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【小説】ある画家の夢

画家を志す青年が問題に直面する。
彼は糸口を見出すが、予期せぬ事態に陥っていく。
その背後で一人の事件記者が動き出す。



夢の役割や内容、夢と脳の関連、夢が引き起こされるメカニズム。これらは神経科学や心理学、その他いくつかのアプローチで研究が進んでいるが、全容は解明されていない。また、夢には聴く夢もあるそうだが、九割以上が視覚の夢である。

私は近頃まったく夢を見ないが、良い傾向だと思っている。というのは、誰もが一度は経験する「落ちる夢」の問題。

建物から落下する時もあれば、部屋の電気の紐から落下、言葉に表せない場所から落下。これらに共通するのはどこまでも落下する事だ。何が問題か?それは死なないことだ。だから怖いのだ。死んだ方がマシという恐怖心が継続するのが大問題なのだ。

そうではない場合もある。時に、夢は自分の枠を超えた幸福感をもたらしてくれる。だから人は、あの幸福感に再会したいと願うのだ。

ところが、ある男にとってはそれが逆転した。容姿は端正な顔立ちだが、特に異性には奥手で、平凡な画家であるシマダだ。


シマダの苦悩

彼は画家を志して三年が経つが、世間の評価で芽が出たことはない。無理強いされて一度だけグループ展で出品したことはあるが、それも古い話で、本人すら忘れている。

絵を描き始めた理由は知らない。ただ、想いを寄せる女性が結婚してしまった直後から芸術に傾倒し始めたのは確かだ。今はインターネットで作品の展示販売をしているが、売れ行きはパッとしていない。収入面は重要だと考えてはいるが、現状の彼にとっては二の次である。

いずれ個展を開きたいとは思う反面、理想に対する毅然とした姿勢が裏目に出てしまい、作品として仕上げるのに時間がかかるタイプだ。

芸術家なら誰でもそうだろうが、彼も独自性を求めて彷徨っている。それゆえ、彼は伝統的技法や基礎学習には力を注ぐが、他人の作品にはさほど関心がない。きっと、これが世界的名画だと言われても彼は知らないだろう。

今、彼は問題を抱えている。両手で足りる自分の過去作を見返していた時、

「これを同じ画家が描いたと思う人がいるだろうか?」
「作者の姿が見えなくないか?」

そう気づいて、これまでは写生をしたり、技法をミックスさせたりしてきたが、具体的に何なのか?自分は絵で何を表現したいのだろう?という根本的な問題に直面していた。

彼は努力家なだけに、これまで費やした時間に対する喪失感や、強い自己嫌悪にかられた。ところがベッドから目覚めると、妙に心が楽天的になり、そんなことは数をこなせば見えてくるものだろうと考えた。しかし筆を持つと、何をモチーフにしたとしても、自分は何を描こうとしてるんだろう?と、途端に自問自答に苛まれる始末だった。

そんな日々を繰り返していると、やる気と自尊心が一石二鳥でごりごり削られていく。これはまずいと自制心を発揮して、意識的に環境変化を求めて行動するようになった。更に、日々を日記に綴ることを決意した。

以来、彼は積極的に友人を食事に誘ったり、映画を観たり、なるべく歩くことを心掛けたりもした。普段はアトリエにこもってることが多いが、彼の表面的な性格は、陽気で社交性を感じる人間である。

しかし一人の時は、その風景を見て、その人間を見て、どうしても芸術がちらつき思い悩んでしまう。彼はまだ若いし、たっぷり時間はあるのだが、気持ちが焦っていた。

シマダは新鮮さと初体験を求めて、人生初の一泊一人旅に出発した。群馬県の名もない旅館だが、事前に吟味した甲斐があり、築年数が相まって日本的なわびさびを感じる良い旅館だ。

彼は古びたベランダの手摺に腕を乗せて異世界の情緒を満喫していた。

鳥のさえずり、渓流のせせらぎ、竹と数種の落葉樹。それと後ろで丸まっている猫を加えれば絶妙な調和だ。それでいて、足元の高みから渓流を見下ろせば背筋が寒くなるという、その対比が何とも形容し難く、芸術的着想を得るに相応しく感じた。

暇を弄んでいると、仲居さんが名物のキャベツのお新香を振舞ってくれて、本場の味を堪能しながら、聞くに、先客の猫も宿の名物だと言う。

仲居さんが前足を少し持ち上げてやると直立二足歩行で横歩きし始め、その無表情っぷりが笑いを誘う。話を聞くと、前足を大怪我した時に猫が自ら見出したそうだ。生で芸者猫を拝めるとは思いもよらず、絵のモチーフとして映像を土産にした。

この宿の心地よさは、一人で居ても考えずに済むという意味では良いのだが、何か閃きのようなものを期待して来たわけで、何だか本末転倒だと思った。

そうして彼は眠りに落ちた。
この眠りがシマダの運命のスタートラインとなる。


悪夢

突然のシマダの叫びに猫がびくついた。彼は大きく息を吸って、静かに吐くと、全身に広がっていく安らぎを感じた。どうやら落ちる夢を見たようだ。まだくっきり映像が焼き付いてる。そして、そこのベランダから落ちたのも確かである。

一息つくと、昨日の日記をつけ忘れたことに気づいた。その失念が彼を閃かせた。日記の空白ページが手招きしている。「落ちる夢をモチーフにしたらどうだ?」思い付きの発想だが、沸々と喜びが込み上げてきた。彼はさっそく夢の内容を綴る。

日記というキャンバスに夢が乗り移ったと言える。帰りの道中は、まさに夢想をすると、彼は身震いさえした。アトリエに戻るまで心が軽くなり、足枷が外れ、かつてない高揚感に浸った。

彼は自分の発想の正しさに論理的な解釈を与えようと考えた。

「芸術家気取りをする前に、良くも悪くも刺激的な体験が必要だったのではないか?つまり体験から独自の発想を受け取り、後に表現手段としての芸術に向かうものなのではないか?」

そう、自分は出遅れたが、今は正しい軌道に乗ったはずだ。

一流の芸術家とはそういうものなのかも知れない、そうに違いない。精神病から耳を切り落としたゴッホ。悪夢から着想を得た自分。あの芸者猫だって、足の怪我から生まれた芸じゃないか。苦しみ、恐怖、痛み。共通項は人間が嫌うということだ。

彼はアトリエに戻ると悪夢のページを繰り返し読んで記憶を掘り起こした。そして共通項を混在させ、あるいは融合させ、短期間で作品を仕上げた。

死を懇願する表情描画、終わり無き奈落への恐怖。画題は「落ちる」に決定した。その絵の印象は、イギリスの画家フランシス・ベーコンの具象絵画と言われる作風に似て非なるものだ。

そうして彼は、規模のあるグループ展に複数の作品を出品した。すると想像以上の反響を呼び、専門誌にも評価され、地元新聞から取材のオファーまで飛んでくるようになった。友人からは嫉妬を感じるほどに称賛され、芸術家仲間も徐々に増加していった。

彼は画家として承認されたと感じることができたし、彼の瞳は日々キラキラ輝き、少なくとも有名人の一人になったと自覚した。

現実は厳しいものだ。どんなに優れた作品でもプロモーションに注力しなければ人気は衰えていくもの。その点で彼の奥手な性格が災いしたか、成功は一時的なものとなってしまった。

知らぬ間に心を蝕んでいく。焦り、絶望感、他人への忌避感。
もう一度、脚光を浴びたい。
再び、悪夢を見たい。

残念だが夢は自在に見れるものじゃない。あの時の自分の精神状態はどうだったか?この時点で彼は正気ではないだろう。彼は旅館での悪夢の到来を回想し始める。

「一人旅、宿の匂い、猫の芸、そしてあの渓流……だから落ちる夢を見たのだ。間違いない、キーワードは真新しさである」

彼は想像を巡らしてしまった。あの夢を超える恐ろしい夢を。


一週間後。あるマンションの小さなゴミ集積所。

収集作業員が近づくと、二羽のハトが羽ばたいていった。作業員は散乱したゴミを拾い、破れたゴミ袋に戻そうとすると、裂け目の中に異様なものが映る。縦に切断されたヒキガエルだ。

その三日後、同マンション付近の児童公園で、箱に入った数匹の子猫が鋭利な物で惨殺されていた。

半月後、ある国立公園にシマダはいた。彼の視線はどこか遠く、手の届かない場所を見つめているようだった。額には冷や汗が滲み、乾いた唇は微かに震えていた。

その二日後、付近の用水路で男子児童の絞殺遺体が発見された。


シマダは息が詰まり、激しく上体を起こす。鳥が首を振るように周囲を素早く見回すが、目の焦点が合ってない。腰で震える指先がベッドのシーツを握り締め、自分が安全であるということを確かめると、彼は大きく息を吸い込んだ。

「悪夢を見た」

彼は食料やエナジードリンクを大量に買い込み、作品が完成するまで一度も外出することはなかった。

これまで、一つの目標だった個展開催は、自信作の少なさもあったが、ギャラリーでの打ち合わせや宣伝が煩わしく今一歩踏み出せずにいた。ところが今回、彼は反省の意味を込め、ネットやプレスリリースを宣伝に積極活用し、目を血走らせながら事前予告に注力した。

彼は再び脚光を浴びる。

夏と言えばホラーだ。個展の開催期間はお盆休みを挟み、集客の最大化として戦略的に成功した。各作品の画題には苦しみや恐怖、痛みという言葉が目立ち始めた。

今回の展示作品で印象的な一枚は、子供のように見えなくもない何かが涙を滲ませている作品だ。彼の作風を端的に言えば、強調したい部分は歪み、そうでない部分や背景は写実的という特徴がある。

もしかしたら彼は、来場者から評価を受ける度に、自責の念が和らいでいたのかも知れない。


拡大

個展から半年後、ある川の支流で水門に阻まれた死体を釣り人が発見する。被害者は浮浪者とみられる男性で、背中を刃物のようなもので複数箇所刺されたことによる失血死だった。

更に三か月後、川岸管理者が河川敷に群生する葦の様子に違和感を持ち、結果的に男性の白骨遺体発見に結びついた。死因は不明。これは事件性や報道機関の価値基準により報道されなかった。

シマダにはもう一つの秘密がある。それは夢を絵画に昇華していることであり、誰かにそれを話したことはないし、作品の画題に夢という文字は一つも使われていない。

なぜなら夢というアイデアを模倣、あるいは影響を受けた人によって、自分の唯一性が損なわれるのを危惧するし、夢と絵画の関係性を晒せば、巡り巡って犯罪の露見に繋がるかも知れないと彼は神経質に考えていた。

現在のシマダは、知る人ぞ知る新進気鋭の画家といった位置付けだが、しかし、マニアの間では既に神様扱いだ。ところが、シマダの光と影の部分が、思わぬところで結び付けられていく。

凶悪犯罪や事件を扱うようなSNSユーザーは、シマダの不気味な絵画との親和性から、彼の作品を配信や二次創作などに多用した。そうして、関心がない人でもシマダの絵を目にする機会が次第に増えていき、絵画の売り上げを徐々に伸ばしていった。

シマダは複雑な心境だろう。あるいは真綿で絞められている気分だろうか。それとも、彼は何も知らないのだろうか。



コジマの追跡

コジマは、インサイト社が発行する情報週刊誌の記者で、主に殺人事件を扱っているため捜査一課と多少のコネを持つ。近いうちにフリーランスになろうと考えてから10年が経つ48歳ベテランだ。

以前、あるジャーナリストが警察に先駆けて犯人を特定した一件があった。それ以来、コジマの記者魂は触発され、特に未解決事件を取材した。彼は進展の可能性を直感したなら少々強引な手法も辞さないスタイルの男である。

現在、彼が関心を寄せているのは、事件性が確認されていない河川敷の白骨遺体だ。現場が地元であることも一つの理由だが、彼には引っかかる点があるのだ。

第一発見者の川岸管理者に発見状況の取材をしたところ、壁のように林立している葦が遠目から一部だけ欠損しているように見え、違和感を感じて近づいてみると、その部分の葦は何かが踏みつけた形跡があり、手前からすぐに遺体の着衣の一部が目に入ったという。

更に川岸管理者は、現場近辺の状況もいくつかの写真に収めていて、その中の一枚に、葦の折れ目にハイライトした写真があった。遺体発見時も今も葦は青々としている。その折れ目がどう見ても新しいのだ。コジマはまずその事が気になり、直感的に事件性を感じた。

白骨遺体の近辺に葦の新しい折れ目。言うまでもない手がかりだ。付近で大型の野生動物の目撃例はなく、現場周辺は子供が遊ぶような場所ではないことから、最低でも"二度訪れた"ことが疑われる。したがって、容疑者は地元かそう遠くない地域に住む人間が濃厚だとコジマは考えた。

コジマは現場の視察に出向いたが、特に新しい手がかりは見つからず徒労に終わった。悠々と羽ばたく一羽のトビを目撃した程度だ。

二週間後、コジマは地元新聞を手に取ると、数枚の絵画が紙面の半分も使っている記事に目が留まる。その中身は、ある画家の取材内容と、個展の案内が主旨だったが、現在会期中の展示を映した写真もあった。彼はそれに着目した。

写真は真正面からのショットで、壁に三枚の絵画が掛けられているのが分かる。コジマはその中央の一枚に釘付けになった。

例えるなら、地面から無数の棘が突き出し、うつ伏せの人体に似た何かを貫いてる光景だ。貫いた棘先付近から数枚の葉が広がっている。色遣いは独創的だが植物を模しているのは明らかだ。そして、背景の川。

作品全体ににコジマは感心したが、彼を釘付けにしたのは右上に描かれたものだ。その猛眼は目標を捉え、生きてるかのような躍動感をもって今にも串刺しの人体に食らいつこうとしているトビだ。コジマは既視感を感じた。

この画家に対してコジマは疑ってはいない。偶然にも構図が似ていて、トビを含めて現場の記憶がオーバーラップしただけだ。白骨遺体が描かれているわけではないのだから。

ただ、コジマは空想した。もしも、"自分が欲しい絵"を彼が描いていたとするなら、これは面白いことになるかも知れないと。

コジマは興味本位で彼の個展に足を運んだ。

薄暗い照明が映し出す壁は、所々ひび割れ、薄汚れた漆喰が施されている。
静寂を突き破る不協和音にコジマは肩をびくつかせ、観客の不安な目つきと重そうな足取りを意図せずに真似しながら、一つ一つ作品を確認していく。

作品はサイズごとに壁に分けられ、スポットライトは作品の陰影を強調して不気味さを引き出す。すると、ある一枚に彼は足を掴まれた。

構図は"あの絵"に似ているが、うつ伏せの人体の様子が決定的に違う。頭から胸元までは歪んだ人体に見えるが、そこから下半身にかけては骨だ。繊維のような肋骨は魚の骨で表現されているようにも見える。そして、トビ。

コジマは戦慄する。

彼はこの画家への取材を申し込んだ。少々身分を偽って。
画家は快諾してくれて、アトリエに招待してくれた。


追及

挨拶を済ませると、コジマは機材の準備をしながら部屋の様子を見回した。

「素敵なアトリエですねえ。部屋がそのまま展示会場のようだ」

「自分の足跡みたいなものです。地域の新興文化を取材してると仰いましたが、どうですか、何か新しいものはありましたか?」

「ははは、私が取材されてるみたいですが、今のところはないですね。しかし貴方の個展には驚きましたよ。素晴らしい演出でしたね」

「そう言ってもらえると冥利に尽きますよ」

「私はね、あの中で特に気に入ったのが二枚あるんですよ」

「と言いますと?」

「鳥が描かれた絵は二枚しかありませんよね?その二枚に心が奪われてしまってね。目を近づけてじっくり観賞しましたよ」

「それはとても嬉しいです。あの二枚は直近の作品なんですよ」

「ええ、そうでしょうね。日付が付いてましたから。ここからは取材ですが、普段はどのようにインスピレーションを得ているんです?」

「映画やミステリー小説が多いですかね」

「そうですか、それにしては凄いですねえ。私はね、貴方の作品の背景描画の精緻さに惹かれるんですよ。小さなゴミ屑の形状まで自然な姿と言いますかね。題材は陰鬱でグロテスクなんですが、伝わるものが現実的なんですよね。まあ、そこに皆さん惹かれるのでしょうけど」

「観察や想像力は鍛えていますね」

「私は素人ですがね、もっと貴方を評価したくなってくるんです。受け手としてはね、実際に見ているものと、その記憶が融合してるような印象を受けるんですよ。あの歪んだ感じなんてまさにそうです。素晴らしい」

「コジマさんは素人とは思えないですね。仰るように、自分のオリジナリティーを言葉にするなら『二重性』なんですよ」

「おや、私の感性も捨てたもんじゃないですね。では質問ですが、その二重性とは何と何でしょう?」

彼は一瞬口ごもった様子を見せ、視線を床に移してはすぐ戻したが、コジマは見逃してはいない。僅かな間を置いてシマダは言った。

「それは秘密ということで」

「解りました。では別の質問に移りますね。あの絵の鳥に関連してですが、貴方はトビという鳥を実際に見たことがありますか?」

「見たことはあるのかも知れませんが、それがトビだったかどうかは…..」

「それはそうでしょうね、一般的にはそういうものです。私もトビとタカの違いを詳しくは知らなくて調べたんですね。するとある事が分かったんです。貴方の絵に描かれている鳥はトビではない」

「そうですよ、あれはタカですから」

「そうなんです、あの絵はタカなんです。貴方はタカだと思ったのです」

シマダは一瞬怪訝な表情を浮かべた。それを確認するとコジマは続けた。

「……あの河川一帯でタカの生息は確認されていないんです。しかし、ちらほらとトビは居るんですね。単独行動しているトビが何度も確認されているんです。貴方はトビを知らない。だからタカだと思った。タカの画像を調べて描写した。違いますか?」

平静を装うシマダの様子がありありと伝わる。彼は小さな貧乏ゆすりをし始めると、僅かに震えた声で言った。

「タカを調べたのは仰る通りですよ。でも一体何の話をされてるんです?そもそも河川ってどこの川を指して言っているんですか?あの絵のことなら全て想像の産物に決まってるじゃないですか」

「これから話すことは断定ではないですが、率直に申します。貴方は何らかの手段をもって男性を殺害し、河川敷に遺棄した。更に、その死体が分解する様子を知りたかった。だから貴方は何度か現場に足を運ぶ必要があった。

「憶測もいいとこです。これは一体何の取材なんです?」

「一枚目は串刺しのような絵です。二枚目は魚の骨のような絵です。これは現場の時間と関連してませんか?」

「もう終わりにしましょう……すごく不快な気分ですよ」

「これは失礼。私はね、警察官ではないですし、貴方の身柄をどうこうするつもりはありません。貴方は才能豊かな画家だ。鬼才と言ってもいい。その才能が裏目に出ることもあるんです。貴方の絵画の精緻さがそれを証明するんです。現場の細かい状況が描写されている。空き缶のへこみ方までね」

「絵が犯罪の証拠にでもなるっていうんですか?」

「それは捜査官が決める事です。あの白骨遺体は事件にはなっていません。しかし現場は鑑識が記録しているはずです。貴方の絵画と照合すれば捜査が開始され、場合によっては本格化し、色々と判ることになるでしょう」

小さな生活音がいつもよりよく聴こえてくる。一本の線で繋がったように互いに視線を外そうとせず、破裂しそうな緊張が狭い室内を満たしていく。

肺に溜め込んだ決心の空気をゆっくりと吐き、険しかったシマダの眉間が緩みを見せると、コジマはポケットから煙草を取り出した。

「煙草はやりますか?」

「いいえ」

「そうですか。絵を汚しても悪いのでね、しまっておきます」

シマダは椅子から立ち上がり、きびきびとした口調で言った。

「禁煙じゃないですからどうぞ。お茶でも淹れますか?」

「それは良いですね、頂きます。ところで、あそこの包みは新作ですか?」

「ええ、そうです」

「拝見しても構いませんか?」

「どうぞ。恐らく私には必要のない絵です。よかったら差し上げますよ」

そう言うと彼は隣室にお茶を淹れに行った。

コジマは椅子から立ち上がり、アトリエの隅に置いてある包みを丁寧に開いた。その絵はどの作品とも違っていた。身の毛がよだつような作品とは対照的な一枚だった。

広がる草原と澄み渡る青空、その中心には一人の女性が微笑みながら立っている。絵の片隅にはシマダの手書きのメッセージが残されていた。

「これは私が本当に見たかった夢」

コジマはその言葉をずっと見つめていた。


翌日、シマダは自首した。彼の内面の葛藤と真の望み、彼が追い求めたのは恐怖や悪夢ではなく、平穏と幸福であったのではないか?コジマは、彼の狂気が生んだ一連の悲劇に胸を痛めると同時に、最後の絵が持つメッセージに深く心を打たれた。

シマダが芸術を志した理由。シマダが忘れようとしていたもの。それは手を伸ばしても届くことのない、彼女への喪失感だったのかも知れない。

コジマは記事に書き記す。
記事の最後には、次のようなメッセージを添えた。

私たちが追い求めるものが何であれ、心の奥底にある真の望みを見失ってはならない。シマダの最後の絵は、私たちにそのことを教えてくれている。


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