見出し画像

【台湾の美術館巡り】2023年梅樹月の展示会「山行譜曲」を見よう!


李梅樹紀念館2023梅樹月展期

展示会が始まった時、友人と一緒に三峡(サンシャー)に半日観光をしに行きました。今回のテーマは「山」であり、台湾の山岳地帯は全体の2/3以上を占めており、台湾を表現するには山が最適ですね!
日本のお客様を案内するたびに、私たちの山脈を誇りに思って紹介しています。標高3952メートルの玉山は、日本統治時代に「新高山」という別名がありました。それは日本の富士山よりも高いため、日本人も絶対に「新高山」という名前を聞いたことがあると思います。太平洋戦争中、日本が真珠湾を奇襲攻撃した際の暗号「ニイタカヤマノボレ」は、実は台湾の玉山を指しており、しかも、当時の中継放送所は以前住んでいた長崎の佐世保市でした。

コロナ後に実家の嘉義に戻り、いくつかの阿里山ツアーを行ってたことがあり、何故か私は会社の阿里山ツアーに詳しいガイドになってしまいました。阿里山は複数の山脈から成る地名であり、以前は中学校の修学旅行で強制的に阿里山を登らされることが大変でしたが、前回の会社の研修で山に2日間泊まり、日の出を見た後、今では阿里山が大好きになりました。今ではどのルートを登れば苦痛を感じないかも知ってきました。

今年の梅樹月(メイシュユェ)では、「山行譜曲」を展示のテーマとし、展示は3つの部分に分かれています。まず、記念館内では「雲巅麗彩(うんてんれいさい)」と題された画家たちの絵画作品が展示されています。また、「方寸之間」のコーナーでは、日本統治時代の博物学者や写真家たちの撮影作品が展示されています。最後は、屋外展示は台北大学三峡キャンパスまで広がり、作品の大きなプリントが北大草原に展示され、一般の人々が楽しむことができます。

今回の展示では、本当に宝物を発掘したようです!多くの画家が参加していて、合計18人の画家が入っており、李梅樹、林玉山、楊三郎、劉啟祥、許深州、陳澄波、丸山晚霞、真野紀太郎(1871-1958)、石川欽一郎、矢崎千代二、金森南耕、川村曼舟、岩田秀耕、代谷耕外、足利源一郎(1889-1973)、小早川篤四郎(1893-1959)、多多羅義雄(1894-1968)、松ヶ崎亞旗(1989-1939)が含まれています。みんなが同じ山を描いていますが、それぞれに異なる風味があります。例えば、太魯閣峡谷。それぞれの作品は、いくつかは力強く、いくつかは孤独で壮大に描かれています。太魯閣峡谷は私が子供の頃には理解できなかった美しい場所であり、大人になってからはずっと訪れたい景勝地の一つになりましたね。

「方寸之間」という展示エリアでは、博物学者の森丑之助、中井宗三、岡田紅陽(1895-1972)、方慶綿などの写真作品が展示されています。森丑之助と中井宗三は、台湾の風景解説書を共同で出版し、台湾の多くの特殊な植物を記録しています。また、台湾では当時の発見者の名前を植物の命名に使用することもあり、例えば「森氏杜鵑」や「鹿野氏馬蘭」などがあります。

今回、特に貴重なのは、写真家岡田紅陽が初めて台湾で展示された写真作品を見ることができたことです。この方は38万枚もの富士山の写真を撮影したことで知られており、皆さんも必ずに彼の写真を見たことがあるでしょう。今、1000円札を取り出してみてください!その数字の面に写っているのが彼が撮影した「湖畔之春(こはんのはる)」です。彼は日本だけでなく、台湾でも無数の山の写真を撮影しており、私は彼の「邁向次高山」という写真が特に好きです。そこでは原住民が険しい山壁を歩いている姿も見ることができます。山梨県には岡田紅陽美術館があり、いつか必ず訪れたいと思っています!

岡田紅陽《邁向次高山峰》、李梅樹紀念館で撮影

その日に最初は自分自身で見ていましたが、その後に館内のボランティアガイドの素晴らしい案内に引き込まれました。ボランティアガイドは深い知識を持ってあり、芸術史を研究するのに多くの努力をしていることが見えます。彼の説明は豊富で、作品に対する自身の視点を適切に説明し、絶妙な案内でした。これまで聞いた美術案内で最も素晴らしいガイドだと思います!


李梅樹記念館
住所:台湾新北市三峽區中華路43 巷10 號
Web:https://limeishu.org.tw/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?