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教員組合

□景色
戦直後の教員組合(1948)

終戦後、教員組合ができて、教員の利益のために多くのことをした。その間に、いろいろな混乱も行きすぎもあった。反省されなければならないことは、たくさんある。

しかし絶対によろこばなければならないことが、一つある。それは教員組合ができてから、日本の教員の顔つきが変わったということだ。日本の教員がはじめて胸を張って太陽を仰ぎ、その顔つきにはつらつとした表情がただよいはじめたということだ。

これは誇張でもなんでもない。注意ぶかい親たちは、学校の会合や道で出会う先生の感じが終戦まえとはずいぶん変わったことに気がついているに相違ない。この明るく、頼もしげになった顔つきは、はじめて基本的人権の味わいを味わい知った人間の顔つきにほかならぬことを人々は思い知らねばならない。

この顔つきは、自分たちは義務を問われるだけではなく権利を主張してもよいのだという自信をもつ者の顔つきである。自分たちだって言いたいことぐらい言えるのだぞという顔つきである。正しい言い分は正しい言い分として通してみせるのだという顔つきである。正義、公正、良心、人格、そういうものをまともに信じ、本気で考える生活の気分にあるものの顔つきである。

こういう顔つきを、かつて日本の教員にもとめることはできなかった。日本の教員は、そういう顔つきとはおうよそ逆の顔つきをしていたのである。

□本

「日本の教員」『思索』
宮原誠一 1948年 思索社
*時代的雰囲気を重視し冒頭を中心に構成

□要約
なにが日本の教員の相貌を変化せしめたか。勿論もっとも一般的には日本の社会が変わったからだと答えねばならない。原因は日本社会の民主化の全過程に求められる。しかし疑いもなく、教員の相貌を変化せしめたのは最直接の原因は教員組合である。

基本的人権を保障し、勤労者の団結する権利及び団体交渉権その他の団体行動をする権利を保障する憲法の条文も、ただそれが条文として読まれるだけならば、教員の顔つきをこれほど変えはしなかっただろう。彼等の生活の気分、態度、精神をこれほど変えることはできなかっただろう。

教員組合に団結して、団体行動に参加した生活経験を通じて、つまりこの実質的な支えがあって始めて、基本的人権の観念が教員のものになったのである。

自分たちも人間だぞ——この実感が、教員組合の活動を通じて、はじめて日本の教員の体温にあたためられてにじみでたのである。これはかんたんに見過されるべきことがらではない。日本の文化の上にもつ意義は、ヒューマニズムについてのサロン的な談義の比ではない。これは我々の学校における人間の創生である。いってみれば、はじめて我々の青少年が人間らしい人間の手によって教育されることになったのである。

日本の文化のことを本気で考えるならば、教育のことを考えるのがよい。教育のことを本気で考えるならば、教育者のことを考えるのがよい。日本の教員が沈滞すれば、日本の教育も沈滞する。

どのようにしたならば、この日本社会の悪条件のなかで、教員は明るく元気よく活動してゆけるだろうか。我々の青少年を託する教育者として、彼等はいかにしたならば自らをたのもしく確立してゆけるだろうか。この平明な観点から、教員組合の問題が考えられなければならぬ。

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