大審問官ってのは、破綻する。 のは晏子が2000年以上前に言っている。


とかいた。

体罰容認論者の多くが

「自分ら、だけが考える。お前らは、考えずパンとサーカスだけで満足しろ。歯向かう・意見するのは、最大の悪」

という思考形式が見えかくれする。

「歴史は、大学までは年表の年号さえ覚えていたらいい」
て人たちにも、同じ
「お前らは考えるな。従順で従っていたら、パンとサーカスはくれてやる」のが丸見えなのである。

歴史にしたら、年号なり年表も大事だけど、そこで何がどう行われたか?ってが一番肝心で、それを助けるために「年号・年表」なのだけど。
「正確さ」にバチカン的潔癖さを求める人{潜在的ナチス}や、「お前ら庶民は、考える必要は無い」{ナチスそのもの}は、そうとう、そういうのが嫌いなのはよくわかる、

大審問官的なだよな。それをナチスっていうんだよね。


そんなもの、2000年以上前に破綻してますは。


より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

景公、刖跪の辱を慙ぢて朝せず、晏子直を称してこれを賞せんことを請ふ【第十一】

景公は真昼に髪を振り乱して、六頭立ての馬車に乗り、婦人を御者として宮門を出た。足切りの刑を受けたびっこがその馬を鞭打って 「おまえはわが君ではない」と言い、馬車を返させた。

公は恥じて朝廷に出なかった。晏子は裔款に公に問わせて「なぜ朝廷に出られないのですか」と言わせた。
公は答えて「かくかくしかじかということがあった。 だから出ないのだ」と言った。

晏子は入って公に見えた。
景公は「先日こういうことがあった。寡人は晏子のおかげで百官を率いて宗廟を守ることができている。いまびっこに鞭打たれて、社稷を辱めた。 わしはまだ諸侯の位におれようか」と言った。

晏子は答えて
「君よ、そんなに責めないで下さい。臣はこう聞いています。下の者に直辞がなくなれば上の者は悪事を隠し立てするようになります。人民がはばかってものを言わなければ、 上の者におごった行為があります。
昔、明君が上にあれば、下に直辞が多く、君が善を好めば、民がものを言わないことがありませんでした。
今、君に間違った行いがあり、びっこが直辞をもってこれを禁じました。これは君にとっての福です。ですから臣は来朝して慶賀するのです。この者を賞して、わが君が善を好むことを明らかにして、 この者に礼をつくして、わが君が諫言を受けることを明らかにさせてください」

と言った。
公は笑って「できるだろうか」と言うと、晏子は「できます」と答えた。
そしてびっこの禄を二倍にして税を免じ、参朝を免じた。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

下の者に直辞がなくなれば上の者は悪事を隠し立てするようになります。人民がはばかってものを言わなければ、 上の者におごった行為があります。
昔、明君が上にあれば、下に直辞が多く、君が善を好めば、民がものを言わないことがありませんでした。

ようするに、保守・右翼・天皇信者とか、体罰信者・一種のエリート信者は、暴君になるしかない、ってこと。

大審問官は、アホで、自殺願望者。てのが、2000年以上まえから言われている。

まあ、天皇・大審問官的人間は、カスなので、早急に廃棄しましょう。死んでしまうよ、このままだと日本人は。

天皇を殺し尽くして 日本泰平

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?