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ラオス語との向き合い方

ここ1ヶ月前ぐらいから、私のラオス語力が、前よりも落ちているような気がして、いわゆる”スランプ”に陥っているのではないかと感じていた
受験勉強とか部活の記録とかでスランプを経験したことはあるけど、言語こそただの積み重ねだから伸び悩むことはあっても日々使っているのにも関わらず落ちることがあるのか?

なんでだろうなあと思ってここ最近ずっっと考えててゆるーく友だちとそのことについて話しててつい先日自分なりに腑に落ちた

最初の方はラオスにくるのも2年半ぶりで、少しタイに浮気したりそもそも一年ぐらいほとんど勉強してない時期もあったから、こんなに分かる!理解してもらえる!という感動が勝っていた
毎日仕事で会う先生方も、私=外国人という前提が強く、外国人なのにラオス語を話すってことだけでもう褒めてくれていた
もっというと、さばいでぃーって言っただけで喜んでくれる人もいた

でも、毎日会って一番よく話す先生方が、私=外国人という大前提条件を気にしなくなってきて、最初の方は気をつけてゆっくりわかりやすく話してくれてた人も普段ラオス人どおしで話す時と同じようなラオス語話したり、方言丸出しで話してきてたから、前よりも分からなくなってしまったのだと思う

少し話は逸れるかもだけど、小さいミーティングとかで通訳を投げられたとき、ラオ→日、ラオ→英はそこまで問題なくともその逆の日→ラオ、英→ラオが壊滅的にできない。普段は自分の伝えたいことを頭の中でわかりやすくまとめた後に自分の持っている語彙に当てはめて話してるからそれなりに問題なくとも、難しい日本語や英語で他人が話したことを自分なりにやさしい日本語に変換してそれからラオス語に翻訳するからシンプルに間に合わないしラオス語の語彙力も全く足りない
こういうこととかも積み重なって、あれ、ラオス語できないな?と思うようになっていってた

でも、考えてみれば店員さんとの簡単なやり取りとかで苦労することはないし、ラオス語力が”落ちている”わけではないのだなと捉えてみたり

それは、ラオス到着直後はこんなにもわかる!という加点方式だったのに、最近はラオス語はできて当たり前なのに、これもわからなかった、これも伝わらなかった、という減点方式に変わってたからこんなことになったのだと

やっぱでも結構負けず嫌いだから自分の言いたいことをうまく伝えることができなかったり相手に理解してもらえなかったりした時はめっちゃ悔しいし落ち込んでしまう

机に向かうスタイルの勉強は相変わらず大嫌いだけどそんなことも言ってられないので向上心があるうちにちゃんと勉強しよう
自信を持ってどんな場面でもラオス語を使いこなせるように

結局また何が言いたいのかわからない文章になってしまったけどとりあえず勉強しよう(2回目)

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