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『待つ』と朗読とわたし
今回の記事を担当させていただきますのは、3年の園田です。
先日公開された記事では、桜桃忌で我々【fukiya】が天下茶屋にて「富嶽百景」を朗読させて頂いたことをご紹介いたしましたが…。私は授業の関係で参加することができませんでした!
というわけで、今回は個人作品として今年の春に私が朗読・収録をした、太宰治の「待つ」という作品について少しお話させていただきます。
「待つ」とわたし
太宰治の「待つ」。駅前で何かを待ち続けている少女の心情を描いた、女性独白体の作品です。どうやら女性独白体は太宰の得意とするスタイルのようです。「女生徒」や「ヴィヨンの妻」などがこれに該当しています。あまり文芸に詳しくない私でも聞いたことのあるタイトルです。
数ある太宰作品の中から「待つ」を選んだのにはいろいろな理由がありますが、「主人公の『わたし』が20歳の女性だった」ことが一番の理由でした。
あれでもない、これでもない。私は買い物籠をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。私を忘れないで下さいませ。毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。
この作品は太平洋戦争中、1942年に執筆されました。戦時下の「わたし」と、令和の大学生の「私」が置かれている状況。全く異なるものではありますが、なにかに焦り、怯え、期待している姿に惹かれるものがありました。
私がこの作品を読むとしたら20歳である今がチャンスだ。そう強く思ったのです。
わたしと朗読
大学3年生といえば、超楽しいキャンパスライフ!…も勿論ですが、自分の進む道に向き合い始める時期でもあります。
幼い頃の私にはいろいろな夢がありました。思ったことをすべて実行できていれば、今ごろ私は遊園地のキャストをしながら声優業をこなし、ついでにコマ回しの達人でもあるプリンセスです(笑)
このように、私は昔から目立ちたがり屋ではありましたが、同時に「他人の目」と「未来」を妙に気にする性格でもありました。やりたいことが素直にできないもどかしさを、常に心のどこかで感じていました。
実際のところ私は大人になって、社会に出て、何をしよう。何ができるだろう。何をしていて良いのだろう。
そのような想いを外川先生に伝えた時にお声がけいただき、この団体が発足しました。他の仲間の朗読からインプットすることは勿論ですが、これまで「発信」の経験が不足していた私にとってアウトプットする場所ができたことはとてもありがたく感じています。メンバーにも恵まれて、毎回和やかな雰囲気で活動することができています。
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もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。胸を躍らせて待っているのだ。
「わたし」はなにか素晴らしいものを待っている。私もそう急がず、じっくりと向き合って自分なりの「私」を見つけたい。この団体での活動や経験は、私の人生でなにかの布石になればすてきだな。「待つ」という作品を自分なりに解釈し、録音を終了した今でも、そう思いながら朗読の練習を続けています。
おわりに
「わたし」も「私」も自分らしさを探し求め、将来への漠然とした期待と不安を抱えています。今回この記事を執筆して、可視化できる形で今の想いを書き綴れたことは非常に良い経験になりました。
皆様も、機会がありましたらぜひ「待つ」を読んでみて下さい。短編かつ一人称なので、読書が苦手な方でもすぐ読めると思います。彼女が何を待っているのか。ひとりで考えるのも良いですし、誰かと語り合ってもおもしろそうですね。
また、私が朗読した「待つ」も今後公開予定です。その際にはぜひ、私の「わたし」を楽しんでいただけると幸いです!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
次回の更新もお楽しみに。
(執筆・3年生 園田)
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・2023年2月追記
音源が公開されました!
作業などのおともにも、何かを待ちながらでも、じっくり聞くにもここちよいです。ぜひ。
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