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ロマン主義を考える(7) 感情だけから人間のすべてを理解する。 【『ゲーム制作のための文学』】

多くの人は機械と人間の違いは、機械には感情がなく人間には感情があることだと信じているかもしれません。たとえば、道に転がっている石や壁に掛けられた柱時計は物理法則のみに従います。しかし、人間は明らかに感情に行動を左右されるように見えるのです。

私たちは楽しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば悲しみます。

自然現象が重力と電磁気力に支配されているように、人間は感情により支配されているように見えます。

好きな人に贈り物を贈り、嫌いな人からは離れていきます。戦争で苦しんでいる人がいたら哀れになって、手を差し伸べます。

好きな紅茶は我慢できません。しかし、同時に嫌いな野菜は食べるのに強い意志が必要です。

理性や道徳ではなく、感情こそが人間らしさのような気がします。


こうなると、私たちはすぐに次のように考えてしまうでしょう。惑星の運動が重力で説明できるように、人間の運動は感情で計算できるのでは。

というわけで、今回は、人間に関するすべての事柄を感情のみにより理解してしまうことにしましょう。


さて、理性は言語により構築されているので、それを理解することは簡単ではありません。ラテン語と日本語では単語と文法が異なり、この違いが複雑な発想や行動の違いを生みます。

しかし、感情は逆に定式化が簡単です。

たとえば、女性Aと女性Bの二人がいたとして、ある男性が女性Aに求愛したならばその男性は女性Aが好きです。

また、男性Aと男性Bがいて、ある女性が男性Bから話しかけられると笑顔なのに男性Aから話しかけられると会話をすぐに打ち切るなら、理性による捏造がなけば、その女性は男性Bを好きだと解釈してもいいでしょう。

リンゴと蜜柑があり、ある人がリンゴを選択したらその人は少なくとも今はリンゴが好きです。

ここですべての人間の行動には感情が関わっていると仮定すると、私たちはあらゆる選択の背景に感情関数Mを想定できます。

この感情関数Mに何かを入れると、数字が返ってきます。そして、数字が大きくなるように人間は行動すると解釈します。

M(A)>M(B)

この場合、人間はAという選択を行います。AとBにはあらゆる選択枠を入れることができます。こうして、私たちは「人間は感情の生き物である」と解釈することで関数一本で人間の行動のすべてが説明できるという世界観を手に入れました。


さらに進めましょう。

M1(A)>M1(B)>M1(C)

この場合は人間1はAを選択します。ここで人間には記憶や希望があるため同じように肯定的感情を最大化するように行動すれば、肯定的感情は積み上がっていきます。

すなわち、企業が利益を蓄積するように、人間は肯定的感情を蓄積して幸福になることができます。


さらに社会契約論によると、社会とはルールの集まりです。ここでルールAとルールBがあるとすると、同じように、

M(A)>M(B)

がなりたったときに人はルールAを選択するでしょう。

ここでM(A)とM(B)は数字であることを思い出しましょう。そのため、Aによる感情とBによる感情の差はきわめて大きい場合と、きわめて小さい場合があります。

また、数字なので足したり引いたりできます。

となると、複数の人間の感情を重ねることができます。ここにルールAとルールBに関する住民(人間1や人間2)の感情を足し合わせると、

M1(A)+M2(A)+M3(A)...>M1(B)+M2(B)+M3(B)...

のような状況を想像できます。つまり、私たちは人間の本質は感情であると仮定することにより、肯定的感情を最大化する社会、ルールを想像することができます。つまり、正しい社会を発見できます。

もちろん、人により感情関数は異なっているでしょうが、いずれにしても感情に強さがある以上は足し合わせることができて、住民の感情を最大にできるルールを確定できることには違いありません。

ここで私たちは立憲主義という概念を手に入れることができます。

すなわち、不特定多数の人間の肯定的感情を最大にするのが憲法、と考えるのです。憲法は知識人の独創ではなく、また話し合いでもなく、感情関数を統計的に処理することで論理的に決定されます。

このときに、住民の数が十分に多い状況を想像してみてください。

住民が十分に多い場合は、個性は打ち消し合うので憲法は一般的な感情関数を想定することで厳密に計算可能です。後は、あらゆるルールを感情関数にかけて選別していくだけです。


ここで私たちは、即座に次のルールが絶対に感情関数により選択されることを想像することができます。

(1)財産及び生命の保証

(2)思想良心の自由と表現の自由

(3)幸福追求の自由

(4)信仰の自由と結社の自由、個性の尊重

思想良心の自由とは想像の自由です。この自由があることにより、私たちは心のなかで自由に考えることができます。また、表現の自由は自分が考えたことを他人と共有する自由です。

この二つがあることで、選択枠が増えるので、結果的に感情関数の合計値を増やすことができます。つまり、(2)は、無条件に感情関数の結果の和を増やすことに貢献します。

また、思想良心の自由は趣味と関係しています。趣味の存在を認めることは選択枠を増やすので、結果として、感情関数の合計値を増加させます。

次に(3)の幸福追求の自由ですが、これを否定されると感情関数の結果に逆らう行動を強制されるということなので、やはり肯定的感情の合計値が小さくなることは定義から自明です。

(4)の信仰の自由や結社の自由(好きな人を友だちにできる)ですが、感情関数は人により異なります。全員がリンゴを食べるよりもリンゴが好きな人はリンゴを、蜜柑が好きな人は蜜柑を食べる方が感情関数の合計値は大きくなります。

宗教も同様で、キリスト教が好きな人はキリスト教、仏教が好きな人は仏教を信じる方が計算値が大きくなるでしょう。よって、憲法は国教や国民道徳を政府が制定することを禁止するべきです。

(1)の財産及び生命の保証は制限があります。富裕層から貧民層に財産を移した方が合計値が大きくなる場合もありますし、また憲法に否定的な反社会勢力は殺した方が合計値が大きくなります。


以上の議論は、私の独創ではなくて、JSミルが提唱した効用理論による自由主義の考え方をそのまま解説したものです。

JSミルの自由主義は、明らかに理性と権威の古典主義を否定して感情と個性と創造性を肯定したロマン主義の直系です。

思想良心の自由と表現の自由は創造性と関係があり、信仰の自由と結社の自由は個性と関係があります。

また、財産及び生命の保証は幸福の土台であり、そして幸福追求の自由はあらゆる自由の根幹を担います。

これらの憲法の内容は、すべて人間が感情的な動物であるという仮定から論理的に決定されます。

つまり、自由や創造性、個性、これらが人間の本質であるというのは、経験から発見されたのではなくて、人間の行動は感情により導かれるという前提から計算されるのです。

そして、ロマン主義において、文学と芸術は人間が感情的存在であることを証明しようとしてきました。文学や芸術、文化活動の目的は自由主義が真理であることの証明なのです。


感情の存在を認めることは自由主義の根幹であり、憲法は人間が生みだしたものではなくて人間存在から導かれます。

憲法が神から与えられたと考える根拠はここにあります。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければスキ、フォローをお願いします。

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