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「教養とは?」対話カフェそもそも レポート#44

【開催日時】
2024年9月28日(土)
12:00~14:00

「教養がある人は○○である」
「教養がない人は□□だ」
このような言説をSNSなどでよく見かけます。
たまに教養のことでモメるケースも……。

教養を持つことの大切さが語られる一方、教養を持たない人への批判も目にします。

でも、そもそも教養って何なんでしょうか?
10代・20代で対話したレポートです。

はじめの問い、テーマに思うこと

まずはテーマについて抱いている問いや、思うことを挙げていきます。

「前提として、そもそも教養とは? 皆さんがどう考えているかを知りたい」

「教養があるってそんなに重要なこと?」

「教養がないとどうなるのか?」

「教養はどうやって身につける?」

これらの問いが挙がりました。

参加者の考える教養とは?

まず教養という言葉をどう捉えているか、ざっと話してみます。

「とっかかりとして、教養は知識より上位にある、というお話がありました。教養は知識に何か追加されているイメージですか?」

「知識はニュートラルなもので、教養には何かプラスのニュアンスが入っているイメージです」

「プラスされている何かの例はありますか?」

「具体的なものはうまく言えないんですけど、教養を持つことで思考や判断の視点が増える感じです」
「そして、より豊かな判断ができる。豊か、という言葉がしっくりきます」

「私は、物事を多面的に見て、どれがいいか判断できるような力のことなのかなと思います」

「偏ってない、みたいな?」

「そうですね。善と悪があったときに、どちらの論理も分かったうえで、多面的な判断ができる」

「二元論だけではなくて、って感じですね」

「昔だと、お互いの階級がどれくらいなのか、共通認識取るための言語のような側面もあったと思います」

「善と悪の二元論で捉えずに、というお話がありましたけど、私も同じようなことを思っていて。相手の気持ちに立って考えられる力、そこが一番素敵なところだと思う」
「知識も大事かもしれないけど、知識の奥底にある本質とか……思索の深さなのかな、と思ったり」
「相手のことをどれだけ考えられるか、それを下支えする人間的な基盤というイメージが強い」

「色を覚えると、虹の色が認識できるように……相手に対して、世界に対しての解像度が上がる。グラデーションが見えるようになってくる」
「そういう力が教養なのかなと思いました」

「虹の例え、めっちゃわかりやすいです」

「基盤と聞いて……「素養」って言葉あるじゃないですか、あれも何かをやるための基盤としての知識を指している」

「素養と教養はどっちが上位語のイメージですか?」

「素養が大きなカテゴリで、その中に教養がある」

「X(Twitter)で教養あるなしでケンカしているのも、二元論で戦ってるじゃん、って思います」
「じゃあもう教養じゃないのかな、って」

「教養は、AとBを分けるときの切り口の多さなのかな、と」
「例えばコーヒーを飲むとき、産地Aと産地Bがどう違うか、とか。ある物事を分ける切り口の多さなのかな」

「コーヒーの例え、わかりやすいですね。「自分はコーヒーわかんないからなんでもいいよ」って言う人は確かにいますね」

「知識があると表面的には教養がある、とされる社会になっていると思うけど、教養の質はそこじゃないのかな」
「本当に教養がある人は相手のことを否定しないと思う。そういう立場もあるよね、と流せる」

「知識量イコール教養ではなさそう。でも、知識はあったほうがいい?」

知らないほうがよかったこと、ある?

「そこは難しくて……自分は教養のある人になりたいと普段から思っていて。でも、知らぬが仏ってこともあるじゃないですか。知らなきゃよかった、ってこともあるので難しい」

「マンガのネタバレとか知りたくないですね」

「いわゆる一般教養とされるジャンルで、それを学んで「知らないほうがよかった」という経験のある方はいますか?」

「偏った人間になってしまった、という……」

「なるほど!」

「著者の思想がまるまるコピーされちゃうこととありえますものね」

「他に、一般教養を学ぶデメリットってありますか?」

「私は広く浅く知りたいほうなんですが、すぐに飽きちゃうので……専門的に突き詰めている人カッコいいなって思います」

「憧れますか?」

「憧れますね」

「さかなクンみたいになりたいですか?」

「あれくらい情熱持ってる人って強いなって思います」
「楽しそうだな、って」

「オタクの人って楽しそうだなっていつも思います」

「情熱と知識の螺旋みたいなのは確かに憧れますね」

「デメリットというか……例えばチョコレート生産のの裏では児童労働問題があって、とか」
「知らなかったほうが気持ちよく過ごせた、知ってしまったからモヤモヤしてしまうことはあります」

「それは知らないほうがよかったと思いますか?」

「いや……知らないままもどうかと思うので。でも、人によって分かれるとは思います」

「身近な話だと、好きなアイドルがいて、その人は実は……みたいな」

「知りたくなかった!ってやつですね」

「皆さんは一般教養を取り入れることは心がけてますか?」

「モノを知るのが好きなので、好きなことをやっていると自然と吸収してしまう」

「本屋に行くと隅々まで見ます。面白い本ないかな、って探します。でもあんまり買わない」

「気になる本をどんどん買えるほど安くはないですものね」

「面白い本ほど高かったり」

「では、とりあえず皆さんは教養を取り入れるスタンスでいる、ということかな?」

「ここで、教養ってそんなに重要か、って問いに近づくんですが……研究の話を調べたりすると、年を重ねたスペシャリストの研究者ほど、新しい発想が出てこなくなるらしいんです」
「知識がすごいので、大体の問題が持つ知識で片付いてしまう」
「まっさらな状態からポンとアイデアが出ることが少なくなる傾向があるらしいので、そのデメリットはあるのかな?と」

「狭い分野で深い知識を持つデメリットですね」

「教養って一生かけても有限なわけで、限界はあるはず。まっさらなところから出てくるものを失う」

「有限だと考えると、ゲームのステータス振り分けみたいに戦略が出てきますね」
「狭く深くか、広く浅くか」

スペシャリストは、教養があると言える?

「その、スペシャリストの研究者みたいな人は、教養があると言えるのでしょうか?」

「分野に関しては狭くても広くても、どちらも教養があるのかなと思います」

「私は、そういうタイプの人は教養があると言えないと思っていて……なぜなら、一面的になりがちだから」
「派生した分野もたくさん知っていたら教養あるなって感じはします」

「社会的には、タモリさんみたいな人が教養ある人とされていると思います。いろんなジャンルの知識と興味があって、物知りな人」

「マツコ・デラックスとかもそうですね」

「私は、教養のない人間はいないと思っていて。知識ひとつでも教養だと思うんです。その知識は、何かについて考えるときに他の知識を増やしてくれるはず」
「ある心理学の用語を聞きかじっていて、友達の悩みを聞いたときに役立ったのなら教養といえる」
「教養が豊かな人、と表現するなら、確かに広く知っていたほうがいい」

「大学によっては2年まで一般教養、3年から専門課程になるところもある。だから、教養と専門はよく対比されるのかなと思いました」
「なので、広く浅くが教養で、狭く深くが専門、というのが一般的なイメージだとは思います」

「知識量があることと、相手のことを思いやれるとか多面的に見られることが、どう繋がるのかがしっくりこない」
「どなたか説明できそうですか?」

「相手のことを思いやれるというのは文系の話だと思っていて……例えば文学研究で心情を読み取るとかは、人間の心に対する学問だと思う」
「歴史や社会も、人間がどういう心理でどう行動したのかを勉強したりしている」

「教養があると、楽しく遊べる。人生をより楽しめるイメージ」
「あとは、専門分野を目指したけどうまくいかなかったとき、教養があると選択肢が増える。人生の保険みたいな役割がありそう」

「さかなクンがもし魚を奪われたらどうなるんだろう」

「なかやまきんに君が筋肉を奪われたらどうなるんだろう」

「老いてしまって、パワー!って言っても映えない体になったら……違う何かを見つけていくしかない」

「教養があると、仕事と遊びの選択肢が増えると思います」

「聞いていて自分はスッキリしてきて。専門的な例をさっきは出したんですが、自分の中で変わってきて、教養はやはり広く浅くなのかな、と思えてきました」

「保険とか選択肢の視点だと、特化型ではなさそうですね」

「まだいろんなことが決まってないから、とりあえずいろんなことに手を出して興味の幅を広げる的な感じ」
「少なくとも大学の教養課程はそれだと思います」

「リスクヘッジみたいな側面があるわけですね」

「20才くらいで「これだけしか学ばない」と確定しちゃうのはもったいない感じ」

教養が増えたら、もっと楽しめることは?

「教養が増えたら、何かがもっと楽しめるようになった、という経験のある方いますか?」

「映画ですね。スパイ映画とか戦争映画とかが好きなんですが、この国の部隊はこうなんだとか、この武器はこういう機能あるとか、そういうの知っているとめちゃくちゃおもしろい」

「歴史映画とかは歴史知ってたほうが楽しめそうですよね」

「映画は総合芸術だからいろんな分野とリンクしますね」

「でも凝り固まってて口うるさい人います」
「SNSで映画について罵り合いとかしてるのを見ると、教養の汚い使い方だなと思います」

「リベラルアーツって言葉を調べたことがあって。日本語に訳すと「教養諸科学」で、諸々の学問って意味になる」

「しかもアーツって、芸術的な意味も、技術って意味もある。遊びと仕事の面がどちらもある」

「自分の中でいろいろ繋がってきたんですが……リベラルアーツって「人を自由にする学問」と言われることが多くて」
「知識が増えてくると新しい発想が生まれなくなるという話が載っていた本に、知識が増えるにつれて発想は増えていくけど、知識が一定ラインを超えてしまうと逆に発想が減る、と書いてあって」
「最初の増えていく段階が、人を自由にしている。選択肢も増えるし、技術を学べばできることも増える」
「こんな感じのグラフです。描いていいですか?」

描いていただいたグラフの再現

「この左半分が、教養ゾーンだと思いました」

「となると、そこの山の頂点でインプットを止めるのがベストかな」

「コンサルティングファームの考え方はこれらしいです。専門家では思いつかないところに、あえて素人のコンサルが入ることで選択肢を増やす」

「この横軸は、知識が深くなる意味ですか? 広くなっていくほう?」

「それで言うと深いほう、ですね」

「となると、分野を広げることはこの横軸が進むことにはならない」

「右端に行きすぎると、こうであるべき、みたいな主張がどんどん強くなってしまいそう」
「だから違う意見を受け入れるのが難しくなっちゃうのかな」

「べき論が増えちゃうんですね」

「ここまででどうでしょうか? 教養といえば、広く浅く、というイメージが共通認識ですか?」

全員頷く。

「多面的な視点、というのもどうやらキーワードのようです」
「では皆さんだいたい近い認識ということで、次の問いに進みます」

教養があるって重要? 教養がないとどうなる?

2つの問いを並行して進めます。

「問いを出した方に質問です。教養は重要だと思いますか?」

「人を自由にしていくという側面では重要だとは思うんですが……いろんな側面があって、ある側面では重要で、ある側面では重要ではない」
「私はモノを考えるのが元々好きで。人の気持ちを考えるときも、理屈ではないけど考えに考えて想像するみたいなタイプなんですね」
「でも、もっと素朴に相手の気持ちを想像できて、良い人もいる」
「そうすると、モノを考えたり知識で固めたりしなくても、素朴に正しいことができるのかな?という疑問からの問いだったんです」
「そういう意味で、教養は有限だし、有限なものをがんばって集めてもしょうがないのかな?という感覚です」

「私は重要だなと思ってます。自分は物事を考えるのが遅いほうなので、教養が無いと物事を一面的に見て判断してしまう」
「多面的に物事を見ながら、自分にとっていいことを探すには必要だなと思います」
「例えば政治家が「こういう施策やります」とテイのいい話をしたとき、その裏では……みたいなことは結構あると思う」
「ちゃんと自分自身が、自分自身の価値観で物事を判断するためには、教養が必要だなと思います」

「表層しか見えないのはあまりよくなさそう」

「私も総合的に見たら重要と思ってるんですが、ひとつ思うのは、教養が無くても騙されない世界がいいな、って」
「そういう理想の話をしちゃってるところはあります」

「教養が無い人は騙されやすい世の中ではありますね」

「不動産とか金融とか、とくにそう」

「マナーとしての教養も、人間同士が思いやって暮らしていればあんな形式はいらないはず。理想の話ですが」

「知識があったほうが選択肢が増えるのは、綺麗な世界でも変わらないと思います」

「子どものころは意識しなくても騙されることがあまりないけど、大人になると必要になってくる」
「世知辛いですね」

「知っていないと自分を守れないから、教養は自分を守るものでもある」
「教養の機能はたくさんありますね」

「ただ、なんとなく「教養は重要だけど……」みたいな感じで歯切れが悪いのはなんなんでしょう」

「私は教養がある人になりたいと思ってはいますが、正直、本当に重要なのかはわからない」
「例えば、田舎で畑を耕して生計立ててる人って、むしろ教養は無いほうが幸せかもしれないと思っていて」
「自然に囲まれて、人間らしい暮らしをしていたら別に無くても……」

「コーヒーの知識や、ドラッカーの知識がなくても、問題はなさそう」

「変に教養身につけちゃうと話題が合わなくなりそう。逆に孤独になってつらかったりとか」

「住むコミュニティ変えるしかなくなっちゃいますね」

「生活スタイルに適した教養、みたいなのがあるのかも。それとも逆で、教養から生活スタイルが決まるのか」

「私が教養を求める動機は、せっかく人間として生まれたから、知れることは知っておきたいな、と。いろんなことを知るのが好きなので」
「知的好奇心のモチベーションだけで教養ある人になりたいなって」

「知る喜び、学ぶ喜び、みたいなのははっきりと感じますか?」

「はい、あります」

「単純に、知ること学ぶことは楽しい」

「あと、さっきのグラフの左半分、発想が起きやすいときに、違う領域と違う領域が繋がったりする。これは結構楽しい」
「本質を垣間見た瞬間みたいな感じ」

教養はどうやって身につける?

何をしたら教養が得られる?

「私の普段のスタイルは、とにかく知識を頭に投げ入れる。すると、勝手に繋がっていく」
「単体の知識を入れていくと、体系ができあがるイメージ」

「どんな媒体から知識を得てますか?」

「いろいろですね。YouTube、本、ネット記事とか」

「YouTubeとかだとかなり偏った意見もあるから、そこは怖いですね」

「私は本が一番良質な媒体だとは思うんですが、苦手なんですよね……。積読めっちゃ多いんです。すぐ飽きちゃって」
「なので最近はYouTubeで気になることを検索して見たり、あとPodcast聞くの好きです」
「本読むの本当に苦手で」

「10冊買って、読了するの何冊くらいですか?」

「2冊読めるかとか。他のことが気になっちゃう」

「残りの8冊が実はつまんないのかも」

「買ってみたら思ってたよりつまらない本、ありますよね」

「表紙だけすごくいいとか。ありますね」

「今の時代に生まれてほんとよかったなと思います。いろいろな情報を映像で見られる。映像のほうが理解しやすかったりする」

「私はあと、ChatGPTです。わりと使います」

「ちなみに、どういう分野で?」

「IT分野とかで知らない単語が出てきたら、とりあえず聞いて、説明してもらう」
「ただ、本当に専門的になってくるとめちゃくちゃ嘘をつくので。本当に最初のほうしか使えない」

「間違ってるって指摘したら謝ってくるんでしたっけ?」

「謝ってきます。謝って、また違う嘘を……」

(一同笑)

「専門すぎるとダメですね」

「YouTubeの情報の信頼度はどこで判断してますか?」

「配信している人の経歴とか、ですかね」

「私は、YouTubeを見るときは同じトピックでもいろんなのを見て、その中で共通なものを取り入れる。それなら概ね正しい」

「まったく知らないジャンルは、いきなり本じゃなくて動画コンテンツで見て、大枠を掴んできたら書店や図書館に行くようにしてます」
「本を読むときも、通読せずに、気になる章だけ読むとか」

「いきなり本からだと入りづらいときありますね」

「ただ、本当は本が読めるようになりたいです」

「洋書の翻訳本ってすごい読みづらいときありますよね」

「長かったり」

「結構ストーリー入れがちですよね。娘が〜とか」

「前置きエピソードめっちゃ長いのよくありますね〜」

「私は本を読むほうなんですけど、人のお薦めを読んで広げてます」
「近い人からだったり、この人の薦める本はいつもおもしろい、って人をネットで見つけたり」

「身についている実感はありますか?」

「最近結構あります。歴史の話とかもだいたい大枠わかってきたな、とか」
「ただディテールはカットされてるところはあるので、そこはゆくゆく調べたい」

「とりあえずざっくり学ぶ、っていいですよね」

「ざっくり学んでおいて、自分の中にタネを植えておくイメージです」
「あとで発芽したタイミングで旬が来るので、その旬が来たら、しっかりやる」

「全然知らないジャンルに手を出すきっかけとかはありますか?」

「私はNHKのコンテンツを見るのが結構好きです」

「時事問題とかはどこで見てますか?」

「ネットニュースとかニュースアプリです」

「さっきのコンサルファームとかに興味を持ったのは、大学で研究を始めてから。研究のやり方とか書いてある本を探して、知ってる作家の本があったのでそれを手に取った」

「映画もかなりいいですね。SFとか戦争ものとか」
「あとドキュメンタリーも結構好きです」

「自分も映画はかなり広がるなと思っていて。映画はテーマがあって、その裏の日常まで描かれる。その日常が想像と全然違ったり、別の国の話だったりするので。盲点を突かれる感じ」

「映画の解説動画とかも見ますか?」

「見ますけど、きちんと自分の中で整理してから見るようにしてます」

「映画とかドラマを見た後、SNSで自分と同じ感想を探す人が多い」

「似たようなことで、YouTubeのコメント欄に検索機能があればいいのになと思います」
「同じこと思ってる人いないかな、って探したくなる」
「エンジニアがんばってくれ、って思ってます」

「まったく関わりのないジャンルに飛び込むことってありますか?」

「自分はわりとやるほうかもしれない。急にやったことないスポーツやってみたりとか」
「自分の頭の中に「知識の勢力図」みたいなのがあって、ここを持ってないなと思ったら行きたくなる、みたいな」

「すごいわかります」
「バランス偏りすぎたくない、っていうのがすごくあって。元々文系寄りなんですけど、意識的に理系のことをいれようとしたり」
「例えば生き物のこととか全然知らないから、今朝も「コモドドラゴンの生態」の映像見てました」
「見てみるといろんな発見があっておもしろい」

「私が戦争映画とか好きなのもそれなんです。平和な現代日本で勉強ばっかりしてるので、危険な場所で戦闘してる人間が何考えてるのかな、とか」

「知識を広げる方法として、もうひとつ……引用になるんですけど、
チクセントミハイという研究者が言ってたのは、「イノベーションは移動の距離に比例する」」
「物理的な移動もそうですけど、分野的な移動も含めて、より遠いところに移動しているほうが新しいアイデアが出やすい、という話をされてた」
「それこそ、行ったことない場所に行くとかも、教養が広がると思います」

「確かに、行ったことのない街に行くとすごい刺激になりますね」

「教養で相手を思いやる、という話で思い出したんですが……Twitter(X)見ていて「学習ノートくらい子どもに買いに行かせたら?」みたいなコメントに対して「都会の発想だなあ、うちはクルマに乗らないとノートが売ってない」と言っている人がいて」
「SNSでそこまで相手のことプロフを見に行くのも大変ですけど、子どもが一人でノート買いに行けるのが日本では当たり前という認識は、狭い世界しか見えてなくて、相手のことを思いやれないのかな?と」

「これは難しいですね」

「ここまで聞いてくると、知識量の意味での教養と、行動の基準としての教養と、大きく分けてふたつあるように思いました」

「思索の深さって、どれだけ考えてるかだと思っていて。でも、知識があったほうが、思索がいろんな方面に拡散しやすくていい」
「学習ノートの話は、がんばれば「田舎に住んでる人もいるかも」ってなるかもしれないけど、たぶん私だったら無理なので……」
「でももしかしたら、都会生まれでも田舎の人の伝記やドキュメンタリーとか本とか映画を見たりして知識があれば、多少は想像力が広がりやすい」
「そして相手を思いやれる確率が高い」

「こうかもしれない?と思えるには知識がいる?」

「マストではないと思いますけど、あったほうがいいんかな?って感じです」

「知識があれば必ずそこに思い至るわけじゃない」

「たまに小説を読むんですけど、例えばセクシャルマイノリティの方の小説とかだと、こういうこともあるんだみたいに解像度が上がる。どういう考えなのかもイメージしてみやすかったり」
「もちろん深いところまではわからないんですけど、とっかかりにはなる」

「そういった判断とか行動に役立ててこそ、知識は教養になるのであって。知識をたくさん仕入れてTwitter(X)でマウント取るだけに使ってるのは、教養があるというより知識を蓄えてるだけのような」

「行動に役立ててこそ知識は教養になる、いいワードですね」

「持ってるだけではただの知識、ってことですね」

「私もまったく同意見なんですが……ただ、教養の成り立ちってマウントを取るためな気がしていて」
「階級社会で、低い階層は食糧とかを生産していて、上級階層は暇になったから教養でも身につけるか、って感じで成り立っていて」
「それがステータスになって階級が成り立っていて、保たれる側面もあるので……すっごい難しいなと思いました」

「ギリシャ・ローマ時代に、下の階級がアートをやってるか、といえばやってないですものね」

「やる余裕もないし、やる必要もない」
「でも、私も「純粋たる教養」は、マウントとして使うんじゃなくて、良いことに使ってほしいなと思いました」

「現代社会では階級社会のために教養が使われているのは否めない」

「為政者からしたら、そのほうが社会の秩序を保ちやすいんでしょうね」

「教養のメインの意味合いとしては、昔の階級バリバリの時代から、誰でも知識が身につけられる現代までで意味合いが変わってきている?」
「階級の定める意味合いから、賢い判断をするためのものとして……」

「どうなんでしょうか、私もそこまでは詳しくないのでわからないですけど……」

「いま生きていて、「教養格差」みたいなものは感じますか?」

「そこまでは感じない……義務教育を受けてるのは大きいと思うんですよね」
「教育制度が未発達の国とかだったらあるんじゃないかな?って」

「普段は感じないですけど、それは普段会う人たちが偏っているからかもしれない」
「例えば、居酒屋とかで隣の卓がすごい政治で偏った話してて、とか」
「そういう人たちと交わらないからだけかも」

「前にニュースで、若い女性が子どもを駅のトイレに産んで捨てて、そのあと当たり前のように暮らしてたというのがあって」
「そういうのを聞くと、明らかに格差はある気がする」
「先天的な何かがあったかもしれないけど、そうじゃない側面とかは、まさに教養格差だと思う」

「誰かに頼るとか、相談するとかもできなかったのかな」

「そのあとに普通に生活してる感覚も、理解が難しいし……」

「いわゆる貧困層と、ある程度の相関はありそうな気はします」

「想像を絶する領域が実はあるんでしょうね」

「成人して、時計の読み方がわからない人のドキュメンタリーとか見たことあります」

「日本社会ではある程度教養がないと、騙されるし……難しいなと思います」

「身近では、マウントのツールとして使われるのはよく見ますね」

「専門になればなるほど、その分野の全能感みたいなのが味わえたりしますし……」
「この領域で間違ってる人は許さない、みたいな」

(一度笑)

「見かけますね〜」
「SNSだと、間違ってる人を検索して捕まえに行けますものね」
「ネットがなかったら他の人の間違いなんて見えないので、SNSがあるからマウントですね」

「電車に乗ってて、周りの人が何考えてるかなんてわかんないですものね」

「マウントツールとして使われるのは仕方ないところ」

「さっきの、頭の中のマップが広がっていくとか、すごいわかるんですよね。単純に気持ちいい」
「教養が広がることは、、マイナスよりもプラスのほうが大きい気がする」

「いろいろ考えてきたけど、なんだかんだ言って、プラスのお釣りが返ってくるのかな、って感じです」

「功罪あるけど教養はあったほうがいい、というところは皆さんの共通かな」

対話を振り返って

残り3分。一言ずつ感想をいただきました。

「教養を広げるってことが、今日のこの場もそもそもそういう場でもあると感じました。教養とは?というところから、多角的な観点で、共有しあいながらお互いの視点を広げられたな、と思います」
「教養が広がった感覚です」

「皆さんのいろんな視点が聞けて楽しかった。ありがとうございます。私としては、フィールドマップの足りてないところを繋げる性格からすると、すごい貧困の人たちとかの想像を絶する層が、まさにブラインドゾーンなので、改めて知りたいなというモチベーションが湧いてきました」

「結局、教養とは何かはわかんなかったんですけど、思索は本当に深まったのでよかったですし、この問いを今後も自分の中で育てていきたいなと思いました」

このあたりで時間いっぱいとなりました。

ファシリテーターの思うこと

教養の定義に始まり、教養の機能や、教養の身につけ方を話し合いました。

主に機能の部分では、多面的な視点が得られる、人生が豊かになるなど、ポジティブ部分が言語化されていったように思います。

頭の中のマップが広がったり、知識と知識が繋がる気持ち良さは純粋な楽しさだと改めて気づきました。

行動が伴ってこそ、知識は教養になる。
行動するときのために、今後も教養を増やしていきたいと思います。

参加してくださった皆様、ありがとうございました。

次回の開催案内

次回は2024年10月12日(土)開催。
テーマは「女性の生きづらさとは?」です。
女性限定のイベントです。
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