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国士舘高校一年生後編

秋になる頃、東京都では学年別の3人制団体戦がある。
メンバーに選ばれていたが、夏休み末の怪我で試合場係になってしまった。
両親は来なかったが、おじいちゃんが見に来てくれた。
試合後、焼肉に連れて行ってくれた。
『試合に出ていなくても、元気な顔を見れて良かったよ』
つらかった。悔しかった。
良くなってくるといつも怪我をした。
けどそれは割と慣れていた。
自分らしいなって思いながら、できることは何か考えて行動した。腐ってる暇は無かった。
復帰する頃、裏三冠と言われる招待試合シーズンになった。
静岡の黒潮旗。
國學院大でやる松尾杯。
国際武道大でやる若潮杯。

私はそのどの試合のメンバーにも選ばれなかった。
怪我のせいにはしたくないが、アピールする場面も無かったし当たり前だ。
目標を年明けすぐの高校選手権予選に切り替えた。
支部大会の一回戦の相手は同級生って分かっていたからこそ、どうにかして勝つために策を練った。

この時期から体幹トレーニングを取り入れた。
本の説明通りに初級編から取り組んだ。
また、サンドバックを使ったトレーニングも取り入れた。
抱いて投げる、帯をつけて背負投で投げる等行った。
トレーニングのレパートリーが増えたこと、自重で負荷が軽いことでメリハリができた。

第8支部だったり、第2支部の新人戦があったが、どちらも勝てなかった。
2支部の新人戦では、高校選手権予選の一回戦でやる予定の同級生に負けた。
試合内容も悪く、応援にきた父が試合見て激怒して帰った。
年明けの支部大会で勝つために、一回限りで良いから投げれる技を考えた。

年末の合宿なども乗り越え、練習試合ではぼちぼちな内容だった。
年末帰省した際、恒例の家族焼肉でこれでもかと食べた。
父からは階級あげてみたら?と
年明けの柔道ノートに相談込みで書いた所、監督から一喝
『あげんでええ。まずはそのぷよぷよの体を卒業してからだ』
この時じゃああげてみろ、と言われたら100kg級の自分がいたかも知れない、と考えてみると中々面白い。監督の意見を素直に聞いていて良かったと思う。

国士舘高校では、二年から理系や特進クラスなどに分かれる。
スポーツクラスは三年間変わらないが、担任から
『将来教員を目指しているならきちんと勉強した方がいい。田嶋が希望するなら特進クラスに行ける様にしておく』
その後の進路や人生に大きな変化を与えた出来事だった。これが無ければ大学選びも変わっていた。担任に感謝だ。

年が明けてすぐに高校選手権の支部予選。
初戦は全中90kg級で3位だった同級生との戦い。
準備していた技がうまくハマり、その後逃げ切って勝利。
中学時代から一度も勝つことができなかった彼に勝てた喜びは大きく、コツコツと練習以外で費やした時間が報われた気がした。

準決勝、90kg級全中2位だった日体荏原の同級生選手。
得意の背負い投げで一本勝ち。
(当時は片手背負いを足持ちしながらやっていた)
(丸山スペシャルにかなり近かった)
全国大会で活躍していた相手に勝ち、対等に戦えたことが何より嬉しかった。
補欠の椅子から見ていた中学とは変われたと感じた一戦だった。

決勝は一つ上の先輩。
審判が味方したこともあり、指導2で勝利した。
たぶん、国士舘に入ってちゃんとした初めての優勝だった。(支部大会だが)
監督に大きなアピールをして、評価をかなり変えた。
都大会でも戦えると自信に繋がった。
全国大会への道が見えた瞬間だった。

団体メンバー候補となり元立ち稽古など立たせてもらえるようになった。
ケガ人が出て、調子次第で都大会当日に選手変更をするため、一瞬6人目になり、練習もよりハードになった。
結果怪我人がそのまま出て試合することはなかったが
『日本一を目指す団体メンバー』が憧れから、リアルを感じた出来事だった。

団体翌週に都大会個人戦。
私は支部一位通過で第一シードに配置。
初戦は安田学園で一番強い選手。
(支部大会を怪我で途中棄権し、シードを得られなかったと思われる)
気合が空回りしガチガチになって初戦敗退。
ここで勝てば団体メンバー入りと言われていた、そのチャンスを逃した。

高校選手権本番は6人。
私は『スーパーサブ』と呼ばれ7人目として選手同様の練習を行った。
その期間も夜トレは欠かさなかったが、怪我で上肢は出来なかった。
スクワットとラントレを日毎に週6回した。
オーバーワークだろうと関係無かった。

出番は無く本番を迎え、国士舘高校は準決勝で敗れる。
自分が出ていたら勝てたのかとか、役に立てたなんて少しも思えなかった。
明らかな実力不足を見ていて感じた大会だった。
年度末に大阪の方で開催する、全国大会規模のますらお旗という団体戦のメンバーには選ばれた。

ますらお旗は主力以外でメンバーを組む。
全部出場したが、大事な場面で点を取ることはできなかった。
しかし、全国レベルの相手と戦ったこと、勝たなくてはいけないという緊張感の中で試合できたことが大きな経験になった。

一年生後編完。


先日連絡があり、高校一年生時の担任が亡くなったそうです。
二年生編でもパワーリフティング部のくだりで出てきますが、進路やトレーニングにおいても、私の人生に大きな影響を与えてくれた先生でした。
今の自分があるのは、先生がいたから。
いつか挨拶に行きたいと思っていたのに、いつの間にか退職されていたそうで。
これからも頑張るので見守っていて下さい。
ご冥福をお祈りします。

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