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自分の時間軸を獲得する

BBCで日本人の盆栽家のドキュメンタリーを観た。儀礼をテーマにした特集で、圧倒的な集中力で一日中盆栽の世話をしている女性の宗教的なまでの日常を美しく描写していた。自分が生まれるずっと前から先祖代々受け継がれてきた盆栽を自分の人生を賭して手入れし、次の世代へ繋ぐ。気が遠くなるほど長いリレー。

500年、1000年と生きる盆栽を手入れすること。容易でないことだけは容易に想像できる。水を遣り、枝を切り、鉢を植え替える。毎日の作業にドラスティックな変化はない。木と共に、木の成長と同じ時間感覚で日々を過ごし、自分が死んだ後にも生き続けるものを育てる。

いつかゴールが待っていて、今までの苦労が全部カタルシスに変わるというような設定のものでもない。完成を見通さない献身の結果得られるのは、次の世代にバトンを渡す権利。ただそれだけ。「生きる」ということがどういうことなのか。彼女の精神性を垣間見るドキュメンタリーだった。

数学者のインタビューを読んだことがある。ひたすら紙に数式を書いては論文を出し、またひたすら数式に向き合う。そんな生活を40年続けているとのこと。数学の世界には未解決問題というのが山ほどあって、中には150年以上も解かれていない難問が存在する。

「未解決の難問を解くために必要な数式を解くために必要な数式を解くために必要な数式」を新たに論文で発表して、その論文の内容が正しいかどうかの審議に数年かかり、審議の結果から、その数式を使って「未解決の難問を解くために必要な数式を解くために必要な数式を解き明かす旅へ向かう。」
そんなことの繰り返しの結果、未解決の難問の答えには遠く及ばず、次の世代に小さな足がかりだけを残して、自分の人生を全うする。

盆栽や数学の世界に限ったことではない。
ぼくらの生きてる世界はあらゆる方向に無限に伸びていて自分の世界線を見つけて、自分の時間軸で生きることが本当の意味での「生きる」ことなんだと思う。

ぼくを含め多くの人は漠然と“現在“を知覚していて、分かりやすく“1時間“という枠組みを使ったり、”今日“や”1年“という枠組みを使ったりする。一旦“現在“を見直して、再解釈することが重要な気がするね。

今日も読んでくれてありがとうございます。
自分の時間軸を獲得した人がアーティストなんじゃないかなって思ったり。

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