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日記を書く理由

親友との会話の中で、「書く」ことについて話した。

日記を書き始めたのは、別居するかしないかの時だった。いろんな感情がぐちゃぐちゃで、自分で自分がわからなくなった時、今自分はどうなっているのか知りたかった。

でもそれを話せる相手が当時はいなかった。深く、自分の中に入ることしかできなかった。

そんな状態の時に本屋で新潮文庫から出ている「マイブック」という日記帳が目に入り、疲労困憊していた私は、安いし、三日坊主になっても後悔しなさそうと買って帰った。

今思っても、買って帰って、本当に本当に良かった。

初めはおそるおそる、次第にその小さな本の中に感情を爆発させた。そして、次の日に読み返したり、3日前、1か月前の自分を客観的に見ることができたのは暗闇の中で目が慣れてきたような感覚だった。

事実を書くと長すぎたり、つらくなるので、書き記したのはその時の感情だけ。本当に苦しい時は何も書けなかった。その空白のページを見ただけで、その時の感情や情景が浮かんで涙したことも何度もあった。

離婚してから1年くらいは読み返せなかったにも関わらず、捨てることもできなかった。古い手帳と一緒に、見えないところに置いていた。

掃除をする際、ふと目にとまって開いてみても数ページで読めなくなった。でも捨てれなかった。

またしばらくして読み返したところ、最後まで読めたが号泣した。まだ感情が独りよがりの時だった。

一度最後まで読めると、何度か日記を手にとって読むことが増えた。

そのたびに、読み終わった感情が変わっていくことに気づいた。

怒りや悲しみから自分自身の振舞いに対する絶望。家族との確執。離婚したことで見えた友人との付き合い方。どこをみてもコミュニケーションが圧倒的に足りてなかった。

それでも、

「この時の私、めちゃくちゃがんばってるやん」「えらかったね」と思えたら、これまでとは全く違う涙がぼんぼんあふれ出した。

そして、もうこの日記は捨てても大丈夫だと、「今までありがとう」と感謝の気持ちを込めて、古い手帳と一緒に捨てた。

自分の思いをまっすぐ伝えることは難しい。

だけど、日記でそれを練習しているような気がする。

物事の詳細を書かなくても、綴られた感情からその時の情景が思い出される。筆圧や丁寧に書かれているか、ミミズのような字なのかによっても心情が読み取れる。

「何故書くのか」と聞かれてスッと出てきた言葉に、自分でも「ああ、そうだったのか」と納得した。書くことで正直な自分の思いを確認してるのだ。

今までは風のように過ぎ去る一瞬の思いしか出してなかった。本当かそうじゃないかわからなくても、その一瞬の心地よさを優先していた。

家族の傷は、得体の知れない傷のかたちがたくさん、と思っていたが、最近かたちがみえてきた気がする。だからひたすら書いている。親の、きょうだいの、それぞれのかたちが、目の前で散らばっている。それらを拾い集めて、これまでとは違うかたちへと変形させていきたいと思う。お互いが傷ついているから、それぞれの傷のかたちに合わせて癒していこう。

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