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メンヘラの生き残りのための兵法 の二三・ 李衛公問対 より


李衛公問対 上巻

 太宗が言いました。
「三万の兵はとても少ないし、高句麗の地はとても遠くにある。そのほうは、どんな方法を用いて高句麗を討伐するつもりだ?」
 李靖は答えました。
「わたくしは正兵(正攻法を使って戦う軍隊)を用いて高句麗を討伐するつもりです」
 太宗が言いました。
「そのほうが突厥(トルコ族)を平定したとき、奇兵(奇襲や奇策を使って戦う軍隊)を用いて勝利したはずだが、今回、高句麗を討伐するにあたり、正兵を用いると言っている。これはどういうわけだ?」
 李靖は答えました。
「むかし、諸葛亮(蜀漢王朝の名臣で、政治や軍事にたけていた)が、敵将の孟獲をとらえるたびに逃がしてやり、孟獲がまた戦いをいどんできたら、またとらえるということを七回くりかえし、ついに孟獲に『諸葛亮には、とてもかなわない』と抵抗をあきらめさせ、心服させたということがありました。これは、ほかでもなく正兵を用いたにすぎません」
 太宗が言いました。
「西晋王朝に仕えた将軍の馬隆は、涼州にいた樹機能らを討伐したとき、正攻法の基本である八陣図にならって偏箱車(大きな荷車)を作り、広いところでは鹿角車(偏箱車の先に刀や槍をつけたもの)を前にならべて敵の突入を防ぎ、狭いところでは偏箱車の上に屋根をつけ、矢の雨から身を守りつつ、戦ったり、前に進んだりした。これを思えば、古人が正兵を重んじた理由もよくわかる」
 李靖は言いました。
「わたくしが突厥を討伐しましたとき、遠く西に数千里も行っていたのですから、もし正兵を用いなければ、遠征を成功させることはできなかったでしょう。偏箱車や鹿角車などを用いて守りを固めることは、用兵の大事な基本でして、これを用いれば、①こちらの戦力を保つことができ、②敵の前進をはばむことができ、③こちらの隊伍が乱れないようにすることができます。この三つは相互に補完しあっています。これを用いた馬隆は、古人の兵法をよく理解していたと言えます」

 太宗が言いました。
「あのとき、右軍が後退しだし、もう少しで大敗するところだったというのに、これがどうして奇策だと言えるのか?」
 李靖が言いました。
「およそ戦争では、前に進むのが正攻法となり、うしろに退くのが奇策や奇襲となります。さて、もし右軍が後退しださなければ、どうして宋老生の軍をおびきだすことができたでしょうか。兵法に『利益で敵を誘っておびきだし、敵の混乱に乗じて敵をうちやぶる』とあります。宋老生は、もともと用兵についてわかっておらず、右軍が後退しだすや、チャンスとばかりに勇んで突進していきましたが、鉄騎隊に不意をつかれる危険性をまったく考えておらず、そのため陛下にとらえられました。これこそ、いわゆる『奇を以って正となす』というものです」

太宗が質問しました。
「軍隊が後退することは、そのすべてが奇兵であると言えるのか?」
 李靖は答えました。
「そうではありません。
そもそも軍隊が退却するにあたり、旗がごたごた乱れており、太鼓の音が全体として調和しておらず、号令がさわがしくてまとまりがない場合、これは本当に敗退しているのであり、いわゆる奇策ではありません。
もし旗がきちんと整っており、太鼓の音が全体として調和しており、号令にまとまりがあり、ざわざわして乱れたようすを見せているなら、これは後退していても、敗退しているわけではなく、奇策を用いているのであり、どこかにワナがしかけてあります。
兵法には『わざと逃げる敵を追ってはならない』とありますし、また『本当はできるのに、できないふりをする』とありますが、これらはすべて奇策や奇襲について言っているのです」

 李靖は答えました。
「およそ戦うにあたり、もし臨機応変に正兵を奇兵に変えたり、奇兵を正兵に変えたりして、敵にこちらの動きが読めないようにするのでなければ、どうして勝てるでしょうか。
ですから、用兵のうまい人は、あるときは奇兵を用い、またあるときは正兵を用いて、人としてできるかぎりの努力をつくし、幸運をあてにしません。ただ、奇兵と正兵をうまく使うことで、戦い方を無限に変化させ、人の目をくらませるので、人はこちらのすぐれた戦いぶりをまったく理解できず、『天から幸運を与えられたので勝てたのだろう』と思うわけです」
 太宗は、なるほどとうなずきました。

正と奇 

正攻法と、臨機応変の法。

それでもこれだけの変化があるのですよ。

決めつけていると

「オーソドックスで正しい」と思ったことが、実は「かなり変で、外れている」ってなるのは、普通にあるのですよね。

「用兵のうまい人は、正兵を用いないこともなければ、奇兵を用いないこともなく、敵にこちらの実情をわからなくさせます。
ですから、正兵でも勝て、奇兵でも勝てるのですが、兵士たちには、その作戦があまりにも巧妙なので、勝ったということはわかっても、どうして勝てたのかはわかりません。分散したり、集中したりして、戦い方に変化を出すことに精通しているのでなければ、どうしてこのようにできるでしょうか。

「韓擒虎は、奇兵と正兵のもつ意味についてわかっておらず、奇兵は奇兵であり、正兵は正兵であるとしか考えていませんでした。「韓擒虎は、奇兵と正兵のもつ意味についてわかっておらず、奇兵は奇兵であり、正兵は正兵であるとしか考えていませんでした。奇兵が正兵となり、正兵が奇兵となって、戦い方に無限の変化をあたえることを知りませんでした」」

普通のやり方・自己流・異端 それは状況により、その実体」は変化するのです。

そもそも教科書も記述は、時代と共に変わるし。

まさに

>奇兵が正兵となり、正兵が奇兵となって、戦い方に無限の変化をあたえる

これは、考え方にも、持っておく方法と思う。


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