「天皇」が日本人を虐殺する理由の一端を考えてみる。


上記文抜粋
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中国の文化大革命後期に、儒法闘争ということが言われた。
儒家は封建道徳尊重の保守主義とされ、
対して法家の思想を採用した秦の始皇帝を反封建の革命性を持つ者として評価した。

儒家は徳治主義で、法家は法治主義と言われるが、
法の観念が近代と異なるため、
法治という語の使用には注意を要する。
徳の名目による恣意的な統治から脱するという名目は共通しても、
民の自主性を認めない点では決定的に異なる。
法家は儒家以上に上下秩序の厳守を説くのであって、
儒家は国家に対する家族の優位性、個人の道徳的自立、君主と臣下の間の相互規制を説く。

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抜粋終わり


天皇に絶対服従・・・てのは、儒学では無い。


さらに抜粋
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小森健太朗@相撲ミステリの人@komorikentarou
9月17日

私の個人史でいえば、インドから実体験として持ち帰った、マザーテレサに苦しめられているインド民衆の声の数々、それをキリスト教の研究会で発表しても、決してそんなものが存在するとは認めようとしなかった酷薄非道なキリスト教徒の姿と、今のおたく差別を認めない連中の姿がダブってみえます。)

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抜粋終わり

最後の良いですは・・・

マザーテレサは、「親切の押し売り」で、さらのその末流になると、それで圧迫する。

まあ、耶蘇らしいですは・・・

私も、胡散臭さを感じますよ。

自分の教え以外認めない、耶蘇のいうことなど、信用できない。

まあ、マザーテレサが最晩年絶望して死んでいったのも、その蒙にとらわれた悪事をしまくった因果応報。

お読みくださりありがとうございます。”

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抜粋終わり

同感。


さらに抜粋
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(父子と君臣の違いは先天的か後天的か。
先天的の方が優先なら実の両親が天皇より優先だが明治政府に都合が悪い。
天皇教に儒家神道が関わる。
忠に統括なら支配に都合がいい。
孝が最優先でない日本儒教は支配に都合がいい。
日本儒教は儒教カルトっぽい。

儒家和風キリスト教。
悪をなす君主から去れ=従うなを消して凶悪化。
水戸学=儒教カルト。
国家全体が一家族+天皇絶対
=全体主義。

・・・・・中略・・

・諫言は儒教の重要要素。
もともと中国では天子の圧倒的尊貴を言いながら、
同時に臣下の権威が高く説かれることもある。
臣下が皇帝を教導したり諫めたりすることを認めるのも儒教の特色。
中国では諫官として専門の役職がおかれ、
これは官僚を監視する御史台とともに、宰相らの権力が及ばないのをたてまえとした。
中国では皇帝に直接ものを申せる官職が制度化されているのに対して、
日本では置かれなかった。
しかし諫言は日本儒教においても臣下の必須の義務とされたのであって、
日本の古代や中世において儒教が話題になるときは諫言が問題になる場合が目立つ。
近世でもこのような話がある。徳川家康にある家来が諫言したとき、家康はうなずいて聞いていた。
その家来が去った後、ある臣下がなぜあのような凡庸な内容に耳を貸すのか質問したところ、
家康はそれはわかっているが耳を貸す姿勢が重要だと答えた。
(室鳩巣、『先哲叢談』直諫は一番槍より難し)
儒教は王者が諫言を聞き入れる態度を求める。

ただ臣下全員が諫言していてはかえって無秩序になる。そこで家老職などの上位者だけが諫言すべきであるという議論もあった。
葉隠でも主君にもの申すには出世しなければいけないという現実的なところも見せているし、
近年の研究だと、葉隠には一方的な服従ではなく諫言によって主君を啓発する姿勢があるという。

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抜粋終わり

まあ、天皇が如何に無責任で居られるか・・・て


さらに抜粋
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天の機能で重要なのは、
天の意向で道徳内容が変更されることがないこと。

日常の道徳を順守することが天の実現なのであって、
いかなるときも天は道徳の内容の変更を要求することはない。

親への孝は天は絶対に否定しない。
キリスト教の神が親をも超えて命を降すのとは異なる。

天とはそれ自体が特別な意味を持つことよりも、
事物の自然な状態こそが理想的状態であること、

そして道徳とは人間にとっての自然な状態であることを権威づけるために機能している。

この自然は現状追認ではなく本来的ありかたとしてのもの。

自然が理想的状態である以上、キリスト教の造物主のようなそれを超えたものは必要とされず、
イエズス会のマテオ・リッチは嘆じている。

天があるゆえに天より高次の神格は登場しえず、時に過度な宗教的要素が入り込む防波堤になる。

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抜粋終わり

ようするに「天皇」がどういおうが、虐殺や親殺しをしてはいけない。

それが儒学。

天皇は、ほぼ「天」に準じて、道徳を踏みにじれる。

もっというと「天皇」にとっては、人倫など無用で有害なのである。


で、あと「陽明学」の問題点と言うか、難しいところを

抜粋
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 ただし、朱子学は、学べばだれでも天下取りの聖人君主になれる、とするのに対し、
陽明学は、あくまでもともと天下人である者の、天下人としての心得、つまり帝王学であって、なんの政治的配慮の権限も無い、そこらの庶民が高名な政治家たちの顰みをまねて陽明学なんかやったところで、茶番になるだけ。くわえて、朱子学は八条目の階梯を順を追って修養していけばいいが、陽明学はいきなり、万物万民一体の仁を養う、などという、どう考えても天賦の才なしにはできないような超人的なことを要求する。

 万物万民一体の仁もないくせに、基本の朱子学を侮って最初から陽明学なんかに心酔すると、自分の感情的な独善を天理とかってに誤解し、それに変に確信を持って強引に実現しようとする偏狭なテロリストになってしまう。陽明学は、生まれながらに天下人になるべく中庸中正の感覚を全身に叩き込まれてきた文字通りの本物のエリートのためのもの。そうでないなら、まずきちんと朱子学を学んで中庸中正の感覚を身につけてからにした方がいい。”)

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抜粋終わり


朱子学だけで行くと・・・


道徳を基礎づける」の解説に
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権は軽重を区別する方法である。

その意味は、心が明察で、事情を弁別して準{平正}に至るということだ。」{孟子字義疏ショウ「権」}

権は個々の出来事に対して判断を下し、それに正しい意味を与える力である。

したがって、権は軽重が千古不易に定まった「常」ではなく、軽重が乱れる「変」において適用される。

ところが、世の中の多くの人は、誰もが認める軽重に固執するばかりで、実際には判断しようとしない。

とりわけ宋儒は「理に固執して権が無い」{同}

必要なことは、理から始めるのではなく、具体的に判断から理に至ることだ。「人倫日用において、聖人は天下の人々の情に通じ、その欲を遂げさせる。これ{軽重是非}を権って分理を失わないこと、これが理という意味だ」{同}
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抜粋終わり

てあるが、

とりわけ宋儒は「理に固執して権が無い」

殺人ワクチンを嬉々と打たせ、大本営を信じぬき、な~んも責任を持たない、挙句にLGBTQ運動の逸脱した行為になんにも反論できない「売国官僚・売国知識人」になる。

でも上の指摘で重要な視点は・・・

「天の理を、自分で発現させる」~それは平正な心が重要~で、それで既存の道徳や規則に離れた行為をするのだが、

それを「自分は平正で、誠実」とか「神の声を聴いた」とかで捏造・改変・洗脳するのが、大変やりやすくなってしまうってことです。

自分の感情的な独善を天理とかってに誤解し、それに変に確信を持って強引に実現しようとする偏狭なテロリストになってしまう。

だはね。

それに似た例が、今、パレスチナのイスラエル軍兵士が行っている。

 “続きはこちらから”のツイートで、米国の政治学者ノーマン・フィンケルスタイン博士は、“私は今のイスラエルに対してほとんど同情を感じない。あれは悪魔の国だ。世論調査で60%のイスラエル人が…イスラエルのガザでの軍事行動は手ぬるいと言うんだ。…無理だ。私の道徳的想像力の限界だ”と話しています。
 次の「イスラエル軍に拘束されたガザの男性」の話、そしてJ Sato氏のツイートをご覧ください。イスラエル国防軍の兵士は、女性兵士も含め、悪魔の軍団だとしか思えません。

シオニストにとっての「神の言葉」が、人倫や「政治・戦略」を凌駕して、シオニストという、悪魔を生んでいるのだ・・・


これに似たものが、天皇日本では日常的に行われていた。


南京虐殺無かったこと・・731部隊も無かった・・てそりゃ「神~天皇」には「間違いが無い」し、道徳や人倫や戦略よりも「天皇~神」が、偉いのですからね・・でそんな外道な思想・宗教が、カルト・邪教になるのですは・・



で朱子学だけなら

とりわけ宋儒は「理に固執して権が無い」

で、似非リベラル・日本のエリートが、理想・思想で、人間を殺しまくる・・てことになります。

親への孝は天は絶対に否定しない。キリスト教の神が親をも超えて命を降すのとは異なる。
天とはそれ自体が特別な意味を持つことよりも、事物の自然な状態こそが理想的状態であること、
そして道徳とは人間にとっての自然な状態であることを権威づけるために機能している。

これでは、天皇は、信者に「殺人ワクチンを打て」と言えない。「南京で虐殺しろ」「虐殺は無かったことにしろ」って言えないのですよ・・

それを言って命令して通じさせるためには、「天皇は無謬」で、天皇を定義させないのですな。


「天皇」は「法律」以上に「道徳」「人倫」ですら、定義も交渉もできない、化け物・魔物なのです。


その化け物に、日本人は皆殺しになります。

それが嫌なら、

天皇廃止

天皇家根絶やし


しか、日本人は生存の余地は無いのです。


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