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祈り

主よ、私を平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を
争いがあるところに赦しを
分裂があるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りがあるところに真理を
絶望があるところに希望を
闇あるところに光を
悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ
慰められるよりも慰める者として下さい。
理解されるよりも理解する者に
愛されるよりも愛する者に。
それは私たちが
自ら与えることによって与えられ

許すことによって赦され
自分の体を捧げて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。

          聖フランチェスコ 平和の祈り


風が強く吹いている。


起こしても起こしても
強風でベランダの植木鉢が倒れてしまい
もうこれで3回目だ・・・。


朝から天気が崩れはじめ
今日は一日雨降りかと思っていたら
昼になると嘘の様に空は晴れ上がり
夕方が近づくにつれ
一転、またどんよりとした分厚い雲が空を覆い始めた。


目まぐるしく移り変わって行く今日の天気は
この2ヶ月ほど注視しているアメリカ大統領選挙の様相にも重なる。


今日、1月7日(アメリカ時間1月6日)
アメリカでは、トランプ大統領の大号令の下
ワシントンDCにトランプ支持の民衆が大挙して結集した。


連邦議会では上下両院合同会議が行われており
マイク・ペンス副大統領が、不正の行われた激戦州の選挙人を拒絶するのか
それとも、共和党の上院議員テッド・クルーズ氏によって
不正選挙の決定的な証拠が白日の元に晒されることとなるのか・・・
どちらにしても、この欺瞞に満ちた不正選挙の結果が覆され
トランプ大統領の再選を決める大きな変革が起こってくれるものと
自分も期待を膨らませていた。


しかしその結果には
ただただ、嘆息する意外になかった・・・。


CNN、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト・・・
左派リベラルがその内部で蠢動している大手メディアは
トランプ大統領支持者が連邦議会に暴力的な手段で侵入し
武器を持って審議を妨害しようとしたのだと
実しやかに報じている。

それが本当であるのかどうかは、分からない。

ネット上には様々な情報が錯綜しており
議会に不法侵入したのは、トランプ大統領の支持者ではなく
それを装ったANTIFAの一味であった、とも言われている。

その証拠をここで示すことなどできないが
ANTIFAの背後に潜んでいる「暗黒の存在」を考えれば
仮に、彼らがトランプ大統領やその支持者を貶めようと
巧妙に自作自演を謀ったのだとしても
「然もありなん」と感じてしまうのは確かだ。

どちらにしても・・・
アメリカの現地から遠く離れた日本にいる自分に
その真偽を確かめる術はない。

今ここで一つだけ確かと言えるのは
非常に残念でならないが・・・
その混乱と喧騒の中で
元空軍の女性1人が、警官の銃撃によって命を落としてしまったという事・・・。



窓外では、びゅうびゅうと大きな音をたてながら
風が暴れ回っている。


テレビをつければ
重要な事を一切報じないニュース番組と
全く能天気な娯楽番組ばかり・・・。


この世界が、ただ音も無く
ゆっくりと暗黒へ引き摺り込まれて行くような
そんな空恐ろしさを感じる・・・。


1月7日(アメリカ時間の1月6日)
今日という日に抱いていた期待や予測が脆くも打ち砕かれ
一人、部屋の天井を仰ぎ見ながら思う。

今、自分自身にできることがあるとしたら
それは一体、何だろうか。


と・・・そんな事を考えていると
「ゴトン!」と大きな音が部屋に響いた。

ベランダの植木鉢が
また風で倒れたらしい・・・。


けれどももう
そのまま放っておこう。

風は、いずれ止む。


どれだけ強い風が吹こうとも
巨大な太陽を吹き飛ばすことなどできない。

どれだけ暗黒の雲が空を覆ったとしても
太陽の眩い光を消してしまうことなど
できるはずもない。


太陽は常に輝き続け
また必ず、光の差す時が来る。


今回のアメリカ大統領選挙によって明るみになった暗黒は
あまりに巨大で、その根は深すぎる・・・。

けれども、必ず解決の道はあるはずだと
そう信じたい。


今、最も問題だと思う事は
「本当の事」がメディアによって隠され続けている
ということだ。

そんな状況で、自分にできることがあるとしたら
自分自身が既に知り得た情報や
YouTubeなどのSNSで重要な情報を提供している人たちの事を
少しでも周囲に流布、拡散する事くらいだろう。

そう思うと、ふと
アッシジの聖フランチェスコの祈りの言葉が思い浮かんだ。


主よ、私を平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を
争いがあるところに赦しを
分裂があるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りがあるところに真理を
絶望があるところに希望を
闇あるところに光を
悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ
慰められるよりも慰める者として下さい。
理解されるよりも理解する者に
愛されるよりも愛する者に。
それは私たちが
自ら与えることによって与えられ

許すことによって赦され
自分の体を捧げて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。

          聖フランチェスコ 平和の祈り


スポンサーの声を代弁するだけの大手メディアが
ただただ「情報操作」の為に使われている今

「誤りがあるところに真理を」

という言葉は、これから先
特に必要とされることだと思う。

事実、本来は情報提供の機会を創出するだけの
「プラットフォーマー」であるはずの主要なSNSが
独自の検閲を強化し、まるで「パブリッシャー」の様に振る舞っている。

その中で「正しい情報」を取捨選択することは
ますます難しくなっていくに違いない・・・。

もちろん、自分がこの“note”の場で何かを発信したところで
それで何が変わるという訳でない事も分かっている。

ただ、このどうしようもない程の深い閉塞感の中で
自分も「何かせずにはいられなかった」というのが
正直な気持ちだ・・・。


もはやそれは、「祈り」に近い・・・。

そんな祈りにも似た思いで
今、自分自身にできる事を
一つひとつ、ここから発信していけたらと思う。

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