まな板の上の鯛~手術当日ICU一日目
病院の朝は早い。
当日の朝は早く起きた。
朝ごはんも抜きなのでやることはないのだが、便を出しておきたいなと思って、ウンコでるでる体操をする。
術前もう一度シャワーをということで、出たらもう8時すぎ。
妻と母がやってきた。
妻は、相当に心配なんだろうけど、ぼくを不安にさせないため、負担にならないために努めて平静に振る舞ってくれている。
母は、本当に心配してないのか、今その話する?っていう話をするので全く耳に入ってこない。こちらも適当に返事をした。まあ、おかげでリラックスはできているのだから良しとしよう。
9時10分のお予約でしたので、9時ごろエレベーターで三階の手術室フロアへ。
フロアの前に見馴れた丸椅子が。
ラーメン屋の店先にあるアレである。
どうやら人気の手術室で混むこともあるらしい。
行列のできる手術室も今日はちょっと空いていて、二番目の丸椅子に座ると、すぐに呼ばれて中に入っていく。
そこでもちょっと待つ。
ラーメンなら期待に胸踊らす時間だが、今日は自分が調理されるというのだからイヤな時間だ。
ついに名前を呼ばれて妻や母と別れて、いよいよまな板の上である。
台の上に上がると元気よく名前とどんな手術をするのかを言います。
「○○某、心臓の手術をします!」
なんだか間抜けだ。
手術室はちょっと寒かったが、手術台の上はエアマットやヒーターで心地よい温かさだった。
心電図をつけたり、血圧計をつけたりして、静脈に注射をされると「だんだんボーッとしてきますからねー」と。
あまりにも段取りよく進むものだから、麻酔の前に気合いの入ったよく効くお祈りでもしようと思っていたのに(まあそんなものはないのだが)、あっという間に意識がなくなってしまった。
麻酔科医の術前の説明によると、麻酔をしてからもいろいろな管を通したりで準備に時間がかかるので、実際に始まるのは一時間後ぐらいとのことだった。
目が覚めるとICUにいた。意識を失った直後という感覚ではなく、不思議とそれなりの時間の経過は感じられた。
「自発呼吸も戻ってきたし人工呼吸器を外しましょう」というのが最初の呼び掛けだったが、これが一番苦しかった!
痰を除去するチューブで吸われたりしながら、気管に入ってくる異物に反射してしまって、体が勝手によじれる。すると切ったところが痛い!
これを書いている現在は術後4日目なのだが、ベストオブ苦痛はいまだにこれである。
ICU一日目、水は飲めないけど、口を湿らすのはよしということで水分を口に含んだ。
生きている。
そう実感した瞬間だった。
当日夜から食事が頂けるということで、ベッドの横に座って、お粥以外は普通のおかずの夕食をすべて平らげた。
食いしん坊万歳。
一日目の夜は、隣が急変の患者さんだったのか、けたたましく鳴る計器類の音で緊張してよく眠れなかった。
名前も存じ上げないお隣の方のために祈った。
自分の胸の傷の痛みに、主イエスの御傷を思ったとき、涙があふれた。願わくはこの方をも救う十字架でありますように。
緊張からか右肩が異常に凝って、傷の痛みよりひどく、痛み止を入れてもらったのが朝4時頃。
隣は静かになっていて、スタッフの方々の疲労感がどんより漂うのを感じながら眠りについた。
自分が生かされたことは、神にとってどんな益になるのだろうかと考える。
せっかく生かされたのだから、
しっかり結果を出し鯛。
そこには高慢や野心も見え隠れする。
せっかく生かされたのだから、
キリストが私を生きてください鱒。
信仰の世界では鯛より鱒の方が高級魚なんですよ。
ふと、誰かにそう教わったことを思い出した。
ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
[マルコの福音書 11:24]
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