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評論:『おんなの話はありがたい「ババアになっちゃう」焦る20代女性たち 結婚せず出産しないと「惨め」は日本社会の刷り込み』(北原みのり、AERA2023/03/08)

 ともかずきという妖怪がいる。漢字では共潜きと書く。海女が海に潜っていると、もう一人の海女が現れる。その海女はアワビの取れる場所を手引きして教えてくれるが、それに誘われて深海に潜っていくと、ついに息継ぎが間に合わなくなり、溺れ死んでしまうという。

 ともかずきはあくまで伝承上の存在である。しかしその行動原理はより普遍性があり、令和となった今でも十分に通用する。私はその実例をAERAにて目撃した。

 北原みのりの『おんなの話はありがたい「ババアになっちゃう」焦る20代女性たち 結婚せず出産しないと「惨め」は日本社会の刷り込み』は北原がカフェで20代の女性たちの会話を耳に挟むところから始まる。

 同世代の女友だち3人と日曜のカフェでおしゃべりしていたとき、すぐ隣でチーズケーキを食べている20代女性2人の会話が耳に入ってきた。

「35歳までに結婚してなくて、子どももいなかったら惨めだよね。え、そんなのは絶対避けたい!」

 あらら、すごい話聞いちゃったっ!と、チラ見したい欲望をかろうじて抑えながら、耳に入ってくる会話に心がざわついてしまう。

「うちら高校を出てから8年? ヤバイヤバイ、もう、ババアじゃん!」「わはは、ババアだよババア」

 これに対して北原は「あのぉ、ババアってどういう意味ですか? 私、あなたたちのちょうど2倍生きてるけど、ババアの意味がわからないのよ、教えて」と話しかけようとする。

 なぜ北原はこのような行動に出ようとしたのか。もちろん本当に「ババア」という単語の意味を知らないわけではない。

 20代女性の発言を整理すると次のようになる。

①(20代女性を26歳と仮定して)26歳の女性はババアである。
②北原はその2倍生きている。
③北原はなおのことババアである。

④35歳までに結婚して子供のいない女性は惨めである。
⑤北原は50代だが結婚して子供がいない。
⑥北原は惨めである。

 つまり20代女性の発言は北原の人生を惨めとして否定したことになる。

 これに対し、北原は「心がざわつく」。そしてこのざわつきをどうにか解消しようとする。そのために20代女性に声をかけようとするのである。20代女性の放言の当てはまる者に放言が聞こえたことを知らせて気まずい思いをさせ、黙らせることが目的である。

 しかしじかに20代女性に声をかけるのは「気持ち悪い」という自覚はある。ではどうするのか。20代女性の口を直接封じることはできないのなら、20代女性がそういう発言をしなくなるよう、社会の価値観を変えてしまえばいい。

 この記事の全てがそれに費やされている。

 北原は20代女性が35歳までに結婚して子供を産みたいとする理由を次のように挙げている。考察しやすいように番号を振った上で引用する。

①もしかしたらあの当時(石原慎太郎の「ババア発言」のあった2001年/引用者注)よりも、「産むなら若いうちに。産みたいときに産めなくなりますよ」というプレッシャーや、「結婚しなければ、老後は貧困になりますよ」というプレッシャーに若い女性たちは晒されているのかもしれない。

②もしかしたら彼女たちの周りの30代には、結婚せず子どものいない女性が存在しないのかもしれない。

③または結婚せず子どものいない30代が「本当に不幸」に見えるような環境で生きているのかもしれない。それは地獄かもしれない。

 ここで北原はなぜか「30代」と限定しているが、20代女性が言っているのは「35歳までに」なので、実際に対象になるのは40代、50代からである。

 ①について。しかしそうならば2001年よりも結婚率、出産率は高くなっているはずだがそうはなっていない。結婚出産しなくてはならないというプレッシャーは下がっている。

 後ほど北原も言及しているが、与党から地元に帰って結婚出産した者には奨学金を減免するという案が出されているが、この記事の出た3月8日においてはまだそういう案もあるという段階であり、実際のプレッシャーにはなりえない。案が出たというだけでプレッシャーになっているというのなら、これまで少子化やその対策について散々語られてきたのであり、それがすでにプレッシャーになって出産率は上がっているはずである。

 ②は身近に30代女性の独身女性がいない場合、③は30代女性がいる場合であるが、どちらにせよ30代の独身女性は不幸ではないと結論している。

 ②について。これは「もし彼女たちの周りに30代の独身女性が存在しているならば(30代の独身女性を実際に見ているならば)、30代の独身女性を惨めだとは思わないはずだ」ということだが、30代独身女性の全員が惨めであるはずはなく、その中には惨めな女性もそうでない女性もいるはずである。20代女性の周りに30代独身がいないことは、20代女性が結婚出産したくなることの理由ではない。

 また、最初に言ったように、実際に40代50代の女性の様子を見たからこそ、「35歳までに」の発言が出た可能性もある。その場合、20代女性の周りに30代の独身女性がいるかどうかは関係がない。

 ③について。ここでの「「本当に不幸」に見える」の「見える」とは多義的解釈が可能である。

 第一解釈では、30代独身女性は不幸ではないが、それを見る20代女性が30代で独身であることを「本当に不幸」だと思っていると、20代女性の見方、価値観に原因があることになる。

 第二解釈では、20代女性の近くにいる30代独身女性が「本当に不幸」な様子をしていてそれを見ているという、対象に原因があることになる。

 しかし第二解釈では②とバッティングしてしまうので、北原の意図としては第一解釈だと思われる。

 最後の「それは地獄かもしれない」が③だけにかかるのか①②③の全てにかかるのは不明だが、どちらにせよ結論は変わらない。「若いうちに結婚して子供を産んでいない女性は不幸である」という価値観を内面化しているしていることが①②③を導出しているからである。そういう価値観を内面化せざるを得ない環境にいることを北原は「地獄」と表現しているのだ。

 こうした若いうちに結婚して子供を産まなくてはならないという価値観に縛られた20代女性の置かれた状況を「地獄」とするならば、そうした価値観から自由になった北原の状況は「天国」だということになるだろう。

 北原は自分が惨めであると言われたことに対し、むしろ20代女性のほうが惨めであるという価値観の転覆を図っている。これが北原の方策の第一である。

 その後、彼女たちは「ヤバイ、ババアになっちゃう」と焦るだけでなく、「早く相手を見つけよう」とマッチングアプリの登録を始めた。「170cmは最低ほしいよねー」とか言いながら、別のマッチングアプリに登録したときは写真審査に落ちちゃったから気をつけて、とかなんとか情報交換している。こちらのテーブルでは50 代の女たちが尿漏れ対策について話をしていて、それはそれで……なのだが、カフェでチーズケーキを食べながら、35までに子どもを産まないと悲惨ー!と叫び、お買い物をするような感じで条件にあった男を指で探す20代が、もっと楽に自由になれればいいのにね……と祈るような気持ちにもなる。

 地獄にいる20代女性に対し、天国にいる北原は「もっと楽に自由になれればいいのにね」と哀れんでみせる。

 しかし北原の思惑に反して、買い物感覚で結婚相手を物色している20代女性がプレッシャーに追われている哀れな存在には見えない。北原の描写からは、むしろ店頭に並んだ商品から自分たちがえり好みできるという余裕を感じさせる。自分たちをババアと呼んでいるのも、本当にそう思っているわけではないからこその軽口だろう。

 しかし北原はあくまでも20代女性がプレッシャーに晒されて焦っており、陋習な価値観に囚われていると決めつけ、遥かな高みにいる自分が自由にしてやろうとしている。そこでは本人たちの結婚したいという意志は無視されている。プレッシャーから自由になれば女性は結婚しないはずだという考えが当然のごとく前提されており、そうした前提のもとでは結婚したいという意志もプレッシャーによる強制ということになる。

 こうしたプレッシャーから解放されるとどうなるかというと、50代になって同じ境遇の女性たちと尿漏れ対策について話すことになる。50代で独身のまま尿漏れ対策について話すのが幸せなのか。幸せに思う人もいるだろうし、思わない人もいるだろう。それはどちらが正しいとも言えない個人の問題である。しかし北原はそうは考えていないようだ。

 ではどうやってプレッシャーをなくすのか。それは「ババア」という言葉をつかわせないようにすることであり北原の方策の第二である。

「ババア」を定義するところ、つまり日本社会においては、幼女以外はみんなババアに見えてしまう男の病、なのではないだろうか。年齢も見た目も関係なく、男にとっては全ての女はババアである。ババアとは男たちが一方的に甘え、一方的におとしめていい存在である。そしてまた、女性自身がババアになることに嫌悪を感じる制度設計も同時に行われているようでもある。

 このババアの定義は、北原がババアとされたことを否定することになる。ババアが「幼女以外はみんなババアに見えてしまう男の病」であるならば、ババアとは男性が女性に対して決めつけるものであり、女性の実年齢は関係がない。女性は何歳になってもババアではなく、50代の北原もババアではない。

 だが、この定義にはひとつの矛盾がある。「男にとっては全ての女はババアである」「ババアとは男たちが一方的に甘え、一方的におとしめていい存在である」ならば、「男にとって全ての女は一方的に甘え、一方的におとしめていい存在である」ことになるだろう。だがそれは、「女性自身がババアになることに嫌悪を感じる制度設計も同時に行われている」こととは明確に矛盾する。男性は女性にババアになってほしいのかほしくないのかどっちなのか。

 男性が一方的に甘え、一方的におとしめるために全女性をババアとして扱うのなら筋は通っている。しかし「男たちが一方的に甘え、一方的におとしめること」を女性が嫌悪する制度設計にするというのなら、むしろ女性にとって都合がいいのではないか。

 続く文章を読めば、「ババアになることに嫌悪を感じる制度設計」というのは正確ではなく、より正確には「ババアになる前に(適齢期を逃す前に)結婚出産したくなる制度設計」だろう。

 なぜ女性をババアと呼ぶとババアになる前に結婚出産したくなるのかは不明だが、ともかく北原はそう主張している。最大限好意的に解釈すると「ババアと呼ばれると年を取ることを嫌がるようになり、年を取る前に結婚出産を含めて色々したくなるから」である。

 しかし北原が本文で出している「電車で隣になった男性にババアと呼ばれたこと」「知人女性が彼女の高校生の息子からババアと呼ばれたこと」「友人が50代くらいの男性にババアと呼ばれたこと」という例では単に罵倒として使われており、こんな深慮遠謀があるようには思えない。だが、ともかく北原はそう主張している。

 では、この制度設計とはどのようなものだろうか。

 様々なメディアや世間からはいまだに、こんな声が聞こえてくる。早く産め。若いうちに最低1人は産め。あまり稼ぐな。女が稼ぐと結婚せず子どもを産まない社会になる。結婚に憧れろ。結婚しなくちゃ生きていけないと思い込め。男の名字になるのは幸せなことだと思え。子どもを産んだ女には特別待遇をしてやる。子どもを産んだら金をやる。奨学金の減免を考えてもいいぞ。産まない女のことは知らないけどね。結婚しないで老後孤独死しても関係ないからね。

 これがその制度設計であり、これを逆にしたものが北原が言うところの自由になった女性の本来的なありかただろう。そして本来的なありかたをしていない現在の女性と社会に対する北原の要求とも言える。

①早く産め。若いうちに最低1人は産め→若いうちに子供を産むことはない。
②あまり稼ぐな。女が稼ぐと結婚せず子どもを産まない社会になる→女性でもどんどん稼ぐようになれ。
③結婚に憧れろ。結婚しなくちゃ生きていけないと思い込め→結婚に憧れるな。女性は一人でも生きていける。
④男の名字になるのは幸せなことだと思え→男の名字になるのは不幸である。
⑤子どもを産んだら金をやる。奨学金の減免を考えてもいいぞ→子供を産んでも金はやらない。
⑥産まない女のことは知らないけどね。結婚しないで老後孤独死しても関係ないからね→結婚しないでいても老後孤独死しないように面倒を見ろ。

 ①③④は若い女性に結婚を諦めさせるものである。
 
 ②について。稼得金額が多くなるほど女性の結婚率が低くなることは事実である。ただしこれは稼得金額が多くなれば一人で生きていきたくなるからではなく、女性の上昇婚志向により、対象となる男性の数が少なくなるからである。しかしどちらにせよ結婚する若い女性は減ることになる。

内閣府『少子化社会対策に関する意識調査』(https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/h30/zentai-pdf/index.html)

 ⑤について。現在も扶養控除や児童手当て、育児休業給付金など、結婚出産したものに金銭的な補助があるが、北原はそれをやめろと言う。これは女性にデメリットのあることである。なぜ北原は女性にとってデメリットのあることを主張するのか。それは女性の本来的ありかたから外れたからである。本来的ありかたから外れ、結婚出産した者に金を出すのは道理に反したことである。逆に本来的ありかたに従って独身のままである女性に何の保証もなく孤独死するのは不条理である。だから北原は⑥を主張するのである。

 しかし実際に北原の言に従って孤独死するような境遇になったとしても、それはその者の自己責任だろう。結婚するなと言ったのは北原であって社会ではない。なぜ北原と北原の言につられた女性の責任を社会が取らなくてはならないのか。男性や社会に一方的に甘え、一方的におとしめているのは北原のほうである。

 また、北原や北原の言につられたものの老後の面倒を見ることになるのは、北原が特別待遇するな、金を出すなと言った結婚出産した女性の子供である。さんざん優遇するなと言った子供に自分の面倒を見させようとするのはあまりにも都合のいい話である。

 そもそも結婚するかどうか、出産するかどうかは現代日本においては個人の自由である。女性を捕まえてきて無理やり出産させようとしているわけではない。

 少子化を食い止めたい政府が結婚出産を推奨するのは当然のことであり、少子化対策をしないのであれば、それこそ非難を受けるだろう。国家を存続させるための人口再生産を担う者に利するのは少子化の著しい現代においては当然ありうる施策である。

 奨学金減免の件にしても、結婚出産をした者に対しての話であって、そうしない者に対してはこれまで通りであり、別に損をしているわけではない。

 本人が自分の欲求において結婚出産を選択しなかったのなら、その結果に対する責任は本人にあり、社会は関係ないのだ。もちろん女性は自分の選択に対する責任を負うことのできない精神的に未熟な存在だというのならそれはそれで構わないが、だとしたら責任に伴う権利も求めるべきではないだろう。

 また、⑥には北原の根底にある動機も明らかになっている。それは疎外感である。

 「産まない女のことは知らないけどね」「結婚しないで老後孤独死しても関係ないからね」という文言は、社会から関心を向けられていない、疎外されていると感じているからこそである。
「結婚しないで老後孤独死しても関係ないからね」とは、このままでは自分が孤独死することを予感していることを示している。

 では、どのようにして孤独を解消するか。方法はふたつある。

①⑥で要求しているように、社会に自分に関わるようにさせる。
②他の者も自分と同じ境遇にさせる。

 自分と同じ境遇の者が増えれば増えるほど、疎外感はなくなるだろう。北原がこのふたつの方策の両方を行おうとしているのは、これまで見てきた通りである。

 次のパラグラフには北原の方策がはっきりと示されている。

 3月8日、国際女性デーが今年もやってきた。ふだん女性を虐めている男性たちには反省をしていただきたい。「ババア」「ブス」と女を罵り、相手だけでなく自分をおとしめるのもやめようと、今日、決意していただきたい。日本は世界的にもジェンダーギャップが激しい国になっているわけだが、それはこの国が、女に惨めさを強いているからだろう。より豊かに、より自由に、自分の思うままに生きられるのだ、という人生への希望と信頼を、この国の女たちがとっくに失っているとしたら、それはあまりにも残酷なことだから。日曜のカフェで、「ババアだから」と、必死にマッチングアプリを操作する20代の女性たちの姿は、あまりにも惨めに見えたものだから。

 日本が世界的にもジェンダーギャップが激しい国になっているのは、女性に惨めさを強いているからではない。むしろ女性がより豊かに、より自由に、自分の思うままに生きている結果としてジェンダーギャップが生じているのである。

内閣府男女共同参画局『「共同参画」2022年8月号 』(https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2022/202208/202208_07.html)


産業能率大学『2018年度 新入社員の会社生活調査』(https://www.sanno.ac.jp/admin/research/fresh2018.html)


産業能率大学『2018年度 新入社員の会社生活調査』(https://www.sanno.ac.jp/admin/research/fresh2018.html)


日本財団『【1万人女性意識調査】第2回テーマ「女性と政治」』(https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2020/20201216-51853.html)
日本財団『【1万人女性意識調査】第2回テーマ「女性と政治」』(https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2020/20201216-51853.html)

 北原がやろうとしていることは、女性に人生への希望と信頼を取り戻させるという名目のもとに、女性を自分の望む生き方から放逐することである。それは結果として北原と同じ生き方をするようにさせることである。

「ふだん女性を虐めている男性たちには反省をしていただきたい」の女性に対する虐めとはどのようなことか。それは「ババア」「ブス」と女性を罵ることである。

 北原の論理に従うならば

①女性が男性にババアと呼ばれる。
②女性がババアと呼ばれることを嫌悪するようになる。
③「女性がババアと呼ばれることを嫌悪する制度設計」とは、「女性が若いうちに結婚出産したくなる制度設計」のことである。
④女性が若いうちに結婚出産したくなる。

 となる。

 つまり、男性が女性をババアと呼ぶことは、若い女性を結婚出産へと追いたてることである。逆にいうならば、男性が女性をババア呼びしなければ、女性が若いうちに結婚出産しなくなるということである。北原が男性に強く決意を促し、ババア呼びをやめさせようとするのは、若い女性が結婚出産をしないようにさせるためである。

「必死にマッチングアプリを操作する」
「あまりにも惨め」

 これは全て北原の主観的印象にすぎない。若いうちに結婚出産することは個人の自由であり良いも悪いもない。むしろ現代社会においては自由恋愛の結果としての結婚出産は良いものとされている。しかし北原は20代女性が社会の押し付けで結婚出産するように仕向けられており、それを自分はあくまで善意から解放してあげるという形を取っている。

 自由な女性の生き方があると手招きされ、それに誘われてうっかり時間を浪費してしまうと、気がついたときには尿漏れについて話していることになる。それはまさに現代のともかずきではないだろうか。

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