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(5) ややこしい事態に、 ややこしい家庭

 色違いのお揃いのウエアを身に纏った団体が、ハイキングを楽しんでいた。遥が、アルゼンチンにいる父に研修の模様を伝えた際に、「そんなに お世話になっているのなら、同期の方々に何かお礼をしなくちゃね」と切り出して来たので娘は見逃さず、タダ乗りするのを瞬時に決めた。10人位でハイキングに行くから、山ジャンとワークパンツを進呈しようということになり、Aconcagua社のHPを同期の皆さんに見てもらい、「冬山高山用」は着ていたら暑くなるので、「低山・夏山・トレッキングハイキング用」を指定して、好きな色を各自決めてもらい、それぞれのサイズでグループ買いして購入して、父から費用を貰った。研修期間中の週末、宮崎から電車でえびの市へ向かい、えびの高原、標高1700mの韓国岳の麓周辺を散策していた。標高の低い、日当たりの良い場所ではミヤマキリシマの開花が始まっていた。 遙だけならこの辺りの主峰となる韓国岳にサクッと登ってくる所なのだが、登山の経験が無いというメンバーなので、高原散策程度に留めた。姉の茜は初めて見る南九州の植生が物珍しいのだろう。カメラで接写しまくっている。来てよかったなと大きく息を吸い込んで、潤いのある美味しい空気を肺に取り込む。体が喜んでいるような気がする、この毎度おなじみの儀式を、春の息吹がそこかしこで見られる霧島連山の麓で、遥は何度も繰り返す事になる。沢に掛けられた橋を渡りながら、沢の水量や両岸の植物の植生を見て取ると、遥は決断した。最年少なのに山ではリーダー気取りの顔をして、言った。「約1時間半歩きましたね。あの先、あの辺りで休憩しましょうか。15分位」といって同期達の賛同を取り付けると、茜の袖を引っ張って沢へ降りてゆく。「私のおやつ〜」と未練がましい姉の背中を押すように沢に降りると、ザックを下ろして、中から小さなスコップと袋を取り出し、スコップと胡桃の種を、姉に渡す。「えーっ、こんなに・・」「いいから、10分でやりなさい!」茜も文句を言いながらも、川の地形を見て、沢の水が増水して浸水しないであろう箇所を選んで、「オニグルミ」の種を埋めてゆく。同じ研究テーマだけに、余計な説明をする必要が無い。胡桃の実は硬い殻に覆われている。実際に、樹木で成る際は黄緑色の薄い果肉で覆われている。これが秋になって地面に落ちて、川沿いにドンブラコと流れてゆく。薄い果肉が腐食すると、胡桃の硬い殻が現れる。殻を割って中にある変わった形状の胡桃の実自体は栄養価も非常に高く、人だけでなく動物も好む。木の実を食べる動物にとっても、胡桃はご馳走だ。殻を割って食べて捨てた部位に種がある。そうして川原から両岸の森へと胡桃の種が撒き散らされて、広がってゆく。嘗て日本の河川では護岸に胡桃の木が茂っていた。上流から種が流れてくるからなのだが、護岸工事が進んでしまい、種は芽吹く場所を見つける事が出来なくなっていた。それでいつの間にか胡桃の木を河岸で見ることも無くなっていた。上流の胡桃の樹は年代を重ねるごとに川の水の流れと共に下流域へ移動してゆくので、上流域の胡桃の木はどうしても減少してしまう。遥は上流域から無くなりがちな胡桃の木を再生させるべく、登山の度に沢に植えていた。                          2035年頃から、インフラ再整備が日本全国で始まり、コンクリートで闇雲に固める河川の護岸工事から、増水、治水を考慮した浸水地や親水公園を設けて、自然な河岸に極力戻す試みが始まっている。胡桃を始めとする、川沿いで増えてゆく樹木にようやく子孫を増やすチャンスが訪れたのだ。「日本って、本当にいい国になったよ・・」遥が穴ぼこを掘りながら、沢の流れをふと見ると、小魚の魚影が見えた。孵化してまだ間もないのだろう。「ヤマメかな?アユはもっと下流だよね・・」                 橋の上から、5,6歳以上年上の同期達が、姉妹2人の行動を見守りながら、あの姉妹が一緒で良かったと話し合っていた。マウンテンパーカーとワークパンツを各自に手渡され、「登山靴は要りませんからね。舗装されていない道ですが、ここ数日は雨も降っていないので、研究所から支給された農作業で使っている靴で十分です」と言って、自分は西表島で使うために登山靴を持参しているのに、みんなと同じ作業靴で来た、遥ちゃん。などと、姉妹のエピソードの数々が橋の上で繰り広げられていた。         ーーーー                                   一行が九州南部の高原を散策している頃、北九州市で対立する暴力団同士の抗争が原因と見られる、銃の発砲事件が起こった。幸いにして市民は巻き込まれず、第三者の被害は生じなかったが、相応の組で相当数の弾丸が飛び交う、日本らしからぬ事件となり、週明けの日本列島の騒ぎとなる。奇襲を受けた会議中の幹部達8人と警備に当たっていた組員13名全員が死亡した。暴力団抗争事件としても前代未聞の殺害事件だ。奇襲した側の鉄砲玉となった者達は逃げも隠れもせずに、駆けつけた警察にその場で逮捕された。州警察は襲撃した暴力団に事実確認を求めようと、各拠点の一斉捜索に踏み込んだのだが、組員達が誰も彼もが籠城して怯えており、警察の到着を歓迎した。訳も分からず話を聞くと、幹部達12名が、それぞれ異なる場所でライフルと思われる銃火器で狙撃され、死亡していた。州警察は、報復攻撃と判断し、市民の不要不急の外出を避けるように通達を出すと、小中高生の一斉下校の警備に当たった。周辺一帯を封鎖し、市中の監視カメラの動画AI判定を急いだ。しかし、何も誰も見つからない。この狙撃犯達は逃亡中なのだが、逮捕される事はなかった。既に潜水艇で北朝鮮に向かっていた。翌日早朝、潜水艇に武器を積んだまま、スーツ姿のサラリーマンの様相で韓国・浦項市や北朝鮮・新浦市の地下鉄駅やバスで空港にそれぞれ散っていった。この暴力団の抗争事件は海外では報じられることはなかった。この後で、イタリアでもマフィア同士の抗争事件が発生するのだが、その一件も日本では報じられる事もなかった。日本とイタリアにおける反社会組織は、形態を変えながら、消滅するまでには至らないだろう。今回のような「何らかの外的要因」が働いて、弱体化する傾向が続くかもしれない。もし、彼らが勢力を拡大し、常軌を逸した犯罪行為に手を染めるようになると、北九州のように排除部隊が暗躍するかもしれない。組織のトップに就いたものには、「抗争に勝ったとしても、命の保証は無い」という認識を、それぞれが持つように日伊両国では何故か浸透してゆく。どちらの国の警察でも出来無い事を仕出かす勢力が存在する。日本の憲法下から外れた理由の一つが、専門部隊、特殊部隊の育成と編成の為でもあった。AIやロボットだけでは請け負えない事が、世界にはまだ数多くあるのだ。          
ーーー                                  昨日の北九州での暴力団の抗争を報じる月曜朝のニュースを見終えて、杜 里子外相は席を立った。何も事情を知らされていない、阪本首相と、柳井前首相・現与党幹事長のそれぞれの議員宿舎の部屋へ報告に向かう。朝の閣僚会議の前に伝えたい事があると、2人のアポを取っていた。国外へ向かった高速潜水艇の存在など、日本の警察が知る由も無い。捜査した所で無駄なのだが、止めておきなさいとも言えない。また、狙撃した場所も恐らく特定するには到らないだろう。確かに度々あることでは無い。それ故に、捜査が迷宮入りするまで費やす税金の浪費は、仕方がないものと割り切って貰うしかなかった。たまたま作戦の実施時期が同じになるが、シチリア島のマフィア抗争では、狙撃ではなく、短刀を用いると聞いている。それ故に、日本刀の製造を初めて、包丁とナイフの会社を設立したのだろうと里子は合点していた。日本刀の素材と研磨方法で、包丁やナイフが作られたら、切れるのは当たり前だと不謹慎にも笑ってしまう。武器を製造しながら、民間企業まで設立する。どうして彼はこんなに段取り良く進められるのだろうと、疑問に思う。こんな逸話が、それこそゴマンとある。大統領職から離れて、暫くは大人しくしていたが、やはりじっとしていられなくて、悟られぬようにあちこちに通いだした。どれも本人が関与していると報じられる事も無い徹底ぶりだ。プルシアンブルー社の顧問を辞めてからは、中南米企業の経済活動を後押ししているのではないかと、憶測記事を流布する記者も出ているほどだ。それに日本企業とは完全に一線を画す狡猾さを見せているので、本人の関与を半信半疑にする傾向に一役買っている。今までが、全てプルシアンブルー社の利益に関わっていたからだ。家では隠居人だと口癖のように言い、好々爺を演じて、素知らぬ顔をしている。家の者にも悟られぬよう、いつもの様に巧妙に立ち回っている。スパイや黒幕気取りで居るのかしらね、と里子は破顔して、思い出し笑いしてしまった。目的地に到着すると、気を取り直してから、まずは首相の部屋の呼び鈴を鳴らした。            ーーー                                  阪本首相と柳井幹事長は、それぞれ里子外相から報告を受けて、里子が部屋を退出してから2人共同じように泣いた。両名共、暴力団抗争事件よりも、もう一つの報告に衝撃を受けた。行方不明だった彼女が発見されたものの、漂着した島の自然環境が好ましいものではなく、皮膚の移植や再生も含めて暫く入院安静をする必要があるという。人前に出れる容姿ではないので、マスコミに悟られたくないという本人の意向もあって、発見の発表はしない、阪本、柳井両名だけで留めて欲しいという。それでも本人が見つかった事にほっとし、一縷の望みが繋がった事に感謝した。         ーーー                                  子供達、そしてベネズエラ組、プルシアンブルー社にはまだ伏せて置く必要があると言う前置きで、蛍と翔子の元にもモリから連絡が入った。ちびっ子達は里子たちと秘書官さんに託して、2人で富山へ向かって欲しいと言う。何があったのかは本人から話したいと言っていると伝えられる。理由はともかくとして、生きていた。暫しの放心状態から、気がついたように蛍は泣きじゃくり初め、翔子が慌てて蛍を抱きしめると、その震える背をさすっていた。ー                                  宮崎では、昨夜から北九州の事件を大きく取り上げていた。暴力団の関連団体が宮崎の繁華街にあって、逃亡先、潜伏先となっている可能性があり、警察と機動隊が地域の安全確保体制を敷いている、通勤通学には影響の出ないように万全の体制を取ると言っているが、ハイそうですか、と受け取る人も居ないだろう。逃亡している相手は銃を持っているのだから。週明けから嫌な気分になっていた。                      「大臣の孫、姪っ子として、警察の保護対象にはなった事はあるの?」  食堂で朝ご飯を食べながらニュースを見ていて、同期の一人が聞いてくる。「私達は特に対象になった事はありませんね・・」           みんなでハイキングに行って、仲が良くなリ、意思疎通が易くなったのはいいのだが、そうなればそうなったで、時折不躾な質問や言われ方をする時が過去にもあった。相手に他意はないのだが、政治家、サッカー選手の親族ともなれば、興味を抱くのも仕方がない。このメンバーならば、大丈夫だろうが・・                              「でもさ、全員が別々の場所で殺害されるって、これ、絶対にプロの仕事だよね、例えば、警察の特殊チームとかさ・・」どこにでも要るのだ。こうして闇の組織や団体を想像したがる人が・・              「日本にプロの殺害者って居るのかな?それこそ漫画なら傭兵経験者とかになるんだろうけど、そもそも傭兵やってました、っていう日本人なんて居るのかな?」茜は遥を見ると、顎をしゃくった。任せた!という合図だ。 「ビルマでの「たった一人のクーデター」の話を、祖父から数年前に聞いた事があるんです。どうして死傷者が出ずに済んだのか、疑問に思っていたものですから。祖父は、それこそ一番時間を掛けて、考えた箇所だったって言ってました。自衛隊は国内でも人を殺めた事が無い。海外、しかも嘗て日本軍が侵略したビルマだからこそ、細心の注意を払ったと。ビルマの軍部を制圧して、事が終わった後で、護衛目的でやってきた自衛隊の特殊部隊と暫く一緒に行動していたそうです。そこで、「本当は何かしらの実績があるんでしょ?」と仲良くなった特殊部隊のリーダーの方に聞いたそうです。確かに訓練はしていますが、そもそも作戦自体が無いので有りません!と急に上司と部下の関係に変わり、言葉も敬語に変わって真顔で即答され、愚問だったと祖父は謝ったそうです。その後、祖母から女性首相が続いていますし、少なくとも政府の関与はないと思っています・・」茜もいつもよりも口調を変えて発言した。しかし、自分の発言に引っ掛かった。「ベネズエラは今は自衛隊ではない」と。まさか、日本国内で他国の軍隊が活動するとは到底、考えられないが・・。軍隊になっても、フォークランド紛争でも、ゲリラ掃討作戦でも被害者を出していないし・・                「お爺さんといえば、お気の毒だよね、元首相が行方不明のままでさ。ずっと一緒にやってこられた相手が居なくて、覇気がなくなったんだろうね・・あっ、娘さんにあたる、おばあさまはお元気なの?」 茜が遥と顔を見合わせてから言った。                         「祖母は曾祖母がまだ生きてるって、信じてるんです。カラ元気なのかもしれませんが、気丈に振る舞っていますね・・」 茜はそう言って、しんみりとした。それを見て、周囲はこれは失言だと黙り込んだ。余計な箇所に踏み込みすぎだと、周囲が発言した人を視線で非難した。茜と遙は、周わりが無言になった事でこれで詮索タイムは終了しただろうと安堵し、同時に同じ事を考えていた。曾祖母の不明後暫く経って、父から明かされた話を。母と妹と3人で物凄く動揺した、あの日のことは忘れる事はないだろう。父と海斗叔父の本当の母親は、祖母ではなく、曾祖母なのだと・・・                              ーーーー                                  北九州市だと知り、安堵してしまう。ネットニュースで「暴力団抗争で幹部全員が報復殺害、犯人は逃走中」と、タイトルだけが書かれると、海外に居るものは慌てて開いて記事を読んでしまう。そして場所が北九州だと分かって、親類縁者は居ないと、ホッとする。これもニュースの本文を読ませるための作戦なのだろうが。 火垂は30年以上祖母と認識していたのに、実は実母でしたと知らされてから、行方不明の手掛かりとなるニュースが今日は出ていないかなと、毎朝チェックするようになっていた。 祖母が代理母で産んだのが、自分だと聞いていたのは、弟の歩と生まれが半年しか違わないからで、その話も兄弟の誰もが信じていた。祖母が自分に優しいと感じていたのも、自分のお腹を痛めたからだと思っていた。実際は翌年に海斗も産んでいたのだ。3人は確信犯だった・・・本人が行方不明になってから言うなよ、とその時は父を恨めしく思ったが、時間が経ってみると、祖母の「小さな差別」の数々を思い出す。海斗と自分には、他の兄弟には知られぬようにこっそりと小遣いや菓子を与える時があったからだ。母だとずっと思っていた「異父姉」は、父の隣で驚く発言をした。母と娘で結託して、この人と世帯を構えたのだと。最初から3人ありきの家庭だったと。その決意に満ちた顔に、海斗も自分も、何も言えなくなってしまった。          その後、この母娘は、寡婦の女性を家に招き入れてゆく。時はコロナが蔓延していて、大学教授の祖母も高校教師の父も在宅勤務で、子供たちも長い自宅での学習期間が続き、都会で蔓延するウィルスから逃れるように、富山の祖母の生家に疎開した。そこに母のシングルマザーの友人家族を招き入れた。家屋には受け入れるだけの十分なキャパもあるし、祖母の家なので、父も特に言えなかったのだろう。ところが、母娘には富山県知事に立候補する目的があり、それも直前まで父には内緒で進めていた。結局、疎開先の富山で父が全ての采配をして、祖母は県知事に当選する。その半年後に衆議院が解散する。今度はシングルマザー達も、母も含めて全員が立候補し、当選して今がある・・。                          そんな一連の流れを振り返っていたら、父は自ら望んで今の家族構成となったのではなく、実は被害者なのではないか、と思うようになった。富山での選挙活動で、教師の範疇を逸脱する父の才覚を目の当たりにして、子供達は父の本当の姿を知った。当時の日本政府を果敢に攻め、国民が賛同を表明して票を投じていった。周囲の人達が父の後に続くのを見て震えた。政権を支える大臣となり、誰もなし得なかった内外の諸問題を解決し、才を買われて国連事務総長の座に推された。国連での任期を終えると、北京政府に呼ばれ、そしてベネズエラに赴任した。周囲から求められ、自らが望んでいない仕事を預かりながらも、あの県知事選、初めての国政選挙のように獅子奮迅の働きをしたのだろう。基本的に拒むことが出来ない人なのだ。相手が困っていれば何とかしようと動き、解決してゆく。成し遂げた成果の数々はどれもこれも驚異的だ。そこに、女性が我も我もと集まって来るのも、同じように拒めないのだろう。自身も妻にも娘にも言えず、墓場まで持っていく話がゴマンとある。更に子供まで求められるのだから、自分の浮気の比ではないのが分かる。役職の激務に加えて、家に帰ってからも複雑な事情だらけであろうし、神経が擦り切れてしまうのも当然だ・・。ー                                 杜 火垂はそんな事を考えながら、10月に蒔いた小麦を農機で刈り取っていた。弟の歩がアイルランドで起こした牧場を真似て、火垂がアルゼンチンのパンパで牧場を始めてから、今年で3年目となる。引退後は妹たちが所有するアルゼンチンとコロンビアのクラブをアドバイザリースタッフとして助言しながら、農場主を主にやるのもいいなと考えていた。 昨年からは耕作放棄地を購入して、農業も始めた。南半球の春にあたる牧場・農場は父から借りたロボット達に飼育・栽培を任せているが、オフ期間を迎えたので、収穫作業を経験していた。牧場に植えたプラタナスや銀杏そして紅葉が紅葉し始めている。その落葉で作った昨年仕込んだ堆肥を、収穫後の畑に蒔いて土壌の酸性を整えて、また小麦の種を10月の収穫に向けて蒔いてゆく。火垂は作業をしながら、このオフで農地と牧場を増やそうと考えていた。アルゼンチンに来てからは収入の大半を農地の購入に当ててきたようなものだ。これも、杜家の血筋なのかもしれないと思いながらも、サッカー以上に楽しんでいる自分に、気づいていた。
17の時に同級生との間に生まれた娘達が高検に受かり、この4月に大学入学と同時に、日本の農業技術研究機構に研究者として入所した。縁故採用と言えばそれまでだが、真面目に学んで来たのだろう、1年間の高校生活で内閣総理大臣賞を受賞した。火垂にはよく分からないが、果樹や木の実に代表される「違い」と言われる、隔年で柿や栗の実の成る数量が変わる現象を、その樹木が今年は実る年なのか、実らない年なのかを判定する方法を姉妹が見つけたらしい。その発見と研究が認められて、研究所入りとなった。異母兄の柳井太朗の長女フラウと同じ研究所と聞いたときには驚いたものだ。  研究者だなんて、一体誰に似たのだろうと小麦をコンバインで刈りながら、首を傾ける。やはり、あの子達の祖母の血なのかと。           ーーー                                  今年のパシフックリムの演習を終えたベネズエラ海軍の太平洋艦隊が、平壌港に直接向かうアジア方面艦隊とは別れて、台湾・基隆港に寄港の沖合で停泊していた。空母 加賀だけが、艦隊司令官と搭乗員、パイロット達が乗船して居るので、台北市内の観光目的で単独で入港していた。艦隊司令官と艦長、参謀官の5名は台湾海軍との会談を済ませて、会食に臨んでいた。
 その頃、基隆港の沖合に停泊しているベネズエラの太平洋艦隊を撮影しようと、台湾のマスコミが船を雇って沖合までやってきた。基隆港に停泊している原子力空母、加賀だけでも絵になるのだが、旗艦である大和を中心にした太平洋艦隊の映像や写真は写したい、どのメディアも同じ考えでいた。 大和の左右には、新たに配備されたi400潜水空母が大和を護衛するかのように停泊していた。大和の甲板でロボット数体が台湾旗を掲げて、映像とシャッターチャンスを提供してくれている。大和の後部艦橋には台湾旗とベネズエラ国旗が掲げられている。日の丸ではないことに、台湾の人々もしっくりしないものをどこかで感じていた。                  新型の潜水空母の動画が拡散し、世間で知られていたので撮影対象として人気を得ていたが、各メディアの対象はやはり大和だった。この日も一番人気となっている。そもそも、無人艦は入港しないので、撮影する機会が少ない。空母も寄港の際には、燃料補給を受ける必要はないのだが、僅かな食料と生活水、日用品は必要だ。艦隊の司令官や参謀、航海長等の、他国に比べれば少数とは言え、クルーが居るからだ。今回は物資補給目的ではなく、会談と船員・パイロット達の観光目的の停船だ。空母には無人機ばかりではなく、パイロットも整備士も数名居る。これが大和と武蔵、長門、陸奥の兄弟艦となると、完全な無人艦となり、港に停泊する必要がない。実際にパナマの母港停泊での艦の検査・メンテナンスを除いて、3年間無寄港の記録を更新していた。建造当初は、水素を得る為に電気分解用の水を積み込む必要があったが、航行中にキレイな海水を採取して、浄水濾過する装置を搭載したので、更に無寄港が可能となった。そんな話を記者やレポーターが話し、映像を撮っていたら、サイレンが各艦から鳴り響いた。「何だ?」と各船が動揺する。船長宛に各社の所属会社から一報が入る。「艦隊は急発進するので、艦から離れて欲しい」と言う台湾海上保安庁からの連絡だった。追って海上保安庁のモーターボートがやってきて、各船に「下がって下さい」とスピーカーが騒いでいる。マスコミの船が保安庁のボートの後方まで下がると、汽笛が鳴って、艦隊は音も立てずに湾から去っていった。      ーーー                                  台湾とベネズエラの海軍司令官同士の会食中に、カラカスから緊急連絡が入った。
越山大統領の令を、櫻田国防相が通達してきた。「太平洋艦隊は、フィリピン・スービック海軍基地へ急行せよ。ピナツボ山に噴火の恐れアリ。ベネズエラは今後日本政府と協議して人命救助の体制を取る。アジア方面艦隊も貴艦隊の後を追うので、まずはスービック湾へ先行せよ」という内容だった。内容は機密でも無いので、台湾の司令に伝えて、詫びるように席を立った。
台北市内で観光している軍人達も帰還命令が各自が受け取り、いかがわしい店に居た者たちも渋々タクシーを捕まえて、基隆港へ戻っていった。

台湾の地質学者は、ピナツボ火山の異常は検知されていないので、訝しんだ。フィリピン政府にはベネズエラ政府から連絡が届き、先の大噴火の例があるのでアンヘレス市とサンフェルナンド市の住民はケソン市、マニラ市へ避難するように勧められていた。

フィリピンの学者達はそんな予兆は無いと言い張ったが、ベネズエラから提示されていたデータは、どうやって計測したのか,刻一刻と熱量が上昇しているグラフと異常な数値を吐き出していた。1991年に大噴火した際のデータによく似ていた。
案の定、「逃げろ」と言っても人は、直ぐには移動しない。データを計測したのはベネズエラだけで、フィリピンではどの計測器も感知できていない。 フィリピン政府としても半信半疑だったが、前回の大噴火でマニラまで降灰が積もったのも忘れていなかった。万が一の可能性であったとしても、対処しておく必要があった。ベネズエラ政府の剣幕たるや、物凄かった。
ベネズエラの哨戒機が火山の上空を飛ぶことをフィリピン側が認めると、台湾から音速で先行機が到達し、調査が始まった。遅れてプロペラ機の哨戒機が到達する。海軍の哨戒機で、火山の調査が出来るのかと訝っていると、マニラまで揺れを感じる地震が起こった。震源地はピナツボ山だった。何度か緩い揺れが続くと、マスメディアを緊急放送に変えるように総務省が指示を出した。ベネズエラから連絡が届いてから2時間が過ぎようとした時に、噴煙量が増えたのが観測された。

ーーーー

日本の首相官邸ではモニター越しのカラカスの越山と櫻田が慌てている顔を見て「まずは、落ち着いて」とアヤしていた。日本側では何の異常も観測されていなかった。
それに1991年の大噴火では予兆が事前に確認されて、近隣の住民が退避する時間が十分にあったからだ。「ピナツボ火山が噴火した」気象庁が事後報告のように第一報を伝えてきたのは、ベネズエラ政府が動き出した3時間半後の事だった。

ベネズエラの哨戒機がその噴火が起こった映像を送ってよこした。地球の裏側の国の軍隊がマグマが飛び出すドンピシャの映像を撮っていた。
噴煙は1万mを有に越え、マグマは僅かに確認されたが、前回の大噴火では火砕流の規模が尋常ではなかったが、今回も山の斜面を流れる火砕流が確認された。4時間後、音速旅客機2機がベネズエラからスービック海軍基地に到着する。400体のロボットが乗り込んでいた。フィリピン軍のトラックに分乗して、アンヘレスとオロンガポの両市へ、スコップと共に運ばれていった。その2時間後にも、更に2機の航空機と400体のロボットが到着する。 日本も含めたアジア諸国が、フィリピン政府ですら様子見をしている時に、24時間無休対応出来る800体のロボットをベネズエラ政府が投入してきた。スービック海軍基地に避難してきた市民たちは、スービック湾に到着したベネズエラ太平洋艦隊へ乗船を初めてゆく。既にベネズエラから食料品が到着し、艦に搭載されていった。そこで、2度目の大噴火が起こった。1度目の爆発よりも多い噴煙を、人々は見た。
そこから時間との戦いとなる。火砕流が周辺市を襲うのは間もなくとなる。
ーーーー
宮崎港を出港したフェリーは宮古島経由で西表島へ向かっていた。
宮崎市試験場で飼育している小動物の写真や映像を並べて見比べて、茜と遥の姉妹は飼料を与え続けた動物達に、大して変化が現れていない事に気が付いて、動揺していた。普通の飼料をたらふく食べたからではないか、ミックスさせては効果が出ないのではないか、いやいや、栄養素でそんな化学反応を起こすわけがないだろう。と2人でやいのやいの騒いでいた。遥はネズミや鶏が心なしか懐いたような気がしたが、きっと気のせいだろう。観察対象とした個体は多少はガッチリしたのか、元気になったようには見受けられたのだが。「考えすぎだったかな・・」遙は叔父の会社成功ののヒントがここに隠されていると、閃いたのだが、普通の栄養素が使われている飼料だけで劇的な効果を齎すはずもないと、思って苦笑いした。マンガの見過ぎだったかもしれない。
フェリーが減速したのが分かった。何か異常でもあったのだろうか。こんな所で困ったねと窓の外を見ると、驚いた。姉妹は初めて見た。     「あれ、大和だよね・・」「なんで、あんなに大勢の人が乗ってるの?」フィリピン・ルソン島の避難民を乗せた大和と加賀とフリゲート艦の太平洋艦隊が航行していた。
沖縄沖を航行する民間船の人々も怪訝に思っていた。ベネズエラの太平洋艦隊は無人艦で占められていると聞いていたからだ。まさか乗船者達がフィリピン人で、沖縄本島や九州へ向かっているとは、その時誰も思わなかった。
(つづく)

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