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悪人の「くらし」と入出獄

前回は、ヘンリー・デイビッド・ソローのシンプルなくらしと納税拒否について見ました。今回は、その拒否によって入獄したソローの考えを追ってみたいと思います。

私はこの六年間、人頭税なんて一切払っておりません。そのせいで一度は牢獄にぶち込まれたこともあります。・・・私は監禁されているのが自分の方だなんて少しも感じなかったし、牢屋なんぞ石材とモルタルの馬鹿げた浪費としか思えませんでした。
『ソローの市民的不服従』 佐藤雅彦訳 論創社

う〜ん、強いですね。この調子で演説が進んでいきます。

政府ってのは、人間の良識や知性や徳性に、面と向かって対処する意思をぜんぜんもっていないわけです。他人の肉体とか感覚とか、そんなものばかり相手にしているのですよ。政府は優れた分別や誠実さで“武装”しているわけじゃない。度外れた物理的暴力で武装しているだけだ。だけど、私は力に屈して服従するようには生まれついていないものでね。自分のやり方で生きていくという志がありますから。
同書

非政府主義とでも呼べるような立場にたって、政府を批判します。

数の力に頼ったところで、それがどんな力になるというのでしょう? 連中は私を力づくで従わせようとしているけれど、あいにく私は自分よりも次元が高い法にしか従わないわけですから。しかも彼らは力づくで、彼らと同じように振る舞えと、私を脅しているのですよ。人間がですね、大勢の群衆からああしろこうしろと生き方を強制されるなんて、そんな話は聞いたことがありません。もしそんな生き方を強いられたら、人生は、どうなってしまうのでしょう?
同書

こういった姿勢がガンジーやキング牧師に伝わっていったのでしょうか。

結局、私は牢屋を出る・・・私の目の前に広がる光景は、古里の町も、政府も、そして国にも、歳月の経過がもたらすよりも遥かに大きな変化を起こしていたのです。とりわけはっきりと姿を変えていたのは、私が住んでいるこの国の政府ですよ。それに、一緒に暮らしている周りの人々が、「良き隣人」なり「善良なる友」としてどれほどの信頼に値するかも、じっくりと見ることができました。・・・彼らには高潔さというものがない。盗人を見つけたらそいつから盗み返して報復すりゃ万々歳だと信じているていどの、下衆どもでしかない。上っ面ばかりのお定まりの儀式と、ちょっとばかりのお祈りと、そして時々は自分たちにとって用のないことだけれども、まっすぐな道を少しばかり歩いてみて、それで心が救われたつもりになっている連中だということも判りましたよ。
同書

独立とは、かくのごとく経済的な独立だけではなく、政治的にも独立すべきなのでしょうか。ソローは鋭く、僕たちに問いかけてきます。

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