見出し画像

《母の日》ゲーム三昧だった僕たち兄弟に届いた手紙の話

母の日に寄せて. ちょっとした思い出話.

小学校の時にボンバーマンのゲームがうちにあった. ボンバーマンというのは, ”キャラクターを動かしながら爆弾(ボム)を配置し、十字型に広がる爆風を利用して敵を倒していくアクションゲーム.” 

僕はよく弟とボンバーマンのゲームで遊んだ. ゲームに登場する”しろボン”や”くろボン”といったキャラクターを操作し, 四角いフィールドを逃げ回りながら, 相手を倒していく. 爆弾を設置して敵を吹き飛ばすバトルゲームだから, 当然勝敗が決まる. それは同時に兄弟喧嘩のきっかけにもなった. それでも僕らにとっては, 我が家にやってきた初めての据え置きのゲームソフトだったので, のめり込むようにゲームにハマった. 

しかし, 子供の好奇心は続かない. 翌年くらいにPS2で”サルゲッチュ2”というゲームが家にやってくると, ”ガチャメカ”というひみつ道具を駆使して全世界に散らばったサルを捕まえまくるという斬新な設定のゲームに心は動いていった. ステージごとの世界観も壮大で, ミニゲームやアイテム収集など, 本筋以外のやり込み要素も多い. 次第に強くなっていくサルを追いかけ, 複雑な攻撃を回避しながらボスを倒していく. ストーリー構成にも興奮したし, 兄弟で協力してサルを捕まえた時の快感は, お互いを爆風で吹き飛ばし合うより平和的だった. そして, いつしかあれだけハマったボンバーマンには見向きもなくなってしまった. 

すっかり, ボンバーマンのソフトがゲーム機の横で埃を被ってしまっていたある日, 母が僕たち兄弟に手紙を持ってきた. 僕は8才, 弟は6才の時だった.

「なんか2人宛に手紙が届いてたよ」そう言って渡された手紙には, こんなことが書かれていた.

”おひさしぶりです. ふたりともお元気ですか?
昔は, ぼくたちとたくさん遊んでくれたのに
ちかごろ, ぼくたちと遊んでくれることがなくなりましたね.
キミたちのお母さんにきいたんですが
今はおさるさんをつまえるのでいそがしいみたいですね.
たのしかったあの時のことを思うとときどきさびしくなります.
またいっしょに遊べる日がくるのを楽しみにしています.”
ーしろボンー

それはボンバーマンに出てくるメインキャラクター, しろボンからの手紙だった. 

8才の僕の目には, どうみても母が書いた字であることは分かっていたが, 6才の弟には分からない. 弟は手紙を見て崩れるように泣き出して, 「ごめんね しろボン. ごめんね」 と何度も謝っていた. 

それから僕たち兄弟は埃かぶってしまったボンバーマンのソフトを引っ張り出して, 久しぶりにしろボンやくろボンたちと爆弾ゲームをした. 弟と僕は, 今思えば無意識的に「やっぱボンバーマン楽しいね.」とか「うわーやられたー. 悔しい!」なんて言葉を大げさに口に出し合いながら, ”ボンバーマンが僕たちにとって楽しいゲームなんだ”ということを確認しあっていた. 

その時の僕の気持ちは整理がついていなかったのを覚えている. しろボンからの手紙が母の書いたものであることは分かっていたので、泣きじゃくる弟ほど”しろボンと遊んであげなかったこと”に対する罪悪感はなかった. けれど, 確かに母が書いたしろボンの手紙を読んで”大切だったものを, 大切にしなくなる"ということ自体には悲しさを覚えていたと思う. 僕は, 弟の手前「これお母さんが書いたやつじゃん!」とは言えなかった. 手紙を真っ向から受け止めている弟の気持ちを汲み取りながら, ”ボンバーマンのゲームを楽しむ”という儀式を一緒に行うことで, 弟の罪悪感を昇華させた. 

あれから15年経って, あの時母が僕たちに何を言いたかったんだろうと思う.

「ゲームばっかりしてないで勉強しなさい」と言われるならまだしも, 「サルゲッチュばかりしてないで, ボンバーマンもしなさい」と言われるのも変な話だ. ましてや, ボンバーマンをやっていた時は喧嘩ばかりしていたんだから, サルゲッチュみたいなゲームをやらせておくのは親の立場からしたら都合がいいはずだ.

多分, うちの母のことだから, そんな教育的な思想があって, 手紙を書いたってよりは, 好奇心とかイタズラ心とかの方がしっくりくると思う.「最近あの子達サルゲッチュばっかりやって, 前のゲームやらなくなったなぁ.」そんな思いつきでイタズラをしてみた. そのくらいの感覚が一番近いんだと思う. 母はそういうユーモアを持ち合わせた人だ. 

改めて, この手紙が僕らにどういう影響を与えたのかということを語る時に, ”感性を育ててくれた”とか”モノの大切さを教えてくれた”とか無理やりこじつけることはできるんだろうけど, あまりしっくりとこない. そもそも「あのお陰で僕の今の感性があるんです」というほど, 僕は何者かになってる訳でもないので, 言うだけ野暮な話だ. 

最初に言ったように, これはただのちょっとした思い出話. 

でも, 僕らはあの手紙をもらった時, ゲームの勝つことも負けることも楽しむことができたし, ほんの少しだけ僕らに”エンターテイメント”を享受させてくれる側の視点に立てた気がする. 

ありがとう, しろボン. ありがとう, 母.






よろしければサポートお願いします。いただいたサポート費はクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。