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TRPG制作日記(103) 経済14

政治において格差という言葉は常に流行しているように思えますが、この問題に対してリベラルの意見は明確です。

すなわち、格差が大きいということは貧困層が広がっているということであり、そして貧困層が広がっているということは結婚したり子どもを育てることができる日本人が減少しています。

そして、仮に女性が一人で子どもを産んで育てていたとしても、その子どもは自分の才能を発揮するための十分な教育を受ける機会を失いやすいため私たちは富の再分配を必要としているのだ、と。

貧富の差が広がると結婚する人が少なくなる。そのため、独身者が増えて少子化が進む。

貧困家庭の子どもが増えると、その子どもは教育を受ける機会が少ないだけでなく、たいてい貧困者は仕事が忙しいので、両親と触れあう機会も少なくなりコミュニケーション能力も専門スキルもない労働者ばかりになり国際競争力を失う。

というのは、リベラルの思想です。これは直感的には理にかなっているように思えます。


また、以上の考えは価値方程式とも整合的です。

たとえば、労働者をB、教育と家庭環境をE、そして子どもをCとすると、

B=EC

となります。また、貧しい教育と家庭環境をPとして、そこから生まれる労働者をMとすると、

M=PC

ここで収入に該当する交換価値は価値を反映するので、E>Pから豊かな家庭に生まれ十分な教育を受けた子どもはそれだけで収入が高くなります。つまり豊かな家庭から豊かな次の家庭が生まれます。


では、逆に、貧富の差をもっと広げて貧困層をさらに増やさなくてはならないと考えている人たちは何を理由に、もっと貧困層を増やさなくてはならないと考えているのでしょうか?

今日は、それについて考えてみましょう。


もっとも有名な意見は、価値方程式から導かれる価値が、交換価値に反映することはないという立場です。

すなわち、

B=EC

から導かれるBは収入に何の関係もない、すなわち両親や教育、そして環境はその人の収入に影響を与えないという立場を取ることです。

この立場は収入はその人がどのような環境で生きてきたのかではなくて、その人がその環境でどれほど努力してきたのかを反映すると考えます。

さらに、貧困が豊かになりたいという強い思いを育てて、そのため勤勉になるという立場を取りがちです。

苦しい立場に耐えた人だけが、より苦しい労働に耐えられる。

よって、日本経済が発展しないのは、日本が豊かになり、国民の痛めつけ方が足りないと考えます。

豊かな家庭で育った子どもは怠け者になるのです。


また、プルーストなどの文学作品に登場する貴族たちのように、高度な教育は国民から自然を失わせてLGBTQにしてしまうので、できるだけ国民から教育の機会を奪い動物に近くしたほうが少子化が解消されるというのも、一つの意見としてあるでしょう。


もっとも有名な考え方は、そもそも日本は貧富の差が少なすぎるために貧困層が広がっているという考えです。

つまり、貧しい男は女性から結婚相手とは思われないので、結婚できずに子孫を残すことはありません。そのため、本当に貧富の差が拡大していると貧困が次の世代に引き継がれることはありません。

人が生きていくためには、衣食住医療教育を必要として、そのため貧困者は身体が弱くなり病気で死んでいきます。

にもかかわらず、貧困層が減らないのは、資本主義の問題ではなく生活保護が充実していることが問題なのだというのが、いわゆる保守と呼ばれている人たちが主張する意見の一つです。

貧困層に子どもを作らせず、さらに病気などで死んでいくようにすれば貧困問題は解決するというのはリベラルに否定的な人たち(日本人の多数派)が主張している重要な意見です。

この思想の結論は明確です。

すなわち、貧困は生活保護が生み出しているということです。生活保護さえなくなれば、社会問題になっている人たちは死んでいくので、もう問題は勝手に解決していきます。

死はあらゆる問題を解決します。それが自然の理なのです。



とはいえ、この考え方は致命的な欠陥があります。それは豊かな社会を生みだしているのは資本主義で貧しくなっていく労働者であるという視点が抜けていることです。

これまで、三つの価値を導入してきました。

交換価値

使用価値

価値

の三つです。

交換価値は金銭で表すことができる量的な価値で、そして使用価値は生活そのものを豊かにする存在が持つ能力です。

ここで、使用価値そのものも、価値方程式

B=WA

から生まれることを思い出すべきです。すなわち、存在に使用価値を与えるのは労働であり、また労働者に労働能力を与えるのも労働で、つまり使用価値が豊富な社会とは、豊かな家庭が数多く存在している国からしか生まれないという発想は重要です。

アメリカの個人消費はきわめて高いですが、同時にそれは次の世代の子どもたちの交換価値が高くなるだけではなく、社会全体に存在する使用価値の数が多いことを意味します。

つまり、仮に交換価値が価値の反映でなかったとしても、価値が生まれるところに使用価値が生まれるという現象がある限り、貧しい家庭を豊かな家庭に変えることに意味はあるのです。



今日は社会問題の解決ばかりに注目して、国民全体の豊かさを考えないことは愚かなことだという話でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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