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国士舘高校二年生選手権

人生初の全国大会開幕。
半端ない緊張があった。だけど、普段稽古をつけてくれた大学生や、強すぎるチームメイトとの練習を思い出すと、『稽古してきた相手より強い奴はいない』と思えた。
自分の良さを存分に出して暴れてやろう、楽しくやろうと、緊張よりもワクワクが勝った。

試合前廊下である先輩と話した。(2017.18.21年の世界女王)
『インタビューです。本日優勝の田嶋選手、今の気持ちをどうぞ!』
『サイコーでーす!』
『その気持ちと勝った自分をイメージするのが大事だよ』
試合前に勇気をもらい、緊張も解れた。
そんな忘れられない出来事があった。

初戦は緊張からか、技は出せなかったが指導1で勝ち。
3回戦は、開始早々袖釣込腰で一本勝ち、ここで波に乗る。
4回戦は、国士舘返しで一本勝ち。
準決勝では、翌日の団体戦での対戦が見込まれる大成高校のエースとの対戦。
得意の背負投で技有を取ってタイムアップで優勢勝ち。

迎えた決勝戦は若潮杯で一度対戦し、寝技で勝利した相手。
緊張は特に無かった。調子も良くてワクワクでいっぱい。ノリノリに攻めまくった。
勢いそのままに技有、一本と投げて日本一を決めた。
『お前あんま疲れとらんやろ。明日が本番だぞ』
過去1監督はご満悦だった。笑

気持ちはすぐ団体戦に切り替わっていた。個人より団体での活躍が目標だったから。
3回戦で先鋒を任される。
監督が初戦の試合内容に激怒してたのもあり、次鋒の選手と2人で終わらせ流れを良くしようと話した。
運良く1人で5人抜きできた。
試合中キツすぎて早く終わってくれと思っていた。
3人目、4人目の時、ポイントを取った時に
「うわ、取っちまった、終われないやんけ」
と絶望した。
5人目の時は、開始すぐの組み際でだめだったら諦めようと思ってかけた技で一本勝ちした。

5人抜きの後決勝まで出番はなかった。
監督には
「お前を次で使いたかったけどダメだな、しっかり休んで決勝に備えとけ」
と言われた。
チームに勢いをつけることが出来たのか、準々決勝の神戸国際大付属高を中堅までで終わらせ、準決勝の大牟田高を前2人で勝利を決めた。
チーム全員が他校ならエース級と言われるだけあって、全国大会とは思ぬほどの勝ち上がりだった。

決勝戦は大成高。
先鋒起用となったが、引き分け。
続く次鋒も引き分けたが、中堅が2人抜いて最後引き分け。
大会通して、副将大将が一度も出番無く優勝が決まった。
涙の感動勝利ではなかったが、三冠へ1つ近づいた。
インタビューではまともなことしゃべれなかった。笑

団体戦が終わり、ようやく両親と会った。
母に個人戦の金メダルをかけると、梅干しみたいな顔して泣いて喜んでくれた。
いつも応援に来てくれる祖父母にもメダルをかけることが出来た。
周りの人の反応を見て優勝の実感が湧いた。
国士舘に入ってから、結果を出すのに5年もかかった。

大会前の練習で、受けが上手くよく呼ばれる選手がいた。
彼は休む間も無く、投げられ続けた。
投げられバウンドした勢いを使ってそのまま立ち上がる特技まであった。
そんな彼は受けすぎた結果、足の骨を疲労骨折。
チームを陰で支えてくれる仲間がいてこその優勝だった。

そんな彼は打ち込みパートナーだった。
インタビューで背負い投げについて聞かれた時、テンパりすぎて
『怪我してる子がいるんですけど、そいつをたくさん投げたおかげだと思います』
感謝の気持ちを伝えたかったのに、ただの陰険なやつになってしまった。
怪我を隠して受けてくれたと言いたかったが、語彙力が足りなかった。

その試合とインタビューのテレビ放送を見た近所のお母さんに
『怪我してる子は投げちゃダメだよ』と正論でたたみかけられた。
怪我を隠してというのは、痛みずっと我慢して、病院に行ったのは試合直前だったからだ。
監督から
『こいつは痛みを我慢して受け続けた。結果で恩返ししろ』
と言われて気付いたため、そのような表現になった。
決して無理して選手が投げたり、監督が我慢させたわけではない。

試合後、学校へ帰ると担任が嬉しそうに褒めてくれた。そして
『これ筑波大学の推薦入試の要項。あんたこれで行けるんじゃない?』
希望していた筑波大への道が開けたと同時に、他大学への進路について監督と話し合う時が来た。
と、ここで春休み中のますらお旗優勝で高2編閉幕。

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