台湾に四国霊場が存在した!「台北新四国八十八ヶ所霊場」
台湾はかつて日本が統治しており、その時代には写し四国が存在していました。
台湾も四国八十八ヶ所も大好きな私でさえ、今までこの事実を知りませんでした。ネットで検索しても情報は非常に少なく、このことを知っている人はほとんどいないのではないかと思います。
逆に言うと興味のある人も少ないだろうと思いますが、今日はこの話をしたいと思います。
日本人にはほとんど知られていない台北新四国八十八ヶ所霊場
私は四国八十八ヶ所を歩いて巡拝したことがあり、また台湾も大好きなので、たまにYouTubeでそんな動画を見ていた時に、おすすめで出てきた動画に驚愕しました。
台北新四国八十八ヶ所・・・・。目を疑いました。
日本でも愛媛大学などで一部研究者がいるようですが、台湾にも同じく日本統治時代の歴史を研究している人たちがいます。そんな人の動画でした。
早速調べましたが、情報は非常に少ないです。特に日本語のサイトやブログは非常に少なく、調べるのも難儀でしたが、わかったことがいくつかあります。
1925〜1945年まで存在していた
四国霊場の各札所のご本尊を彫った石像が88体造られた
88体は台北市内の寺院や観光地の道路脇などに設置された
88体の内、現存が確認されているのは現在33体
1番札所であった新高野山弘法寺(現在の台北天后宮)から88番札所であった北投鐵真院(現在の北投普済寺)まで、全長は50キロ以上はありそうです。
台北の西門から市林へ、市林から陽明山に入り、竹子湖あたりから北投へ下山していくコース。
台湾でも日本と同じように、白衣を着て、菅笠を被り、金剛杖を持って巡拝したそうです。お遍路ツアーも存在していたようですし、お接待の文化すらあったと言うから驚きです。
写し四国
写し四国は地四国、準四国、新四国などとも呼ばれます。
四国八十八ヶ所を模した巡礼です。
四国八十八ヶ所霊場が日本全土に広まったのは江戸時代だと言われています。しかし当時、四国から離れた場所に住んでいる人にとって、四国まで行くことすらほぼ不可能でした。
そのため全国各地に四国八十八ヶ所を真似た八十八ヶ所霊場を創設したのです。
今でも少なくても130以上の写し四国が日本各地に残っています。
しかし台湾にもあったとは全く想定外でした。確かに台湾は日本であった時代がありましたので、その可能性は十分あったのです。
台北新四国八十八ヶ所の石仏を見てきます
実は今月19日から2泊だけですが、台北に行く予定だったのです。その間の予定は全て決めてあったのですが、台北新四国八十八ヶ所のことを知ってしまったからには、可能な限りの場所に石仏を見に行く予定に変更しました。
全て予定通りに行くことができれば20体は見てこれると思いますが、予定が超詰まっているので、予定通りに行けるかは微妙です。
その内容については私のブログ台湾ウォーキングにて記事にする予定です。
10月末から11月にかけて4回ほどに分けて掲載予定ですので、滅多にいないと思いますが、もし興味のある方がいたらぜひご覧ください。
まとめ
初めてYouTubeに感謝しました。四国八十八ヶ所や台湾の動画を見ていたからこそおすすめに流れてきたのでしょう。
台北新四国八十八ヶ所をまともに日本で紹介するのは、恐らく私が初めてになると思います。四国八十八ヶ所を実際に歩いたから私だからこそ書ける記事。第1回目は今月末に掲載予定です。
このnoteを見たどこかの誰かが楽しみにしている、と思い込んで台北に行ってきます。
(追記)
台北に行ってきました!詳細は下記をご覧ください。
電子書籍にまとめました。
「台北新四国八十八ヶ所霊場:残された石仏を訪ねて」
ブログでは言及していないことも記載し、画像も増やしています。興味のある方はぜひ読んでみてください。
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