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「本気で働きたい」その真意【とある支援員の慟哭と人材育成の難しさ】

※事例に関しては個人が特定されないよう一部脚色して作成しております


かかわりのある施設や事業所から「退職者が出た」という話を幾度となく耳にすると、「ひどく落ちこむ」自分と「切り替えて次の人員補充に向く」自分との間で毎回葛藤が起きる。

大きな会社であれば人一人いなくなるくらいでおどおどすることはないかもしれない。ただ、私は「無駄」と言われようが、同じ仕事をするメンバーとして「一人一人」の重みを常に感じていたい。一人一人それぞれの人生があり、それぞれに生活があるのだ。どうかこの仕事を通して得た「プラス」の感情を抱えて次の道へ進んでほしい。そういう意味でも、障害福祉の人材育成に関わるようになり、改めて「人」を見る目・「人」を養う心の大切さを常に胸に留めている。



私が初めて中間管理職となったころ、当時所属していた法人で初めて人事考課制度が導入されることとなり、毎月外部から派遣されたコンサルティング会社の担当者の研修を受けた。

当初は「面倒」としか思わなかったこの研修だったが、「人事考課制度」そのものよりも、大まかに言うと「部下の内面をまめに支え続ける」というような趣旨のこのシステムは徐々に私の心をつかんでいく。このこまめな気遣いや配慮は上司から部下への必要最低限のマナーである。

当時「人間嫌い」という異名さえついていた孤高の支援員の私が、周囲も驚くほど熱心にこの研修に臨むようになったのは言うまでもない。私が「自分磨き」の人生から「他人磨き」に思いの舵を切ったきっかけだった。



話はそれるが、私は「上司」「部下」と言う言葉が好きではない。現場の皆様から「上司」と呼ばれることに違和感を覚えるので、名前とか、若い後輩には「先輩」と呼ぶよう言っている(子どもの頃のドラマの影響か、「先輩」と呼ばれるのは好き)。「上司・部下」にはどうしても拭えない不快な上下関係を感じてしまう。

個人的には「役職」というのは偉い偉くないではなく「役割分担」だと思っている。それぞれが果たす役割をそれぞれの立場で実直にこなしていくこと。それがチームの総合力となる。私はビジネスマネジメントは素人なのでこのくらいにしておく。





以前事業運営のマネジメントをしていたころの話。


拠点が最も多い地域の担当なので、採用に関する業務も多大なものだった。これに関しては「裏話」として出版できるくらいバラエティ豊かな経験ができた。中でも応募者との「面接」が好きだった。

面接が好きと言うのもおかしな言い方だが、まさに多様な人生・多様な生活を経てきた人たちが同じ仕事を志す過程で面と向かって話をする機会はそう得られるものではない。正確に言うと”良くも悪くも”と付け加えておく。




求人に応募された一人の30代の女性は誠実かつ凛々しい印象だった。応募書類にもそのまじめさがにじみ出ており、非常に好感を持った。それなりに苦労をされてきた人生のようだったが、家族の支えもあり、この業界への転身を決意。私もその姿勢に共感し、採用結果については「二重丸」を付けた。


事前の1か月ほどのOJT研修ではその誠実さから当然クライエントにも慕われ、仕事も丁寧にこなしていた。顔を出すたびに声をかけていた私にも「仕事が楽しいです」と笑顔を見せ、いきいきとされていたので安心していた。



しかし、本格的に業務が始まると間もなく、現場より「仕事に来ない」と言う報告が頻繁に上がるようになる。彼女は夜勤専従としての採用であったため、当然欠勤はその日のうちに別の夜勤者を埋め合わせなければならない。これがたまに起きるならまだしも、月の半分以上欠勤するという事態になっていた。


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