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親孝行という大きな決断。

こんばんは。

川副泰門(かわぞえ たいと)と申します。

私は理学療法士という仕事をしており、現在5年目(27歳)になります。また、傍で、理学療法士の視点を活かし、障がいの有無に関わらず着ることできるファッションブランド" SECTIO "というものも運営しております。

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昨年度まで名古屋に在住しておりましたが、とあることを理由に、4月から長崎に帰郷しております。

はて、なぜ長崎?

私の出身は長崎県であり、理学療法士として起業した父親がいます。長崎の南の端の田舎ですが、創業してもうすぐ30年が経ちます。
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もうお気づきかと思いますが、父親の会社を引き継ぐ(事業承継)のために長崎に戻ってまいりました。

前職では、介護保険事業を中心に事業展開する会社の中のデイサービスに勤めていたため、現在も、デイサービスでの送迎や機能訓練や、ご利用者様とのコミュニケーションなどなど、、、再度現場に戻り、毎日汗を流しております。先ほどお伝えしたSECTIOの運営に関しては、完全に業務後に行う毎日です。

これまでのナラティブ

理学療法士という父親を持ったこともあり、自然と将来の職業が理学療法士になりました。人のためになることが昔から好きだったのもありますが。

物心ついた時から、医療・介護関係の起業家に囲まれる生活であり、必然的に私も起業家志望になっており、ご縁もあり、名古屋にある、介護保険事業を中心に事業展開する会社に入社しました。

勤務場所はデイサービスでしたが、臨床だけでなく、3年目からは現場のリーダーを務めさせていただき、4年目では管理者として経営・マネジメントも勉強させていただきました。貴重な経験をさせていただき、本当に感謝しかありません。

自分のアイデンティティの確立

こうやって振り返ってみると、順風満帆な人生にみえますが、意外と大変なことも多かったんです・・・

社長の息子、ということで

「将来は何もしなくても安泰だね」
「社長の息子、プレッシャーやばくて僕には無理だな、大変そう」
「親の顔もあるんだから、しっかり勉強しろ」

などなど、気持ちは分からなくもありませんが、常に自分ではなく、後ろにいる父親をみられているような感覚でした。

そんな時、もともとファッションが好きだった僕は1人の義足の男の子と出会い、障がいがあることで、おしゃれを楽しむ上での制限があることを知りました。そこで、理学療法士の知識を活かして、この課題を解決できないか?と思うようになりました。

大学4年生当時の写真(2020年)

「障がいのある方と制作過程から共有し、障がいの有無に関わらず着ることできるファッションブランドを創りたい。」

自分の力で0から頑張りたい、初めての夢ができました。

そして社会人になり、

・駅前で1人で街頭調査を行う
・様々なピッチコンテストに挑戦する
・クラウドファンディングに挑戦する

などなど、正社員として働きながら、変わらない想いを貫いて、昨年12月に初の展示会を開催することできました。改めて、ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

会場はリハビリテーション室を使用
車椅子の回転幅を計算し、誰でも試着が行えるように設計した試着室

初めて夢が叶いました。

たくさんの人が川副泰門を何のフィルターも介さずみてくれました。

正社員として働きながらの展示会の準備はとてつもない日々でしたが、良い経験となりました。

いざ、故郷長崎へ

そんなこんなで4年間が経ち、所属先でも様々な経験をし、自分の夢の1歩をカタチにし、1つの区切りだと感じたので、このタイミングで帰郷を決意しました。 

以前同様、色眼鏡は一生ついてくると思います。

頑張って積み上げてきたキャリアも0からになりました。

名古屋に比べると、情報も人も少ないです。

それでも、私は父のことが好きであり、尊敬しています。隣で一生懸命に支えている母親のことも大好きであり、大切です。

2人が二人三脚で支えてきたリエゾングループという会社を継ぐことが、僕にできる唯一の親孝行だと思っています。

もう一度、1から現場でスタッフと共に汗を流し、信頼を経て、しっかりと引き継げるように頑張ります。

毎日現場にも精を出しています

多忙な毎日を過ごしていますが、SECTIOを通した夢の実現も諦めません。

そんな私は、長崎のはじっこで事業承継に励みながら、長崎に拠点を移したSECTIOを運営しています。

皆さん、良かったら遊びに来てくださいね。美味しい海鮮をご馳走します。


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