「好きなものは、好き」というマイルール
僕が最近大切にしている、自分だけのルールについてのお話だ。
「好きなものは、好き」。
このところ何回か立て続けに、好きなモノやコト、ヒトについて友人知人と話をする機会があった。
こんなアニメが好きだ。
昔はこういう漫画が好きだった。
こういう仕事が好きだ。
こういう顔の人が好きだ。
今あの人のことが好きだ。
こういう場面で、反論が出てきたり、自分も言ってしまったり、ということはよくある。
「俺はそれ好きじゃない」とか、「私はそれあんまりなんだよな」とか。
誰にだって好き嫌いはあるし、別のニンゲンなんだから、当然だ。
意見を表明することは全然悪いことじゃないし、それこそがコミュニケーションだと思う。
それに僕は、ロボットや演劇なんてだいぶニッチなものを好んでいる自覚がある。あえて「王道」ではない道を好むフシもあるから、他人に理解されないのは全く構わないし、慣れっこだ。
でも一つだけ、どうしても気になってしまう"言われ方"がある。
あなたのその"好き"はどうかと思う。
――つまり、好きという気持ちそのものを否定された時だ。
おカネにならないのになんでやってるんだ、とか。
自己中心的で、勝手に相手を好きなだけじゃないか、とか。
そんなことをやっていても意味ないよ、とか。
わかる。わかっている。
ひとつの助言として「やめておけ」と言いたいんだと思う。
親切心ゆえに言っているんだろう。
その情熱と手段が、客観的に見ていかに無謀で、邪道で、空回りで、間違っているかということを教えてくれているのだ。
だからこそ、僕がその親切な友人知人に直接反論するようなことは(それほどには)ないのだけれど、
最近あまりにこんな機会が重なって、心の空気が抜けそうだったので、どうか自分のためにもはっきりと、書かせておいてほしい。
知るか。
好きなものは好きなままで、何が悪い。
これを読んでいるあなたにもあると思う。
「大人になれ」「いい加減やめておけ」「相手の気持ちを考えろ」――
大好きな何かを「諦めろ」と言われたこと。
もし目の前に、お金や時間の制約があるのなら。
どうしようもないような、壁や障害があるのなら。
何回やっても、相手の気持ちが動かないのなら。
僕だったら、何度でもやり方を変えて、「好き」を表現し続けるだけだ。
途中で諦めて、しばらく後悔が続くような日々。
本当は大好きなのに、無関心なフリをして、心に穴を空けるような経験。
そんなことは今までにも山のようにあった。もうたくさんだ。
親切な助言を聞かずにやり続けて、失敗して、周りに誰もいなくなっても、自分の気持ちを貫ければ、僕はそれでいいと思っている。
「好きなものは、好き」だから。
――さて、作品制作に戻ります。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました! これからも応援いただけたらうれしいです。 (いただいたサポートは、作品制作のために活用いたします!)