某学会と、リベラル派の、なんか共通するところ。

より

上記文抜粋
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以下、日蓮系仏教を知らない人には、ちんぷんかんぷんの話です。

ラーマ・クリシュナは母神信仰でした。
弟子が、なぜ偶像崇拝するのかと問うと、「根本神は法則的な神だが、それを拝む事は容易じゃない。だから偶像を拝むのだ」と答えました。
俺は、仏教をまだ頭で考えていた頃、偶像崇拝を否定していました。日蓮曼陀羅を「法」として拝んでいました。でも、手応えが無い。奇跡的体験もしました。ですが、それはいわゆる、潜在意識の法則と言うもので、宗教と関係あるわけではありません。クリスチャンでも経験します。俺はクリスチャンとも交流しますが、法華も彼らも奇跡話の多さは変わりません。それに、俺の求めているのは、奇跡じゃなくて、魂の変化です。

  それで、試しに思い切って、観音さんを拝んでみたら、心にじわっと来るものがあったのです。だから、ラーマ・クリシュナの言う通りなんですよ。キリスト教は、偶像崇拝禁止の教えなのに、イエスを拝むでしょう? 「偶像じゃなくて十字架だ」って反論があるけど、イメージの上で、イエスを拝んでいる。信仰には、偶像崇拝必要なんですよ。絶対に。日蓮は、確かにあの曼陀羅描いたけど、あの曼陀羅の上には、イメージとしてのお釈迦様が重なっているのが前提だと思うんです。日蓮教学から考えると。大石寺だって、人本尊として、日蓮を立てています。身延元締めの日蓮宗でも、日蓮像を拝んでいるし。創価さんは、日蓮を人本尊とするというスタイルから徐々に離れ、今は法信仰ですね。


法信仰の場合、漠然としちゃうんですよ。仏教の究極の本尊は、宇宙の根源の法(物理学で言う暗黒エネルギー?)なんだろうけど、それって、空気拝むような感じ。だから、仲介者としての神仏があるわけです。本尊は、人の形してたほうがピンと来る。日蓮曼陀羅は日蓮流の密教曼陀羅なんですよ。不動明王、愛染明王は、密教経典にしか登場しない神さまです。法華経には出て来ない。阿弥陀如来は法華経に出て来るのに。

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抜粋終わり

そういえば、創価学会は、結構「リベラル派」の志向だったのです。

だから、公明党と、今では時々に騒動ぽいのがある。

れいわ新選組から野原さんが出馬したときとかありますし。

ケン先生が

より

上記文抜粋
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あの人たちは実態を検証すること無く、ただイデオロギーを称賛しているだけの、ソ連における共産党員やナチスドイツにおけるナチ党員と同じですから。

彼らにとって、自由主義の負の側面は全て「デマ」なんでしょうよ。
最近流行の「ポリコレ」なんかもその一環です。

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抜粋終わり

と、リベラル派の一種の「法信仰」みたいな点を指摘されている。

法華経信仰の「法信仰」でも、S学会と公明党という、モンスターを生んでしまった。

なら、リベラルもその「思想」を信仰して「ただイデオロギーを称賛している」状態になっている現状で、某学会同様の腐敗と、世界規模で「一応宗教ではない」ってことで、すさまじい破壊をもたらしているように思えるけど。

そんな感じです。



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