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変えられないことにも理由がある。軽度知的障害の30歳女性が選んだ生活

※事例に関しては個人が特定されないよう一部脚色して作成しております

私が運営するCOCOLONO LAB(現COCOLOLA)への相談で、一番多いのが障害者グループホームについての相談である。

その運営や経営の方法であったり、新規立ち上げに関することであったり、さらにもっと細かい支援方法についてだったりする。


そもそも私の場合は、これまでは現場の支援者兼責任者として、数多くの直接支援やソーシャルワーク・マネジメントに携わっていたこともあり、現場での経験を踏まえた助言ができることが我ながら『売り』であり、快くそのノウハウをお伝えしていきたいと心から思っている。



ただ、現在世界中がご存知のように新型コロナウイルス感染症対策に埋没している中で、現場の苦労は計り知れない。


福祉施設は常に感染症との戦いが繰り広げられ、またいざそのウイルスが蔓延した際には、全館あげて徹底的な対応が必要となる。


当然と言えば当然なのだが、これがまたかなりの労力をかけることとなる。日常の生活パターンが崩れることで不安定に陥る利用者が多いため、外的対応だけでなく、内的対応にも追われることとなる。


それらをして「当たり前」少しでも抜けが生じ、感染が広がると一斉に批判の目にさらされる。




過酷な環境で、ウイルスの恐怖と対峙しながらも懸命に利用者が安心して過ごせる環境作りに精を尽くす職員様たちに最高の感謝を伝えたい。もう少しの辛抱と信じましょう。



さて、上記のように現場を危惧する中で、先日、以前ともにグループホームのマネジメント側として汗を流しあった仲間と久々にお話できたのだが、驚くことに、こういった事態にもかかわらず、利用希望者は途絶えることはないとのこと。


グループホームの利用を希望する方々には、一刻を争う「性急な」理由がある場合と「急ぎではないけど将来のため今のうちに」という場合とがある。


確かに入居時期については、特に「性急」な場合は、感染症だろうが台風だろうが地震だろうが、年末年始だろうか関係なく「できれば即日」入居を希望されるケースが結構ある。




そういった数多くの様々なやり取りの中で、忘れられないケースがある。



ある相談支援機関から要望があった、30代の女性のケース。彼女は軽度の知的障害を持っていたが、お仕事も安定しており、性格的にも問題を起こすようなタイプではない。


ただ、家族関係においては大きな問題を抱えていた。誤解をおそれず一言で言うと「虐待事案」である。



いわゆる「性急」な対応が必要なケースだった。



受け入れ体制も特に支障はないため、本人とお会いした上で速やかに入居できるよう準備した。


直接本人とお会いしてみると、事前の情報そのままの女性だった。少し恥ずかしがり屋だったが、私との面談も誠実にこなしつつ、自身の今後についてもかなり自分なりに受け入れているように思えた。



ただ、彼女を受け入れる予定のホームが少し駅から離れていること、仕事が終わるのが夜遅い日があることなどから、近親者から慎重意見があると聞いた。本人は自分の思いと近親者の思いの間で少し悩んでいるように思えたため、気持ちを整理した上で、引っ越してこられるようアドバイスした。




それから何日経っても本人から「入居日を決めました」の連絡はなく、紹介元の相談支援者からも「入居するつもりだったようですが、まだ決心がつかないようだ」と報告を受けた。


正直、私も相談支援者も少し焦りがあった。前述のように「性急」なケースだったからである。


一つ間違えれば命に関わることといっても良い(実際にはそのくらいの虐待事例であった)。しかし、グループホーム利用に関してはあくまで利用者自身の選択が重要であるため、彼女の決心を待つのみであった。その間も相談支援者は幾度となく本人と面談を繰り返した。




半年ほど過ぎただろうか。さすがに入居候補のリストから外さざるをえなくなった。

本人も「今のままの生活で良い」と考えたようだった。どんな環境であろうとも、彼女は「地域」よりも「家族」を選んだ。私は、彼女のその判断を尊重するとともに、複雑な思いを抱えていた。



これが虐待事例の難しさである。周囲が心配して環境を変えようと口を出しても、ご家族、ましてや本人がそれを受け入れて「これで良い」としてしまうと、支援側のアプローチは「余計なお世話」となってしまう。


彼女は今の生活の方を選んだ。それで今後彼女自身が自立し、いずれは一人で、あるいは配偶者を得て地域で人生を歩むことができれば何よりである。ただ、それにはまだまだ超えなければならない課題がまさに目の前に散らばっている。彼女一人でその荊を蹴ちらさなければならない。

支援者の無力感を感じるところである。



ただ、よく論じられることでもあるが、究極的には、私たちのような支援者がいなくても、立派に自分の力で「自立」し地域で人生を送ることができればそれに越したことはない。つまり、私たちが「不在」ということは、彼らが能動的に人生を満喫できているということにつながる。


それでも、何か自分一人で解決できないことがあった時に、素直に頼ることでができる資源として、自分たちが存在していたい。不要であれば空気のように扱っていて構わない。ソーシャルワーカーとしてはそういうスタイルが理想だ。



過酷な環境でありながらも「現状維持」を選択した彼女がその後どのような人生を送られたかはわからない。虐待の推移に関しては相談支援機関がついているため、彼らに彼女のサポートを一任することしかできない。

ただ、自分自身で決めた道であり、その選択をしたこと自体も「自立」へ何歩も進んだと捉えて良い。今は彼女が「充実」した人生を歩んでいることをただただ祈りたい。




何物にも変えられない、自分の人生なのだから。




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