壁を越えて吹き抜けるうた         行きたいところがあるんだぜ!通信             その1 2022.5.9

「暇刊!老年ナカノ日報」からタイトルを変えました。はじめたころは58歳で、自分が若くないことくらいははっきりさせておきたいと思ってあのタイトルにしたんですが、いまや64歳目前で、あからさまな老年目前になったのと、月イチどころか何年も出せなかったりして「日報」でも何でもないわけなので変えたかったのと、まあそういうわけです。

ベルリンの壁が崩壊して30年以上たった

もう1年以上前、コロナが少し落ち着いた時期のことですが、まわりの様子をうかがってみると、そろそろ飲みに出てもいいような感じがして、本当に久しぶりにセンパイの世良さんとおでんやに行きました。お客のほとんどいない店でテレビを見ていると、ドイツ統一30周年みたいなニュースが映りました。世良さんが「それで近ごろドイツ映画のイベントとかいろいろあるんだ」と言い、ぼくは「それじゃベルリンの壁が壊れてから30年以上たつんだ」と驚きました。
その昔ベルリンの壁が崩壊して少し経ったころ、ぼくはまた別のセンパイと会って話していました。「まさか生きているうちにベルリンの壁が壊される日が来るなんて、思ってませんでしたよ」と言うと、かなり根っからの左翼であったその先輩は「俺だってだ」と笑ったものでした。そんな話をしていると世良さんは「何かにひっかけて書いてみりゃいいんじゃないの、ルー・リードのベルリンとか。最近あの紙(ナカノ日報のこと)も出してないだろ」と言いました。「ベルリンか…」と思いながら、そこには今ぼくが書けることはなさそうだなと思い、でも、書けよと叱咤してくれる人がいることが、ぼくはしみじみとうれしかったのでした。

「ベルリン」はずいぶん聞いたアルバムで、友人に内容の説明をしていて泣けて困ったこともあります。ベルリンの街を舞台として、富豪の息子である夫と性格破綻者である妻、そして同性愛者でもある富豪の息子を虜にする男ジムの三角関係…というか、そこで壊れていく者たちを描いた、まるで映画のサントラのような、言ってしまえばトータル・アルバムです。「ベルリン」という曲が冒頭にあるんですが、都会の雑踏に、これから始まるのが悲劇だと宣言するようなピアノが響き、「ベルリン/壁のかたわら/君は5フィート10インチ/とても素敵だった」と、つぶやくようなルー・リードの声が、かすかなメロディを伴って流れます。
このアルバムで「ベルリン」という言葉が使われるのはこの1度きりで、「ベルリン」「壁」というたった2つの言葉が、モノクロで寒々とした、石造りの街の姿を浮かび上がらせるのは本当にすごいと思います。

ベルリンの壁の崩壊を呼び寄せたボウイ

ところで実際にベルリンの壁が崩壊していったとき、この「ベルリン」よりもはるかに生々しくぼくに迫って来たのはデビッド・ボウイの「ヒーローズ」でした。1978年、このアルバムを完成させたボウイは、ツアーに出発し、その演奏は「ステージ」というライブアルバムになりました。同時にそれはライブ映像となり、日本でも放送されました。
「ヒーローズ」というのはアルバムであるとともにそのタイトル曲でもあるんですが、曲としての「ヒーローズ」は、明らかにベルリンの壁をモチーフとしています(ちなみにこの曲の「スタンディング・バイ・ザ・ウォール」というところは、先ほどの「ベルリン」に出てくる「イン・ベルリン・バイ・ザ・ウォール」というところに呼応していると思います。なにせボウイはルー・リードのアルバムをプロデュースしたこともあるわけで)。歌詞は例によってやや難解…「僕は王になり、あなたは女王になる…ぼくたちはただ1日だけ英雄になれる」といった具合で、ぼくなんか何のことか実はよくわかりません。ところがクライマックス「アイ・リメンバー」と歌い出してからの部分、これが恐ろしいほどぼくたちに迫ってくる。日本で放送されたライブ映像に入れられた訳詞の力がものすごいからです。

「ぼくはおぼえている/壁ぎわに立ち/銃弾が頭上を飛び交う中/ぼくたちはキスした/まるで何もないみたいに/でも心の向こう側では恥ずかしくて/ぼくたちはただ1日だけの英雄でしかなかったから」テレビで1度見ただけなので正確にはおぼえていませんが、ざっとこのような訳詞でした。訳者はロッキング・オンのほの暗い扇動者として、数多くの青少年を翻弄していた(ぼくも翻弄された一人だった)岩谷宏。彼の通例としてかなりの意訳です。誤訳と言ってもいいかもしれません。でもこれはぼくの心に焼き付きました。
ただ1日だけの英雄、それはデビッド・ボウイであり、その曲を聞いているぼくたちである。ベルリンの壁という、そこを飛び交う銃弾という、そこで引き裂かれているという、その壁を飛び越えることも打ち壊すこともできないという、現実。ミュージシャンにとっては、それをうたうことが唯一のコミットメントであるし、聞くものにとってはそれを聞くことが唯一のコミットメントである。それは正しい。まっとうである。だけど、いくら正しくても、それは恥ずかしいじゃないか。それを具体的に打ち壊そうという行為に対して、心の半分は、わかっていて眼をつぶっているじゃないか。そういう声を、ぼくたちは自分の中に焼きつけられた。

そのころロッキング・オンの誌上では岩谷宏に翻弄された青少年が「ぼくたちは現実から眼をそむけてロックに逃避している」といった投稿をし、一見ポップな提案者であった橘川幸夫が「ロックはぼくたちの現実そのものじゃなかったのか?」と異議申し立てをしたりしていました。ぼくは自分が言葉を書くということの意味がとらえられなくなり、どうしても何かを語らずにおけないほどの衝撃に出会いたいと右往左往するばかりでした。
で、実際にベルリンの壁がまさに文字どおり粉砕されたとき、ぼくはボウイのこのうたと岩谷宏の訳詞を思い出さずにはいられなかったわけです。ちなみにボウイは壁崩壊の少し前、西ベルリンの壁の前で東ベルリンに向かってライブをし、それがかなり直接にベルリンの壁崩壊をもたらしたことを、昨年末に再放送された「映像の世紀」で知りました。「ヒーローズ」は当然そこでうたわれています。

うたが現実を不意打ちにする

ところでそれから30数年後の2月24日、ロシア革命を頭の所から裏返すような形で(そうとしか思えない)ウクライナの戦疫が始まりました。ベルリンの壁の粉砕も、デビッド・ボウイのヒーローズも、ルー・リードのベルリンも、かき消されていくようでした。
その数日後、ぼくは3月1日に発売されたばかりのあがた森魚の「デラックス雷蔵」というアルバムを聞いていました。ここには1991年に発表されたCD「雷蔵参上」がリミックスで収められていて、ぼくは初めて聞くアルバムでした。アルバムの終盤、こんなうたが流れてきました。「バラライカ 三角ギター/ウクライナは 還(かえ)るのでしょうか/どうでしょか 三角ギター/ウクライナを 憶えてるでしょうか」(原詞ではバラライカはBalalaika、ウクライナは Ukrainaと表記)。おどろいて曲名を見ると「雪割草と青い麦藁」という曲でした。

さきほど書いたように、このアルバムはソ連が崩壊した1991年に作成されたものです。また、再発が決定したのもしばらく前のことです。ウクライナ侵攻への危惧はしばらく前から伝えられていましたが、それを受けて再発が決まったとも思えない。おそらく偶然のなせるわざなのですが、ぼくは何とも言えない感動を受けました。この曲は「若い兵士は 淡いRhythmの/雪玉の 音楽で/傷口を 癒すことも/出来ぬまま 故郷(くに)へ帰る」と始まります。「憶えてる 憶えてる 春を待つ 雪割の/若い兵士 そして/青い麦藁の 青かった空の上」という部分もある。あがたさんが何を念頭に作ったのか、今はどのような思いを持っているのか、まったくぼくは知りません。でも何か強い思いを受け取らずにはいられない。昔何かの本の中で、ソ連製の機関銃は、その形が似ているためにバラライカと呼ばれていたと書かれていたこともあり、ぼくにはこのうたが、まさにいまここにあふれている思いをうたったものとしか思えませんでした。

大昔一度だけチャップリンの「独裁者」を見たことがあって、その終わりがけのシーンは今も覚えています。ヒットラーにそっくりなために間違えられて独裁者の椅子に座らされた主人公は、自由や平和や寛容を訴える(だったと思う)演説をします。側近たちの不審げな表情から、主人公はすぐに逮捕される運命にあると思えます。しかしその演説は風に乗って、遠く離れたところにいる人のところに届く。その人の表情が明るくやわらいでいくシーンがとても感動的でした。

30年も前に作られたうたが、現在の悲惨に向けて響く。それも、うたい手でさえ予期しないかもしれない場所で、思いがけないきっかけで響いて行く。それがうたの力なんだろうと思いました。どんな気持ちでいようと、どんな思いを持っていようと、うたはそこにいる者の耳にいやおうなしに飛び込んできて、聞いてしまった人の中で響く。響き続けるなら、それを誰にも止めることはできない。うたった人にも、聞いてしまった人にもできない。聞いた人自身が鳴り続けるんですね。