仏陀の傷。


「天皇」を絶対崇拝させて、日本人へのピンハネをする。


それが「天皇」制。
















仏教者が説いてきた自業自得と因果応報が正常化バイアスと結び付いて弱者への自己責任論がより強化されますね。法の支配における法的責任はより限定的なのですが、ここでは無限責任が問題となりますね。

また業縁で生まれてくるのであれば、生まれに恵まれなかった場合、業が悪かった、つまり前世の行いが悪かったといっているようなものである。それで終わりにするのであれば、差別がそこから派生するのもやむを得ないということになろう。仏教は古来より現在に至るまで、この問題は泣き所になっている。

空海が「無明を父に生まれ、死と言う殺人鬼に殺される」と何度か書いていてる。

五生格別については、若干批判気味だった空海。「生まれながら、人間の格なり質は決まっている」のが、五生格別らしい。

「誰それは救われる救われないとか言う教えが、絶対の教えなはずがない」って確か秘蔵宝ヤク

そもそも「生まれる」自体が、本当は「無明・わけわからん」はずだが、それでも、人間は、理由をつけたがる。それ自体が無明で、差別も生んでいく。

この辺は、むしろ左伝の言葉で

「君子は、幼弱や卑賎を虐待しない。それは天を畏れるから」

の方が、態度としては正しいと思う。

あと

また業縁で生まれてくるのであれば、生まれに恵まれなかった場合、業が悪かった、つまり前世の行いが悪かったといっているようなものである。それで終わりにするのであれば、差別がそこから派生するのもやむを得ないということになろう。仏教は古来より現在に至るまで、この問題は泣き所になっている。

業が悪い人を差別したり虐待すると、因果応報なら、次は自分が、差別し虐待される。。て本当は因果論や仏道の話のはずだけど、それは「無かったこと」にされているのが、カルト日本。

その辺は、むしろ中国思想の方が、いいよな・・・

なんせ「やくざもの」の劉邦が「高祖皇帝」ってなっても、なんらおかしくないものな。

想像以上に「劉邦」って中国の思想への影響が大きいと思う。いくら競争社会でなんでもありでも、それなりに、世界中「階層」で「生まれ」の格差や差別が、厳然とあったはず。
でも、劉邦の存在って、「生まれ・階層・前世て、言っても、現に国家を統一し社会を安定させる奴が、一番偉いに決まっているは」って、ことだからね。いくら反対しても「それを為せた後の社会だから、いろいろ言える」って言えるしね。

まあ、そんな感じ。

オチはないけど。


世界・宇宙の「公正」と、人間の考える「公正」には、ずれがある。

その「公正」は、結構えげつなく、辛辣で、訳が分からん。て思う。


「公正世界仮説」ってのが、日本で「通俗道徳・自己責任論」って地獄を作っているので。
むしろ「世界は公正でもない。あるいは人間の構想できる「公正」ではない」
のが、正しいのだろう。

王陽明が「至善は、無善無悪」ってのも、そういうところの塩梅を言ったモノのでしょうね。




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