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就学への方針

さてこの春、娘が小学校に入学します。昨年予約したランドセルも届き、DMマーケの罠にハマった娘はチャレンジ(進研ゼミ)を毎日コツコツして、鉛筆も消しゴムも筆箱もお気に入りを見つけてそろえ、リビング学習を想定しているので学習机を買ってはいませんが、就学準備は進んでいます。それじゃあ親の僕はできているのかというとまだソワソワしています。でも、こういう方針で行こうかなというのはあるので、子どもの就学中は未経験ですが、共有させてください。


1.これまでのことをつづける
前回書いた、愛、選択、環境の3つをこれまで通り心がけていきます。


2.霊性を磨く機会を用意する
学校という装置は基本的に、社会に行くための準備をするところと考えています。小学校→中学校→高校→大学・専門学校・短大→社会という流れです。もちろん高校→社会、中学→社会の道もあります。いずれにせよ、社会人になるために児童、生徒、学生になるという考え方です。

社会とは何か。それは主に理性を用いて、人や社会のためにお互いに「はたらく」(人の)世界。なので学校では主に理性を磨きます。ただ、娘が大人になり「はたらく」頃の社会は脱成長の傾向を顕著にしていて、これまでとは大きく異なり始めていると、僕は当てずっぽうに思っています。

脱成長が顕著だと、これまで地球を覆い尽くしていた社会の一部に亀裂が走ったり、そこを風がひゅうひゅうと通ったり、あるいは割れ落ちて自然が剥き出しになったりしているのではないでしょうか。日本は経済成長時に津々浦々、社会が覆い尽くすように拡大しましたが徐々にその領域を後退させ、代わりに自然に帰っていく領域が増えていくでしょう。

その自然の領域では理性を用いるより霊性を用いる機会が多いでしょう。これはもう推論に推論を重ねていて、カントの話でいくと完全に理性の暴走している状態で、妄想同然、僕という主観に限られた話です。「ふ〜ん、たいたけはそんな風に思っているのね」と思っていただけたら十分です。

学校やその補完装置の塾の時間は、理性を磨く時間です。であればそうでない時間(学校に行きたくなくて休んだ場合も含みます)に森の散策やお花摘み、生き物とのふれあい、芸術鑑賞、創作などの霊性を磨く機会を用意したいです。そのために一緒に動く、外に出る。そうして休みには霊性を磨き、理性と霊性とをバランスできるようにしたいです。


*前回の愛、選択、環境(選択肢の形成)に加えて、人間は動物で移動できるため、選択肢を形成する環境すらも選択できる。そんなことも伝えていきたいです。

お花摘みのあと


3.理性の磨き方を工夫する
就学すると、家の中でも理性を磨く必要が出てきます。家庭学習がそうですね。これとどう付き合っていくのか。親子ともに、姿勢や習慣に着目します。

例えば、子どもがリビング学習をしているときに、親が終始スマホをいじっていたり、テレビをぼけーっと眺めていたりする場合と、親が読書をしていたり、なにかレポートを書いていたり(それはどんな親だろう?)する場合とでは、子どもの学習に対するイメージは大きく変わってくるでしょう。その分岐は、ハビトゥスという概念があるのですが、家庭内で形成されるそれに直接影響するでしょう。

大人は忙しいので、教育は学校や塾でしているからつい大丈夫なんて思ってしまいがちですが、その大丈夫とはいったい何を意味するのか?を、時間のあるときに考えてみる価値はあります。よく調べれば学校は、親から受け継いだ文化資本をそのまま自動的に親と同じ位置に押し上げるための装置だということがわかります。加えて社会は日に日に脱成長し、かつ格差を拡大させています。この2つをあわせて考えても、はたして大丈夫といえるのか、ということです。

どうせ家の中でも理性を磨かなければならないのですから、子どもが宿題やチャレンジをしている時だけでも、(同じ時間&同じ場所にいたら)僕は読書をしていようと思っています。また、娘が問題に当たっている時、自分に納得のいく答えの出るまで考えるよう促したり、マルつけをする必要があるなら解いたすぐあとにする習慣づけをしたり、解けそうで解けない問題に当たった時は、今日、明日、来週と3回くり返し解く大切さを教えていくつもりです。少しでもマシな理性の磨き方をできたらいいなと考えています。


とはいえ、娘も僕も無理のない範囲で、と思っています。年がら年中、365日、鉄人のようになるつもりもなければ強制するつもりもありません。ただ小中高と長い目で見た場合、それらの方針に従って、日々少しずつつみ重ねていくのは、やがて大きな差になってくると考えています。なので、全部を完璧にこなそうというのではなく、ぼちぼちそちらに進んでいきたいな、できるかな?、とりあえずやってみるか、というお話です。

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