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安い弁当がうまくなる理由

それは、好きな人と共に食べるからに尽きる。

ここ最近、台湾でクレジットカードを3度も申請したのだが、3度とも審査が降りなかった。
どうやら外国人はクレジットカードの審査が厳しいためらしい。
大手企業で働いていたり、一定の期間安定して経営されている会社で働いていたりしなければ、なかなかクリアしないそうだ。
今回は3度目の正直となるかと期待したが、申請してわずか3日で失敗を告げられた。
しかも今回は、自分が日本語を教えている学生さんの中に銀行員がいたので、その人に頼んで申請してもらったという、なんとも期待が持てそうな条件で申請したというのに、やっぱりダメだった。

こんな時に、もし、自分1人で生きていたらかなり落ち込んでいたと思う。
今も少し落ち込んではいるが、私基準ではかなりマシだと思える。
精神的に参って1人でぐずぐずしていた時期は、何かあった時の落ち込み方がひどかった。
1つ気になることがあったら、木にネジをねじ込むように考え続け、そのドツボにハマって出られない。
その停滞するだけのループから抜けられたのは、彼氏さんが他人を信じるということを教えてくれたからだ。

あの人は、初めて恋をするように、私に恋をしてくれた。

私は30、向こうは31。
色々な経験や、傷を負っていても不思議では無い年齢だ。
それなのに、恐ろしいほどまっすぐに私に恋をしてくれた。
傷つくことが怖いはずだ。
傷ついた経験だってあるはずだ。
それなのに、恐れず、透明な心で私を愛してくれた。
信じてみようと思えた。
信じたいと思えた。
彼の恋から、私への信頼が見えたからだ。
私を信じている彼にとって、私に恋をすることは決して怖いことではなかったのだ。

他人というのは不思議で、ふとした瞬間の何気ない触れ合いが、天から舞い降りた「救い」になることがある。
例えば、日本語の授業終わりによく質問をしてきてくれる学生さんが、「今から日本語言うね!伝わるかどうか聞いてみて!」と言って日本語を話してくれたり、眉間に皺を寄せがちな会社員の学生さんが、授業中にマスク越しでも分かるようなかわいい笑顔を見せてくれたり...。
こんな風に他人は、私が予期していない瞬間に心をまっさらにしてくれる。
どれほど悪臭の漂うドブのような心でも、すっと軽く白くなる。
それは、少なくとも、他人のそういった行動と瞬間を私は心から信じているからではないだろうか。
他人を信じているその瞬間に、心がぬくもるということなのではないだろうか。

いま、いちばん近い他人の存在が、私の心を穏やかに支えてくれている。
私を信じさせてくれた彼氏さんだ。
彼氏さんの笑顔を見るたび、愛情を浴びるたび、好きだなと思う。
一緒にいるだけで、そんな瞬間が積み重なる。
きっと一瞬一瞬を、知らず知らずに信じているからこそ、君と食べる弁当は、あんなにうまいんだろう。

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