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私たちはどれくらい不自由なのか

□景色
『ディスタンクシオン』のテーマは大まかに言えば、趣味とは何か、文化とは何か——趣味や嗜好という個人的な領域が、いかに社会と結びついているかである。

私たちの行為がどれくらい構造に規定されているのかを知ることは、どれくらい不自由かを知るということ。ブルデューは私たちがどれくらい不自由であるかを明確に知ることが、私たちが自由になるための条件であると主張した。

この本は「私たちがどれくらい不自由なのかが描かれた、自由についての本」である。

□本

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『100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』
岸 政彦 NHKテキスト 2020年

目次
はじめに 私はどこから来て、どこへ行くのか
第1回 私という社会
第2回 趣味という闘争
第3回 文化資本と階層
第4回 人生の社会学

要約
趣味は、学歴と出身階層によって規定されているとブルデューは言う。
「科学的観察は文化的欲求がじつは教育の産物であることを示す。あらゆる文化的慣習行動の選好は、まず教育水準にそして二次的に出身階層に密接に結びついている」

「趣味は、避けることのできないひとつの差異の実際上の肯定である」
「趣味とは、何よりもまず嫌悪なのだ」
何かをいいなと思うことは、必ず他の何かを否定することでもある。

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ブルデューは、私たちの行為や感覚、判断や評価、好き嫌いというものまでも、社会構造や歴史によって規定され構築されている、と主張する。
そして、その人間の本質を描くために導入したのが「ハビトゥス」という独自の概念。

ハビトゥスは非常に深いレベルで私たちの嗜好や行動を方向づける「身体化された必然」のことで、私たちは意図することなく自然に、無意識に、反射的に、ある選択や評価をしている。

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私たちはハビトゥスによって趣味や好みを分類し、世界を分類していくが、同時に世界から見ると行為者が分類されていくものでもある。傾向性の体系としてのハビトゥスに分類され、その人の位置が確定、同じハビトゥスを持つ者たちの集団ができていく。

それまでの人生の履歴、蓄積、行為の中に蓄積された過去の履歴、そして学習と訓練によって長い時間をかけて獲得された身体の記憶であるハビトゥスを理解することは、マクロな社会構造や歴史的変動のなかで、その人がどのような人生の軌道を歩んできて、どのような合理性を持つにいたったかを理解するということである。

一見すると非合理的な行為をしている人でも、その人が生きている世界の構造や文脈を丁寧に見てみると、相応の合理性がある。

持って生まれたものに方向づけられ、生きる社会の構造に縛られ、それでもその中でなんとか必死に生きている。自由とはそういうものだと考える。

自分の置かれている状況を理解すること、自分を規定する構造の正体を見極めることが、自由になる条件。私たちはハビトゥスによって分類される存在だが、その分類図式自体を認識することはできる。それは人間が持ち得る自由のひとつではなかろうか。

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□ひとりごと
後日、音声公開予定

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