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「ブラック支援―狙われるひきこもり―」を読んで

ひきこもりの人に対する大きな誤解が存在する。それは引きこもりが本人の能力ややる気の問題で、努力すればそこから抜け出せるということだ。

本書であるような引き出し屋という高額なお金をもらい、本人の許可なく、または恫喝などで無理やり許可を得るようなやり方で引きこもりの人を家から連れ出し、施設に入れ、急かして就職や社会復帰をさせる業者は存在する。このような一種のショック療法的な「治療」というのは引きこもりを抜け出すきっかけになるのだろうか。もちろんそれで社会復帰できて満足だという人はいるだろうが、そうでない場合が非常に多いのではないだろうかと思う。その証拠に本書では無理やり連れだされて突然死したケースや、悪質な業者に対して裁判を起こしているケースについて何件も描かれている。さらに引き出し屋は無理やり連れだして、本人に努力させるということを行うが、それの失敗は、むやみに努力すれば引きこもりの状態から抜け出せるということではないことを示している。

しかし、引きこもりの子を持つ親が行政などの公的機関に相談したが、話を聞いてくれただけで、「じっと待ちましょう。」「いつかやる気の出るときがくる」とだけ言われ、その言葉を信じ、何十年も時が過ぎてしまったというケースもたくさん見られるようだ。実際に動かない行政よりも、親や当事者が抱く不安の中、「われわれが解決します」という自信をもった業者に引っ張られてしまうのだろう。

引きこもりの原因というのは、あらゆる病気、人間関係のこじれ、幼少期の虐待、家族関係など多岐にわたる。人間はそれらが原因によって調子が悪くなるとたいてい引きこもるものなのだ。だからこそ引きこもりというくくりで支援を考えるということはあまり意味をなさないように感じる。

では家族や身の回りの人間が引きこもりになって苦しんでいるようならどのような対応をすればいいのだろうか。まずは本人のペースでやるということが大前提だろう。引きこもる場合というのは精神的にも体力的にもそうでない人より疲弊している場合が多い。そこに他人のペースを強いられたら、ましてや悪質な引き出し屋が行うような早急に就職をさせるようなことを強いられたら、すぐ体力切れを起こして悪い結果を生みかねない。就職などの分かりやすい結果だけを目標にしないというのは大事なことだろう。そればかり本人に求めてしまったら、それ以外に目が向かず、本来求めるべき本人の幸せや楽しみというものが見失われてしまう。その結果、状況が悪化し、最悪の場合自殺や突然死ということが起こりうる。

 結局「本人のペースであわてずに」という行政に相談して、「無難」に返される言葉に行きつく。それは引きこもり支援において非常に重要であるが、直接解決には結びつかないので、ここに引きこもりの支援という難しさを感じる。だからこそ福祉や医療の知識がない悪質な支援業者や引き出し屋ではなく、しっかりと専門知識をつけた人間がかかわる必要があるように思う。
 どのような支援をするべきなのか。答えはないが、意見を一つ述べたい。頼れる人間、弱音を吐ける人間、甘えられる人間を増やすということは重要ではないだろうか。引きこもりというのは家族と同居していても孤独で、疎外感を抱いている人が多い。まず孤独である状態というのはうつを加速させるから、それを解消することは大切だ。さらにそこから一歩踏み出して、甘えられる人間を増やすということで、安心できる場所を作り、本人が失敗してもそこにもどってきてもいいのだという安心感を与えられる。そういう下地があるからこそ、新たな一歩を踏み出す気持ちになるのだろう。専門的な知識をもった医者や心理士などはもちろん家族や友人などもそのような場所を作っていくという意識が必要なのではないかと思う。


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