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失うたびに違う私が現れる。

グラフィックデザイン
本当はこういう事が好きだった

早々に才能に見切りをつけて触れないようにしていたつもりだけど、ずっとずっとこういった事は側にあった。

事故により
頸髄損傷で右手の繊細かつ緻密さを失った

そしてこれからという時に右眼が破れ、四回の手術を経て繊細な色や形奥行きを知覚していた右眼では無くなった

どんどん、失ってしまう

感じるー受け取る
動くー表現する創る

が崩れてしまう

自分という存在が荒廃、瓦解していく様な感覚に飲み込まれる

実は脳にもダメージが残っているから
アイデンティティすら崩壊していった

「自分とは...こういう事が好きでこういう事が得意でこういう事が出来る」

が崩れていってしまう

自分が壊れていく どんどん  

絶望の前にただ何も出来ず、それでも,もがき...

45になると脳ドックを受けさせてくれる

時代の進歩は医療機器の精度の向上
脳腫瘍?
脳内出血?
見えていなかったものが見える

5年放置し
10年放置し

生きてる 

25の時に、すでにいろいろなものを失っていたのだ
年を重ねながら失ってきたのだ

その度に何か違う才能が活性化し

私は変わり
人生は変わり
世界は変わる

そう
組織すら変えられる
世界すら変えられる

に気づいたし
自分の周りにそれをしてきた

それを繰り返してはきたけど
思い残しがあって

この眼でこの手なのだけど、触れてみたい衝動が抑えられなくなった

才能?センス?

その前に手も眼ももうそれほど機能はしてない

だけども

技術ーデザインーマーケティングービジネスモデル

の繋がりを説明し
世の中に表現、実現はしているでしょう?

出版に向けてクラファンやってます
デザイン思考についても触れています

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