本当に、「みんなのため」だの・・・検証が無ければ、ただの「詐欺」 「天皇」がそれの典型だ。

より

上記文抜粋
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なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか…世界を覆う「クソどうでもいい仕事」という病
酒井 隆史 の意見

高収入で社会的承認を得ている人々の仕事が、実は穴を掘っては埋めるような無意味な仕事だった……彼らは自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している——。

人類学者のデヴィッド・グレーバーが『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』で論じた「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」は、日本でも大きな反響を呼びました。

『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』がロングセラーとなっている。「ブルシット・ジョブ」とは何か、どのように「発見」されたのだろうか。

ある観察者が見た世界

このようにまず想定してみましょう。

ひとつの世界があって、それをある人間が観察しています。

そこでは人はあくせく朝から晩まで仕事をしています。しかし、観察者の目には、その仕事のかなりの部分がなんの意味もなく、たとえば、必要のない穴を掘ってはひたすら埋めているとか、提出後すぐに保管されて二度とみられることのない書類をひたすら書いているとか、そんな「仕事のための仕事」にいそしんでおり、ほとんど仕事のふりをしているようにしかみえません。そのような仕事がなくても、この世界で生まれている富の水準は維持できるだろうに。

ところが、こうした仕事をやっている人は概して社会的な評価が高く、それなりの報酬をもらっています。それに対して、社会的に意味のある仕事をやっている人、おそらくかれらがいなければこの世界は回っていかないか、あるいは多数の人にとって生きがいのない世界になってしまうような仕事をやっている人たちは、低い報酬や劣悪な労働条件に苦しんでいます。しかもますます、かれらの労働条件は悪化しているようなのです。

観察者は、いったいどうしてこんなことになったのか、調べてみようとおもいます。

まず、いまのこの状況を100年前の視点からみるとどうなるか、検討しました。

すると、おおよそ100年前には、働く人たちは組合を組織して、賃上げよりも、労働時間を短縮すること、自由時間を獲得することに重きをおいていたことがみえてきました。そしてその根底には、労働から解放されたいという動機があることがわかりました。

そしていまでもとても尊敬されているその世代随一の経済学者も、100年後には、技術の向上やそれに由来する生産力の上昇によって、人は一日4時間、週3日働けばすむようになっていると予言しています。

100年前のこうした人たちの要求と予言をあわせるなら、そうなっていてもおかしくないのです。

ところが、この世界はそうなっていません。人は、ただひたすら穴を掘っては埋めることに時間をついやすことを選んだようにみえます。

観察者は、この世界のなかに入ってフィールドワークをはじめました。

すると、意外なことがわかります。じぶんたちの仕事が穴を掘って埋めているだけだ、とか、だれも読まない書類を書いているだけだ、と、仕事に就いているかなりの人が気づいていて、しかも、それに苦しんでいることです。

そしてそのような精神状況がうっすらとこの世界を覆い、職場だけではなく社会全体が殺気立っていること、険悪になっていることに気がつきます。

ブルシット・ジョブが存在する理由

この観察者は、その理由を考えます。

50年ぐらい前(1960年代)には、ほとんど働かないですむような世界を多くの人たちがもとめはじめた時代がありました。そして経済学者の予想した通り、客観的にも、可能性としては、その実現は遠いものではなくなっていました。

ところが、世界を支配している人々からすると、それが実現するということは、人々が、じぶんたちの手を逃れ、勝手気ままに世界をつくりはじめることにほかなりません。そうすると、じぶんたちは支配する力も富も失ってしまうことになります。

そこでかれらは、あの手この手を考えます。

そのなかのひとつが、人々のなかに長いあいだ根づいている仕事についての考え方を活用し、あたらしい装いで流布させることでした。

その考え方とは、仕事はそれだけで尊い、人間は放っておくとなるべく楽してたくさんのものをえようとするろくでもない気質をもっている、だから額に汗して仕事をすることによって人間は一人前の人間に仕立て上げられるのだ、と、こういったものです。

こういった考えを強化させつつ、二度と仕事から解放されようとか、自由に使える時間が増やそうとか、人生のほとんどの時間を生きるためにだれかに従属してすごさなくてすむとか、考えないよう、支配層にある人たちは、その富の増大分をほとんどわがものにし、仕事をつくってそれに人を縛ったうえでばらまくのです。

こうすると、なにかおかしいな、とおもっていても、でも仕事をするということはそれだけで大切だ、むなしかったり苦痛だったりするけれども、だからこそむしろ価値がある、というふうに、人は考えてしまいます。なにかこの世界はおかしいけれども、それがおかしいと考えることがおかしいんじゃないか、と多くの人が疑念を打ち消すことによって、この砂上楼閣のような世界はかろうじて成り立っているのです。

成り立っているといっても、そのなかは不満で充満しています。うすうすむなしいとおもいつつ仕事をしている人たちは、むなしくなさそうな人たちをことあるごとに攻撃しています。そうした人たちが、労働条件をもう少しよくしようとしてストライキでもしようものなら、容赦のない攻撃がくり広げられます。そして、技術的条件によって仕事がどんどん不要になっていくという社会の趨勢のなかで、多数の人たちが失業状態になっていきます。そうすると、かれらに対して、残りの人たちのほとんどすべてから「怠け者」とか「たかりや」といった罵声が浴びせられます。つまり、この砂上楼閣は緊張感がみなぎっていて、いわば、ごく一部を除いてだれも得をしないというか、みんながみんなを不幸にしあう悪意のぶつけあいによって、ぐらぐらと揺れているのです。

こうしてこの観察者は、その観察の結果を日本語の文字数にしておよそ6000字程度の小レポートとしてまとめ、ウェブに公開します。そのさい、この世界のかなりの人たちがみずからもうすうすそう感じながらやっている「どうでもいい仕事」に、「ブルシット・ジョブ」(BSJ)という言葉をつくってあてはめました。

無意味な仕事をする人々

この小レポートは、いまの世界には、まったく無意味で有害ですらある仕事、しかも当人すらそう感じている仕事がたくさんあって、かつそれが増殖しているという、常識外れの内容です。というのも、ふつう、市場原理をもってムダを省き、効率化や合理化をはかることがなによりも重視されていて、したがって容赦のない人員削減があちこちで起きているのが現代だ、というイメージがとても強いからです。いったい、そんなお話がどう受け取られるのか、まったく無視されてしまうのではないか、と報告者も半信半疑でした。

ところが意外なことに、すぐさま世界中からおどろくほどの反応があったのです。しかも、それらの反応の多くが、じぶんがなにをしているのか、なにに悩んでいるのか、怒っているのかわかった、という内容でした。

その反応をみたある世論調査代行会社(YouGov)が、仮説の検証を買ってでることになりました。その小レポートの文言をそのまま引用してイギリスでの世論調査を実施したのです。

すると、これもおどろくべき数字がでました。

「あなたの仕事は、世の中に意味のある貢献をしていますか?」という質問に対して、3分の1以上(37%)が、していないと回答したのです(しているという回答が50%、わからないと回答したのが13%)。報告者はこの半分ぐらいだろうと予想していたのですが、実際はその倍だったのです。それから、オランダにおける世論調査がつづきます。ここではもう少し高く、働く人の40%が、みずからの仕事にはたしかな意味がない、と回答したのです。

報告者は、いまや統計的な調査によって、圧倒的なまでに証明されてしまったと感じました。

それから、この報告者、すなわち人類学者のデヴィッド・グレーバーは、そのあとに追加でおこなった調査をふまえ、小論を一冊の大きな本にして、2018年に公刊します。それが今回とりあげる『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』という本です。

日本語の翻訳書は2020年に岩波書店から公刊されました。わたしはその翻訳者の一人ですが、わたしたちもおもいもよらぬほど、日本でも大きな反響を呼びました。もちろん、このような入門書を柄にもなく書いているのも、そのためです。

『ブルシット・ジョブ』は、たくさんの人がみずからの仕事の苦境を語る証言であふれていて、それだけをピックアップして読んでも大変おもしろいです。それだけでもなにか響いてくるものはあるとおもいます。

それを分析していくグレーバーの語り口も、けっしてむずかしいものではありません。

かれの語り口は、専門的領域をこえ、一般の人にもわかるように、明晰で、かつ興味深いエピソードとユーモアにあふれています。

ただ、錯綜しているのです。書いているうちにあれこれいいたいことがつめこまれて、読む側は個々の議論に気を取られているうちに、筋を見失ってしまうことが多々あるのです。あれはおもしろかった、これは重大だとなるのですが、じゃあ、いったい全体としてなにをいってたの、と問われると、翻訳者ですら、あれ、どういうことだっけ、となることがしばしばなのです。

また、やはり分量もあり、また密度も高いので、途中で挫折したという声も多くうかがいました。

そこで、ここでは翻訳者の一人が、じぶんなりにかみ砕き、また補助線をひいて、なるべく多くの人がわかるような筋道をえがきだしてみたいとおもいます。

わたし自身が迷宮にさまよいこむこともあるかもしれませんが、ご容赦いただきたいとおもいます。そういう場合は、遠慮なく飛ばしていただいてもかまいません。

『ブルシット・ジョブ』の論点

さて、最初にかんたんに『ブルシット・ジョブ』の内容をまとめてみました。このラフなまとめのうちにも、この本をおおまかに構成する四つの論点がひそんでいます。

(1)「ブルシット・ジョブ」とはなにか?どんな種類があるのか?

(2)「ブルシット・ジョブ」に就いている人たちはどのような精神的状況にあるのか?

(3)「ブルシット・ジョブ」がどうして、こんなに蔓延しているのか?

(4)どうしてそのような状況が気がつかれないまま、放置されているのか?

作者のグレーバーは、ブルシット・ジョブ現象に三つの次元からアプローチするといっています。(1)はまず土台となる論点であるとして、おおまかに、(2)が【1】に、(3)が【2】に、(4)が【3】に対応すると考えておいてください。

【1】個人的な次元。なぜ人々はBSJをやることに同意し、それに耐えているのか?

【2】社会的・経済的次元。BSJの増殖をもたらしている大きな諸力とはどのようなものか?

【3】文化的・政治的次元。なぜ経済のブルシット化が社会問題とみなされないのか?なぜだれもそれに対応しようとしていないのか?

この講義は必ずしも『ブルシット・ジョブ』を読んだ読者を念頭においているわけではありません。もちろん、いったん読んでから、あるいは、手元において対照させながら読むと理解が深まることはいうまでもありません。でも、まだ読んでいないが内容については気になっている、これから読もうとおもっている、あるいはとても読めそうにないがなにをいっているか知りたい、といった読者にも、なるべくわかるよう、要するに、『ブルシット・ジョブ』を読まなくてもかなりの程度は理解できるように構成したつもりです。

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抜粋終わり

仕事はそれだけで尊い、~だから額に汗して仕事をすることによって人間は一人前の人間に仕立て上げられるのだ

てのは、間違いではない。

でも、それで「一人前の人間」に仕立てることに成功したのか・・・・

否。でしょう。

今の老人たちは、果たして幸いか?

「ハタを楽にするから、働く」っていうが、本当に楽になっているのか?

「もともと社会は理不尽だ。」っていうが、そもそも「理不尽」もそれを仕込んだ連中たちの「ご都合」のために「理不尽」を、庶民に押し付けているだけでしょうな。

なら、それを「天皇家を殺し尽くして革命する」・・・てのを是とは言わないのだよね、「理不尽を我慢しろ」って連中は。

永遠に自分らのために「理不尽を弱い奴に押し付ける」ってことですは。

それが「天皇」なのです。弱い者いじめ=天皇 という宗教です。

ところが、世界を支配している人々からすると、それが実現するということは、人々が、じぶんたちの手を逃れ、勝手気ままに世界をつくりはじめることにほかなりません。そうすると、じぶんたちは支配する力も富も失ってしまうことになります。

そこでかれらは、あの手この手を考えます。

そのなかのひとつが、人々のなかに長いあいだ根づいている仕事についての考え方を活用し、あたらしい装いで流布させることでした。

本当の「ハタを楽にする」ための「労働」でなく、「自分らのピンハネを誤魔化して、考えられないようにするため」の、「長時間労働」とそれへの麻薬としての「3S~マスコミ・セックス・ショッピング」

まあ日本には、その最大の3Sの魔王=邪神が「天皇」ですからね。

まあやる気など、日本人は無くします、それも「サイレントテロ」でしょうね。

より

上記文抜粋
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会社員の「やる気」を奪い、日本の企業をダメにしたのは「コストカッター経営者」だった…!《人員削減とコスタダウンしか考えない社長たち》

渋谷 和宏 によるストーリー • 4 時間

経済ジャーナリスト・渋谷和宏氏の新刊に、発売直後から「うちの会社も同じです!」といった共感の声が上がっている。タイトルは『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』。日経BP社で『日経ビジネス』『日経ビジネスオンライン』の発行人を務めた著者が、「独自アンケート」の結果などをもとに日本企業の問題に斬りこんでいく一冊だ。1970年には「モーレツ社員」が流行語にもなったこの国で、いったい何が起きているのか─。

「コストカッター」の経営者が増えている

金融危機が起きた1997年、私は他の部署から『日経ビジネス』編集部に復帰し、「新社長登場」などいくつかの連載コラムのデスク業務を担当しました。

「新社長登場」という連載は標題通り、就任したばかりの大企業の新社長に記者がインタビューして、社内で頭角を現したきっかけや、社長として重視する経営課題などについて紹介するコラムです。記事の書き直しを記者に指示したり、読みやすくするために赤字を入れたりするのがデスクとしての私の仕事でした。

その時、強く感じたのは「思い切った人員削減や経費節減で頭角を現し、コストダウンを最優先の経営課題に掲げる新社長が増えたな」という印象でした。

「新社長登場」は私が若手時代の1980年代にはすでにあるコラムでした。1980年代には多くの新社長が新規事業の立ち上げや新製品開発、海外市場の開拓で頭角を現し、優先課題として多角化を掲げていた記憶があったのです。

そこで本章を執筆するにあたり、私は新聞・雑誌記事データベースを検索して、「新社長登場」に登場した新社長のキャリアや掲げる課題を分析してみました。

具体的には「コスト」「経費」「構造改革」「リストラ」「合理化」「削減」という語を含む「新社長登場」の記事を抽出して、思い切った人員削減や経費節減で頭角を現したり、コストダウンを最優先の経営課題に掲げたりした新社長の数を数えてみたのです。

記憶に間違いはありませんでした。金融危機の前後から、大企業でコストカッターの経営者が増えている傾向が読み取れました。

「目先のことに一喜一憂する会社にしたくない」

日本の電機産業が世界随一の競争力を持ち、バブル景気の最中でもあった1987年、当時、隔週刊(2週間に1回の発行(だった『日経ビジネス』では「新社長登場」のコラムで28人の新社長を紹介しました。

その中で「コスト」という語を含む記事は電力会社の新社長を紹介した1本だけでした。「経費」「構造改革」「リストラ」「合理化」「削減」の語を含む記事は1本もありませんでした。「コスト」を含む記事にしても、「コスト意識の徹底が当面の課題としているが、『目先のことに一喜一憂する会社にしたくない』と言う」と、目先の利益を得るためにコスト削減に前のめりになってしまう経営を新社長が戒める文脈で用いられています。

これが金融危機に見舞われた1997年になると様変わりします。週刊誌となった『日経ビジネス』はこの年、「新社長登場」のコラムで48人の新社長を紹介しました。

同様に「コスト」「経費」「構造改革」「リストラ」「合理化」「削減」という語を含む「新社長登場」の記事を抽出し、人員削減や経費節減で頭角を現したり、コスト削減を優先課題に掲げたりする新社長の数を数えてみたところ、9人にのぼりました。業種は建設機械、重工業、工作機械、自動車、光学機器の各メーカーなど大手メーカーがほとんどです。

何人か紹介してみましょう。

赤字を出しても給料が出る「甘え」を断ち切り…

1997年6月に就任した建設機械メーカーの新社長は、親会社の工場資材部に在籍した若手時代、「米国の大手メーカーが開発した製品の品質を落とさず生産コストを引き下げるコスト管理手法『バリューエンジニアリング』をいち早く導入し、他の工場の指導にも回り」ました。建設機械メーカーに移ってからは、「工場を閉鎖して、別工場に一本化するリストラの旗振り役を務め」、頭角を現しました。

同年同月に就任した重工業メーカーの新社長も「社歴の大半を赤字部門の立て直しに費やし」ました。彼は「資材を安く調達するといった従来のコスト削減の方法では、過当競争による価格破壊に追いつかない。赤字を出しても給料が出るという甘えを断ち切り、会社の体質自体を改める」と抜本的なコスト削減を経営課題に掲げました。

さらに自動車メーカーの新社長も「開発・生産体制から徹底的に見直し、コスト削減と小型車事業の拡大を狙う」と宣言しています。

不況が深刻化していった1998年にはこうした傾向がさらに強まります。人員削減や経費節減で頭角を現したり、コストダウンを優先課題に掲げたりする新社長は、この年、「新社長登場」で紹介した50人中、10人にのぼります。業種も鉄鋼や素材などのメーカーから製薬、不動産、エアラインなどへと広がっていきました。

こちらも何人か紹介してみましょう。

教育・研修費や研究開発費、設備投資も削減

1998年4月に就任した鉄鋼メーカーの新社長は「合理化の徹底」を最優先の経営課題に掲げました。1兆4000億円を超える有利子負債の圧縮などに手をつける時期が来たと見て、「期間損益を黒字にするためのコスト削減から、財務体質の強化のためのリストラに着手する」と宣言しています。

同年6月、前経営陣による抜擢で就任した不動産会社の新社長は、1970年代半ばに千葉市内の住宅開発を担当したとき、家の各部をあらかじめ作り、それらを現場で組み合わせるユニット工法で建設コストを削り、社内で注目されました。「有効活用できない資産は、バランスシートから切り離す」とリストラを課題に掲げました。

製薬会社の新社長は、「1993年に赤字の化成品部門に乗り込み、前任者が手を着けられなかった工場の人員を削減して、わずか1年半で黒字転換を果たした」ことで頭角を現しました。従業員数の削減を重要な経営課題だととらえ、「4700人の従業員を、3年後の2001年には4300人に減らす」目標を掲げました。

もちろん放漫経営を改めるためのコストダウンは大切です。浪費を押し止めるのは経営陣の重要な仕事の一つでしょう。

しかし経営者の役割は有用な支出まで抑えてひたすら節約し、お金を蓄えることではありません。お金を有効に使い、企業価値を高め、社員や株主などに報い、経済を活性化して社会を豊かにする――これこそが本来求められるべき経営でしょう。経営者はそのために短期的な利益のみならず、中長期的な観点から有用な投資と無駄な浪費をきちんと峻別しなければなりません。

残念ながら、金融危機以降、少なからぬ大企業の経営者たちは教育・研修費や研究開発費、設備投資という有用どころか不可欠な支出まで削減してしまいました。そして第1章でも指摘した通り、コストダウンを自己目的化し、恒常的かつ長期化な経営目標に位置づけました。

その結果、社員のやる気はますます失われていったのです。

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抜粋終わり

そもそも「人を育てるのは、百年の計」ですが、明治以降は、天皇家とその閨閥による「都合のいい人間」を作ることだしかなかったのが、明治以降の「暗黒の150年」なのです。


「みんなのため」っていうけど、その「刑名一致」を怠ってまともな検証をしないアホ社会の日本は、延々と「みんなのため」という法螺を吹く捲って、嘘をつき続けてきたのです。

まずは嘘の根幹の「天皇」を根絶やしにするしか、日本人の生存&日本人国家の建国は、あり無いのです。

余談


とノートに書いた。

血というのは傷害を指します。
その血を渙らすというのは、血なまぐさいことから遠ざかって、その身を高尚に保つこととなります。
内卦の坎を血の象としますが、この爻は卦の終りにあって、内卦からは最も遠く、また巽の極にあり潔斎(心身を清める)して清らかさを有つという爻象があります。

そんなこんなことを考えると、まんざら、この動画も「大間違い」でもない。

あるいは、私の占断も「外れ」では無いのかもしれない。

余談終わり

「天皇」は、CIAが維持してきたみたいだよね。

で、天皇は、代々「英国」に人質に出ていく。これって「植民地」だは。

江戸幕府は、「徳川」を盾に「天皇」がその権威・権力を、維持してきた。

明治帝政は、「天皇」が英国王に臣従することで「天皇」を維持している。

さらに、戦後は、武力は「米軍」を護衛兵にすることで、「天皇」を日本人から、中ロ~カルト化した天皇の海外の被害者~から守っていたのだ。

それが「みんなのため」ではなく、戦後に天皇が日本人に「敗戦」を国民に謝罪すらしない、のに、なんで「天皇を守るのが日本人を日本を守る」のか? そんなの嘘だ。

天皇を根絶して 日本人国家を作ろう

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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