢れた。
続く中堅、副将と全員引き分けで、チームで1番強い男に勝敗を託すことになった。

危ない場面もいくつかあったが、それでも彼は取ってきた。臆すること無く攻め続け、返されそうになっても豪快な柔道を展開。鳥肌ものだった。
金鷲旗を勝てたのは彼のおかげ。
チームで1番強い男を大将に置く監督の采配がピッタリハマった形だった。
彼以外が大将だったら、同じ状況で大将戦になったら負けていたと思った。頼りになるエースだった。
そして応援に来てた選手以外の同級生の声援はとてもよく聞こえた。
応援組は少ない人数だったが、声を枯らすほどよ大きな声で応援してくれて、力になった。

最後IHを獲れば三冠達成。
金鷲旗終わって残りの期間は短かったが、誰も怪我することなく万全の状態で本番を迎えた。
ここでも私は補欠登録だった。
初戦の秋田工業は難なく突破。
3回戦は作陽高校との対戦。
国士舘との一戦にかける、と言わんばかりの徹底した試合展開や作戦に苦戦して2-0と辛勝だった。
一人一人がこちらの研究をしていたり、どうにか点を取るための技を用意していたりと怖い試合だった。

二日目は初日の固さから一転、先鋒の二年生が素晴らしい内容で勝つ。
その流れに乗ってチームは圧勝。
準々決勝、準決勝を4-0。5-0と勝利。
準々決勝終了時に
『金鷲旗では動きが悪かったし、準決勝から出るか?』
と監督に聞かれるも、
『大丈夫です』
と答え、金鷲旗に続き、決勝戦のみの出場となった。
ここで内心では「決勝戦しかでないってむしろかっこよくね?」とか変なこと考えていた。

決勝いきなり使われるのも2回目で、自分がしくじってもチームがケツを拭いてくれる、という安心感もあり、自分らしさ全開で試合できた。
背負投で技ありを取り勝利。
5-0と文句無しの内容で三冠達成。
選手は一安心って顔だったが、選手以外の三年生が泣いて喜んでくれていた。
そこで嬉しさや達成感が込み上げてきた。
仲間の力で勝てたんだと感じた、それだけは一生忘れないと思う。

夏まで死ぬほど練習したのに、たったの2試合しかしなかった。
それも全国大会の決勝戦のみ、という変な経歴だが、ある意味自信がついた。
いきなり重要な局面に出たとしても、そこに持ってくる集中力だったり、臆さずに力を出せるようになった。

夏休みに取り組んでいた、筑波大学のAC入試の論文については試合後に仕上げて提出するも、普通に一次審査で落ちた。

秋編へ続く

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