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気持ち

朝目が覚めて、仕事の準備をして家を出てから会社の事務所に入るまでの中で気持ちを入れる。
車に乗り込んでラジオを入れる事もあれば、音楽をかける事もある。とりあえず声が出したければ歌うし、何となく飛行機の燃料のことをひたすら考えてる事もあるし、会社にこのまま着かなきゃいいのにって思ってる事もある。逆にいつもの調子でいられる日もある。空港に着いても気持ちは大概入ってはいない。それがホントに入り始めるのは更衣室入ってから事務所に向かうエレベーターの中だと思う。最悪でも何かとりあえず入れる。まぁ多分自分では気持ち入れてるはずなのに気持ち入りきらずに事務所で挨拶してる日もあると思う。

子供の頃から空っぽな自分ばかりを見てたような気がする。そしてそれを恥ずかしいと思う自分がいた。それは何も無い自分を見られてるという他者への意識が強くあったからだ。自意識過剰だった。だから精一杯、空じゃない自分を見せようとしてた。それが多分十代の頃。それが何か虚しくなって自分の中の何かが崩れていったのが高校3年ぐらい、そこからの数年は本当に苦しかった。

縋るように子供の頃の夢を追いかける事にした二十代後半、10年越しに青春やり直してる気分だった。無職だけど、この時代に知り合った人達には感謝しかない。それこそ社会的に何も持ってない空の自分をそのまま受け入れてくれたんだから、無職なんてなるもんじゃないけど、それはそれで得るものがある。惨めな思いはしても自分次第で笑って生きてはいけるなと思った。

パイロット、小3の時からの夢、伯父さん。伯父が乗ってたB767を見ると何となく目で追ってしまう。時々、B767に乗ってた人と乗務すると伯父の名前を出してしまう。僕が中3の時に亡くなった伯父。優しくて、ひょうきんだった。人が死ぬってこういう事だと初めて知ったのは伯父の死だった。棺の中の伯父を見た時にそこにあるのは伯父の顔をした伯父ではない何かだった。そう感じた時に涙が込み上げた。伯父が亡くなる少し前の夜に心の中に誓いを立てた、パイロットになるって。自分でも頑固だなと思う、親に迷惑かけてまでパイロットになるなんて。この気持ちを頑なに貫いて、あの頃から一直線に目指せば良かったものを。色々フラフラしてしまった。親には頭が上がらないけど、正直、紆余曲折した道のりが自分らしいなと思ってる。

大事なのは空っぽの自分。その空の自分をどんな風に見せるかも自分次第。納得がいかないなら何かしら色を付け足す。足しすぎることもあれば、味気なくなる事もある。

だけど仕事は空の自分を許さない。否が応でも色を足す事を迫られる。仕事に見合う色が足りてない時は何かが準備不足だから。だけど準備不足だから出来ないのでは何にもならない。そこはもはや気持ちで繋ぐしかない。はったりかましてでも仕事が終わるまで空の自分を見せてはいけない。

去年、両親に飛行機に乗ってもらった、成田発仙台行、飛行時間わずか40分程度の短いフライト。気持ちが昂るわ、上空じゃてんやわんやするわ、アナウンスも内心バクバク。その夜はなんかホントにありがとうの気持ちで一杯だった。子供の頃に電車の運転手になりたかった僕はおばあちゃんを電車に乗せるのが夢だと保育園の時に話した。多分、おばあちゃんが生きてたら「アンタの運転する飛行機なんて怖くてよう乗らんわ」って言うだろう。僕にしてみりゃ世界で1番身近に感じる乗客になってくれた事だろう。歯に衣着せぬ物言いが空の自分をさらに自意識過剰にさせたのは事実だが、まったく彼女の正直さと心配性は強く僕を育ててくれた様に思う。きっと「なんや、そんな事言っとらんでええ子見つけてこなアカンで、何をチンタラやってんねん。」と言ってる事だろう。我が家ではこの陽子さんは絶対正義なのである。今の世の中には無くなってしまった正義をおばあちゃんは教えてくれた。おばあちゃんはキャリアウーマンのハシリのような人かもしれない。別に肩書が凄かったわけじゃない、だけど秘書課にいた頃、男尊女卑の色濃い明治生まれの社長から信頼を置いてもらったことが彼女の自慢だった。若い頃にお茶汲みも出来ないと親に言われたことが悔しかった子が、明治生まれの頑固親父と渡り合ったという。それを嬉しそうに話してた。話半分に聞いてたけど、今思えばやはりうちのおばあちゃんはコンピューターおばあちゃんであり絶対正義のおばあちゃんなのだと確信する。「確信するの遅いねん!」とツッコまれた気もする。陽子さんは本当に太陽の子だなと思う。

仕事はどんな仕事も、色々な人の気持ちを運んでいる。空の自分だけじゃいられない。でも実はここぞという時に空の自分を認める勇気も迫られる。常に状況は変化して、その度に自分のスイッチを変えていく。心配性なおばあちゃんが乗ってきたら、きっと何気ないフライトも色々なスレッドを探すだろう。そう思えばゲートの人がどんな案内してるかだって気になるだろう。厳しい顔をしたサラリーマンが出張で乗ってくれば時間を気にしてるのかなと思い、楽しそうな学生が乗ってくれば是が非でも目的地に運んであげたいと思うし、子供連れの家族が乗ってくれば楽しい時間にしてあげたいと思う。全てが全て、叶えられるわけじゃない、だからそんな時に自分に出来る事が何かを考える、お客さんに納得してもらえるフライトとは何かを考える。時間が間に合わないなら速度を上げる、経路を変える、進入方式を変える。だけどこの高度じゃ揺れてしまう、高度を変えるのか、多少揺れてもアナウンスで一言つないで凌ぐのか、最善手は他にないのかを同期や先輩と話して考える。それが僕らの仕事、僕らだけじゃないすべての人に共通する仕事。

素顔の自分は揺れ動いてばかりだけど、ここぞという時はブレない自分でいたい。だから今日も明日も、事務所前のエレベーターの中で気持ちを入れる。空っぽの自分を認める気持ちを。

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