見出し画像

”ぎゃくたい”の正体とは【時代や環境が及ぼすメカニズム】

難しそうなテーマに感じるかもしれないけど、楽にして目を通してほしい。

厚生労働省は令和4年4月より、障害福祉事業所に対し、虐待防止にかかわる様々な運営規定の見直しを義務化した。
簡単に言うと「虐待防止委員会」なる組織を各事業所の中に設置し、責任者の任命や定期的な虐待防止研修を行うこと、そしてそれらを運営規定に明確に盛り込むというもの。

これまでそれぞれの事業所に何となく丸投げしていたことを、昨年度より段階的に努力義務→義務化とステージを上げてきたものだ。

そもそもこういった類のシステムは、これまで「苦情解決制度」のような似たような形で設置義務化されていた。私も以前勤めていた組織で苦情解決委員会の設置に深く関わったことがある。今思えば形ばかりの制度で、あまり効果的に作用しなかったのは苦き思い出だが、その時のエピソードはまた別の機会に語れる時もあるだろう。


こうして具体的に「虐待」対策としての取り組みがなされた背景の一つには、虐待通報件数が飛躍的に伸びたことが挙げられる。これは、実体としては児童虐待の通報件数増加と同じで、「(怪しいと感じたら)通報しやすくなった」「(怪しいと感じたら)誰でも通報しても良いという風潮が定着した」ということで、いずれもポジティブに捉えて良いことだとは思う。

しかしながらそれによって支援の質の低下や、本来果たすべき役割の形骸化も危惧される。腫れ物に触るような支援しかできなくなるというようなことだ。

加えて、全日本人が自称正義の味方となり、常にネズミ取りを抱えて生きているような、見苦しい時代にもなりつつある。コロナ化における一部の人間の妙な行動が良く表している。


昨今は良くも悪くも皆が声を上げやすい時代となった。つい先日も某教育者の体罰を他生徒が動画に収め動画サイトに挙げるという事象が起きたばかり。どこかのタイミングで「教育とは」「指導とは」「しつけとは」のような感じのテーマで今一度社会としての捉え方を整理する必要がありそうだ。ただこれは果てしなく切りがない議論になりそうである。




話がそれまくっているが、そんなこともあり、先日とある事業所にて「虐待防止研修」の講師をつとめさせていただいた。このテーマの研修ではいかに「身近なこと」であるかを実感していただくのが不可欠である。もちろん前述の制度改定による必須項目としての位置づけの「研修」なのだが、このような研修は上司・いわゆる管理者自身も「面倒だけどしょうがないからやる」的な感じで臨まれることも珍しくないのだが、今回はみな熱心に話を聴いてくださり、活発な意見交換もでき充実した時間を過ごさせていただいた(少なくとも私の感覚では)。

講義の準備にあたる中で、内容を考えながら自分自身のこれまでの長い障害福祉支援を思い起こすと、虐待の定義が時代や環境によって大きく変わることを改めて感じた。

20年前は「指導」として当たり前だったことが今の時代は完全NGと言うことも多い。教師の体罰なんかはその主たるものであろう。一方で、当時からグレーだった支援方法が今となってもグレーの域から脱していないことも多くみられる。たとえば利用者に対しての「言葉遣い」などだ。


その中で、共通して認識されがちなことは「受けた本人がどう思うか」が判断の基準となりやすいこと。会社の「パワハラ」なんかもそれにあたるだろう。人間同士が関わることなので、一定の基準線に「心」が加わることはやむを得ない。しかし、それで済むことではない事例だってある。

今回実施した研修でも触れたことだが、虐待は必ずしも一般的な「悪い職員」だけがするものではない。よくある話で、普段は他の職員からも慕われ、人望があるような職員が虐待を犯し続けることだってある。しかしそのことが「職員の人望」=「虐待の可否」につながるリスクをはらんでいる



私が若い頃の忘れられない話だが、ある2人の中堅職員がいた。詳しい内容は割愛するが、どちらもそれぞれ「虐待では」と疑われる行為を日々行っていた。

片方の職員の行為については多くの他職員が「あれは良くない」と虐待との認識を示すが、同じような行為を行っている別の職員については「あの人(職員)はそういう人だから」「利用者も面白がっているから」「悪気はないから」とありえない擁護論が続き、虐待非認定となった。というよりかは深く掘り下げられることすらなかった。

言うまでもなく、後者は他職員からも人気や人望がある職員だった。



この考え方には強烈な副作用もはらんでいる。

ある未経験の新人職員が入社した場合、まず何を手本にするか。もちろん先輩職員の支援方法を手本にし、それで利用者支援が円滑に進んでいく様子を実感する。多くの新人職員はその「真似事」から始める。その支援方法が実は「虐待行為」にあたる可能性があったとしてもだ。いわんやその「行為をしている職員」が他職員からも慕われている人物であればをや。

私も今や偉そうに虐待研修の講師をつとめたり、このようなコラムを綴ってはいるが、若い頃はそうやって支援方法をよからぬ方向に学んでいった反省もある。だからこそこれからの若い世代にはその認識を高めておきたいという気持ちは強い。




虐待の定義・虐待の防止方法などなど、今の時代であればいくらでもネットや研修などその論釈を拾うことはできるのでここではそういう堅苦しい話は割愛したいが、『時代の変化に敏感になること』そして『その環境が及ぼす影響の大きさ』を抜きにしてこの虐待防止は語れない。

でなければ今回の虐待防止規定改定は無益なものとして、それこそ全国の管理者に「面倒くさいもの」ととらえられて終わってしまうこととなる。





虐待一つで一人の利用者の人生が狂うこともあり、かたや将来福祉業界を担う若き職員の心をつぶしてしまうことにもつながる。「へえ、福祉の仕事ってこういうことが許されるのか」そんな気持ちにはさせたくはない。


良い機会なので、すべて「自分の身近なこと」として、虐待についてそれぞれ思いを巡らせてみてはいかがだろうか。


最後までお読みいただきありがとうございました。皆様のお役に立てるようなコラムを今後も更新してまいります。ご縁がつながれば幸いです。 よろしければサポートお願いいたします。