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ある日本人のうちの黒猫(雑記)

 吾輩のうちには猫がいる。名前は小福だ。
 なぜそんな名前をつけたかというと、本当はたくさん幸せが来るように大福と名前をつけたかったが大というほど大きくないのと、黒いのでいかにも大福という見た目ではないのと、あとは我が家の真横に設置してある洗濯機の裏で子猫を生んだ猫だから、洗濯機にちなんで「ふく」というのがいいんじゃないかというのと、まぁ諸々理由がある。それで結局「小福」という名前に落ち着いた。

 「小」という字が中国語でちゃんとかさんとかそれに近いニュアンスで子供や動物を呼ぶのに使ったりするから、台湾に住んでても違和感がなくていいかと思ったのだが、台湾人の知り合いにこの名前を中国語の発音で紹介すると、大抵不思議な顔をされる。「中国語で名前つけたの? 入境隨俗(郷に入っては郷に従え)だね」とか、「なんで小福? 黒いなら小黑でしょ」だとか。彼女を拾ったあとに『羅小黑戰記』を見たので、小黑も悪くなかったかも、とは思ったか、あれはオスだし空間を操られても困るのでやっぱり小福でよかったと思っている。ちなみに、動物病院のお姉さんからは速攻で「阿福」とあだ名をつけられた。なぜだ。

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 小福は夏頃に、洗濯機の裏で4匹の子猫を出産した。私と隣人が彼女と子猫たちを見つけて保護したのが7月の上旬で、保護した猫たちを病院に連れて行ったところ医師は子猫を大体1ヶ月、と言っていたので、単純計算で6月に出産したことになる。

 彼女は当初ただ「黒猫」と呼ばれていて、そのフロアの彼女が常駐しているあたりの住人たちが気まぐれに餌をやっていた。かくいう私も、ちゅーるのようなおやつをあげて、一時の交流を楽しんでいた。

 その頃はまだ、この猫を飼おうとは一切思っていなかった。布団に寝転がりながら、ケータイで「台湾」「保護猫」と検索していたくらいだった(後述するが、これにはちゃんと理由がある)。事態が変わったのは数日後、洗濯機の裏で明らかに成猫でない声がピイピイと泣いているのに気づいてからだ。私は玄関の前に猫の餌をおいていたご近所さんを捕まえて、洗濯機の裏に子猫がいることを伝えた。その頃はまだ彼とは直接の知り合いではなかったので、大変申し訳ないのだが、私はこのご近所さんが屋外で勝手に猫を放し飼いにしている悪い人だと思っていたのである。

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 話してみたところ、彼は猫の飼い主ではなかった。そして悪人どころか、この上ないほど良い人だった。彼は私から子猫の話を聞き、なんと次の土曜日には、私達の部屋の向かいの空き部屋を2ヶ月間レンタルしてしまった。そして、猫の親子をその一室にまるごと移したのである。驚きの行動力だった。

 こんな具合にして、私達は猫の世話を始めた。幸いにも母猫がいるので、24時間つきっきりで子猫の面倒を見る必要はなかった。毎日朝昼晩とカリカリを補充し、水を入れ替え、猫のトイレを掃除し、子猫に乳離れとトイレを徐々に覚えさせていった。子猫たちが無事トイレと固形物の食事を覚えたところで、うちの会社の社長などにも協力してもらい、猫たちの里親を募集した。そうして子猫全匹の里親が見つかり引き取られていった所で、私は母猫を我が家にお招きすることにした。世話をし始めてから、大体2ヶ月弱ほど後のことである。その間にすっかり情が移って、別れ難くなってしまったのだ

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 これはご近所さんも一緒だったようで、私が引き取らなければ、彼が引き取るつもりだったといっていた。ただ、彼の家にはもう既に先住の猫がいる。私達が住んでいるアパートの部屋は個人向けのためお世辞にも広いとは言えず(だからこそ部屋一つ借り受けるなんて芸当ができたのだ)、猫2匹が住むにはちょっと不向きである。というか、1匹住むにもちょっとアレだ。子猫の里親さんたちは話を聞いたところによるとみんな大きなお宅にお住まいのようだったので、これはちょっと、母猫に申し訳なかった。

 母つながりでちょっと思い出したのだが、この猫一家の話を日本に住んでいる母に話したところ、何度となく「里親はもう探したのか」と問われた。自分自身さえまともに養えないような娘の生活その他諸々を案じてのことである。

 私自身もまともな生活を送れていると胸を張って言えるほどの自信がなかったので、あえて主語をぼかして「うん、次々貰い手が見つかってるよ」とだけ伝えておいていた。それが、ある日母から唐突に「あんた猫引き取ったでしょ」と言われた。引き取ったと言ったらきっととやかく言われるだろうと思い、次に母が台湾に来るまでは黙っていようと思っていたのに、なぜかだいぶん早くにバレてしまった。母親というのは、げに不思議な生き物である。

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 不思議といえばもう一つ、この母猫、小福が一体どこからやってきたのかという話だが、決して外からやってきたと言うわけではない。と言うのも私たちが住んでいるアパートは上の階に登るためには必ずセンサー式のキーを使う必要があり、非常階段も上から降りる場合しかドアが開けられないようになっているためだ。確かに他の人と一緒にエレベーターに乗り合わせた時は「幾樓(何階?)」などと尋ねて自分以外の人の階のボタンを押すこともあるが、流石に小福が「すいません、4階まで」と言ったとは思えない。

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 これは後で聞いた話なのだが、小福は元々、このアパートに住んでいた住人が飼っていたらしい。それが引っ越すにあたり、猫を置いて行ったのだそうだ。きっと新しい引越し先はペット不可だったのだろう。ペット可のアパートは、実はなかなか珍しい。

 そうした思い出があるからか、小福は置いていかれるのを嫌がるきらいがある。例えば、夜中に私がコインランドリーに洗濯に行こうと家を出ようとすると、小福は慌ててドア口まで駆け寄って来る。私がドアの外に出ると、でかい声で鳴き叫ぶ。住人全体がペットには割と理解があることに加え(ペットを飼っている人がかなり多いので、お互い様というやつなのだ、多分)、意外にも防音が結構しっかりしているため、今のところは文句を言われたことはない。が、廊下に立つと悲壮な声音で鳴いているのが漏れ聞こえてしまうため、やっぱりちょっと気まずい。小福もまだまだ1歳くらいの若い猫らしいので、歳を追うに連れてもうちょっと落ち着きが出てくるといい。

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 そんな小福であるが、一度膀胱炎になってしまったため延び延びになっていたのだが、とうとう本日、避妊手術にいくことができた。この手術は私にとっては何かの儀式にも似ていて、小福がいよいよ本格的に我が家の猫になったのだな、と実感した。そして、私はこの子を責任を持って幸せにしてやらねばならないのだと痛感した。

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 実家の猫は物凄い長命で、私が小学生の時に拾ってきてから、23年間もの間を我が家で過ごした。社会人になってから家を出た私より実家に住んでいた期間が長いという、スーパーおばあちゃん猫だった。老衰の上の大往生だったので、訃報を聞いた時はもう「長年ありがとう、お疲れ様」という気持ちだった。それを当時通っていた言語センターの先生に話したところ、「それは”解脫”だね」と言っていた。その言い方が妙にしっくりきたのを覚えている。

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 確か、現在まだ生命活動を続けている猫の長寿のギネス記録は、25、6歳だったように思う。すでに旅立ってしまった猫も入れると、確か32歳かそこいらだった。小福にもぜひ、ギネスブックに乗るくらい長生きして欲しいものである。

 そんな話を台湾人の女友達に話したところ、「じゃあペット保険に入っておいた方がいいよ! 私が調べておいてあげるね!」という超現実的なアドバイスを頂いた。まさかそうくるとは思わず、私は笑ってしまった。小福は台湾の猫だから大丈夫だとして、日本人の私は、台湾の保険には入れるんだろうか? まぁ台湾って金がものを言うところあるし、多分大丈夫だろう。そんなわけで目下、人間より先に猫の方が先に台湾の保険に加入しそうな、今日この頃なのである。

台湾在住者による台湾についての雑記と、各ウェブサイトに寄稿した台湾に関する記事を扱っています。雑記については台北のカフェが多くなる予定。 そのうち台北のカフェマップでも作りたいと思っています。