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〇〇っぽさってなんだろう

虹色侍という二人組のYouTuberがいる。「米津玄師をback numberっぽくアレンジしてみた」「天気の子の主題歌をジャマイカっぽく歌う」という切り口の企画が特に人気を呼んでいる。既存の楽曲を別のアーティストが歌ったらどうなるか。ジャンルを変えてみたらどうなるかという実験動画だ。

確かに2人のアレンジが加わることによって、米津玄師の曲はback numberっぽく変わり、同じ歌詞なのにもはや原曲が分からないくらい変貌を遂げる。

この〇〇っぽさを構成するものってなんだろう。人には誰しもその人っぽさがあって、特に制作物には顕著に表れる。

例えば、新海誠の映画は新海誠っぽいし、
村上春樹の文体はいつも村上春樹っぽいし、
ワグナーの曲はワグナーっぽい。
ピカソは何度もスタイルを変えてきたけど、俯瞰して見るとその変遷の様も総じてピカソっぽい。

〇〇っぽさは1人の人物に限らない。宮崎駿監督以外の作品にもジブリっぽさは残るし、Amazonっぽさ、Netflixっぽさ、というように企業にも当てはまる。コンセプトの設計やアウトプットの基準の設定があれば〇〇っぽさは複数人の団体でも形作れるのだろうが、その鍵は何か。

音楽に話を戻す。琉球音階というものがある。一般的にド・ミ・ファ・ソ・シの5音で構成される音階で鍵盤に触れる機会がある人ならぜひ試してほしいが、白鍵からレとラを除いた音をランダムに弾くだけで琉球っぽさが全面に顔を出してくる。

〇〇っぽさの鍵は、制限することにある。
使わないものを決める。やらないことを決める。
そうすることで個人を超えた〇〇っぽさが形成されるのかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ニューヨークっぽさ東京っぽさなんてものもありますよね。

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