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諸悪の根源の「天皇」  てわかるよね。












>国際法違反として実行しなかった幾つかの中隊や小隊の士官クラスが該当。しかし兵卒にはあまり教育してない。

帝政日本の兵卒に「国際法」など教育したら、日中戦争もできないし、そもそも「この戦争オカシイ」となる。


>「勝てないとわかっていても投降を許さなかったこと、傷ついた兵士を見捨てたこと、自決を強要したことなど、自国の兵士に対する非人道的な扱いや、占領地住民に残虐行為を行ったことで国際社会での日本の評価を落としたことなどを、「日本人に対する罪」として糾弾していた」

その通りですよな。

だから

>ちなみにBC級裁判時に恩給復活化とか、賀茂が言う上からの暴力に甘いが露呈する。

裕仁をギロチンで首切ってりゃ、「全部天皇が悪いんだ。あなたたちは悪くない」で、気兼ねなくできてたかもね。


すべての悪の根源が、天皇なのですは。

自己犠牲の精神を濫用して、日本人を殺しまくった「天皇」

それを温存したから、日本人は「自己犠牲」をしにくくなった。

天皇をさっさと、皆殺しにしろ。


これもそうだし


上記文抜粋
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 右翼団体や与党議員、幸福実現党などは、異常な被害妄想を抱いています。隣国からの攻撃を異常なまでに恐れていますが、その裏には、この人々が、残酷で陰湿で意地悪な民族差別意識、隣国への病的な差別意識に取りつかれていると言う現実があります。

 また、与党議員や右翼団体は戦争犯罪人の子孫であったり、戦争中に自ら占領地で強姦や殺人、強奪などの残虐行為を嬉々として実行した人間の子孫がほとんどです。自分達が平然と弱い立場の人々をいじめ殺害して喜び、それを肯定する異常者ですから、報復を恐れるのは当然の事です。この人々はあらゆる詭弁によって「防衛」のための武装や軍備を主張しますが、それは自分達が卑劣な差別主義者であり、殺人をも厭わない弱いものいじめを楽しむ異常な人間であり、腹の中ではそのことを自覚しているからです。

 いじめ加害者が、「いじめ続けなければ自分がやられる」と発言するのは、自分がいかに残酷な事をやっているかを内心は自覚しているからであり、報復を恐れているからです。自分が弱いものいじめを楽しむ人間であるから、相手も同じだと考えるからです。

 つまり、現在の日本の自民公明、幸福実現党、維新や希望など、差別意識に取りつかれた病的な連中がメディアその他によって日本の子ども達に自分たちの被害妄想と差別意識を植え付け、親世代も弱者を冷笑する風潮が定着してしまった結果、日本中で残酷な弱いものいじめと差別が起きる状態が醸成されてしまっていると言う事です。

 残忍な差別主義者に権力を与えてしまうと、その者の異常な認識と病的な攻撃性、被害妄想が子供たちの心まで蝕むという好例、これが日本なのです。

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抜粋終わり


より 

上記文抜粋
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76年前のきょう(1945年8月15日)、アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)についてポツダム宣言の受諾を、ラジオが裕仁の肉声を流し国民が知りました。(なお法的な戦争終結は降伏文書への調印の1945年9月2日)

この戦争中、裕仁は日本陸海軍の統帥権者(最高指揮権者)として、軍部の決定を裁可する立場にあったのです。

よって末端の兵士への命令も「天皇の命令」であり、明治維新以降政府がでっち上げ全国民に叩き込んだ「天皇神性物語」に洗脳されていた人びとは、その命令に抗することはできませんでした。 そのことが多くの悲劇を生んだことは周知のとおりです(その悲劇はこの絵の下部にも表現されています)。

裕仁は、敗戦直後GHQの占領政策の都合で戦犯指定を免れた幸運な戦争責任者と言えるでしょう。

名目的形式的な性格があったとは言え、彼に全く責任が無いなどということはあり得ない。それにもかかわらず、戦争の「説明責任」すら果たさないまま、戦後43年余りを能天気に過ごし1989年1月7日87歳で天寿を全うしました。

先の戦争について彼が具体的に語ったことと言えば、1975年10月の日本記者クラブ主催の記者会見で、原爆投下について聞かれ 「遺憾で気の毒なことだが戦時中のことなので仕方がない。」、戦争責任をどう考えるかと聞かれ 「戦争責任というのは言葉のアヤ。自分は文学方面に詳しくないのでわからない。」 という認識を示したことぐらいしかない。(記者会見でのこの発言は後日顰蹙を買い、以後この件はタブーになったようです。)

戦後重要な職にある多くの政治家や企業経営者が責任を回避し続けたのは、「天皇ですら責任回避するのだから我々も・・・」という意識が働ているのは確実でしょう。

そうした体質は、裕仁が自己の戦争責任を曖昧にしたことによって、戦後一層強まったと言えます。

今からでも遅くない。まずは昭和天皇裕仁の戦争責任を究明し明確にして断罪すべきだと考えます。

                                           

© 2021 HIRAI HIROAKI

   

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抜粋終わり



より

上記文抜粋
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① 現在の天皇制度は、実際には全く新たに明治時代に作り上げたものである。

幕末明治維新の際、長州藩中心の倒幕勢力(後の明治政権)が、それまでレイムダック(死に体)だった天皇を神輿に担ぎ上げ倒幕の名分にし、政権樹立後、全国民の一括統治(国民国家の構築)を目的に、それまでとは全く異なる天皇制度を構築した。

② 明治政権は、「古事記」や「日本書紀」を強引に日本の正史として解釈し、「紀元前660年に神武初代天皇が日本を建国し、以降日本は万世一系の天皇を中心に栄えた世界最古で唯一の神の国」という天皇神格化皇国史観を創作することで国家統一を果たそうとした。

それは、キリスト教のような一神教のなかった日本にそれ代わるものを作り、西欧列強の植民地化圧力に対抗する面も有した。

③ したがって明治以降の天皇制度は、平安時代中期から江戸時代末までの、ほとんど忘れ去られていた緩い天皇制度とは根本的に異なるもの。明治維新に際し天皇暗殺・別人すり替え説もあるぐらいだ。

また、民衆の間に天皇を奉祝するなどという行為が生まれたのは、明治政権の政策によってのことである。

そして明治維新政権は帝政ドイツをまねて憲法を制定し、天皇を国家元首かつ軍隊の最高指揮権者の地位に据える。これによって統一国家大日本帝国として軍備を持ち、対外戦争ができる中央集権体制を整えた。

               

④ この天皇を中心とする(実は利用する)国家統治体制がアジア太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦(1945年8月)まで続く。

敗戦後は新憲法により、天皇制度の性格や権限が大幅に変更され、天皇は日本国と日本国民統合の「象徴」という地位になる。しかし、戦前の制度もそのまま多くが引き継がれた。

         

⑤ この明治期以降の新しい制度による天皇は、明治天皇睦仁・大正天皇嘉仁・昭和天皇裕仁・現天皇明仁の4人だけである。

現天皇明仁は、伝説では神武天皇以来125代目だが、実質上は4代目というべきなのだ。

      

⑥ そして、年齢等を考慮すれば、今後天皇を世襲する可能性のあるのは、徳仁(2019年5月1日に即位予定)、その弟の文仁、文仁の長男悠仁。

そして皇室典範改正で女性の天皇が可能になれば、徳仁の長女愛子、文仁の長女眞子、文仁の次女佳子も天皇となる可能性がある。

          

⑦ ここで重要なのは、天皇や皇族は、我々と全く同じ「ヒト」という動物であり、特別に一般国民よりも偉いとか尊いということはないということ。

古事記や日本書紀に書かれた神武初代天皇の血筋を2千年以上も途切れず引き継いでいる(万世一系)などという話も、全く証明はない。

仮に血筋を引いていたとしても、現代の社会で、「太古の昔日本を統治した豪族の親分の血筋」が、何か特別に高い価値を持つことなどあり得ない。

⑧ また、これまで天皇が勇敢に英雄的行動をとって、多くの国民を救ったという事実でもあれば話は別だが、そういう事実もない。

さらに、国民の安寧を祈ることが天皇・皇族の最重要の役割で、国民はその恩恵を受けているという主張がある。

しかし
祈るだけで戦争や災害・事故・貧困がなくなれば、こんな楽な話はない。全く説得力のない理屈だ。

⑨ むしろ、右翼的強権政治や軍国大国を志向する勢力に、再び天皇が担がれて利用される危険性の方を、将来に向けて警戒すべきだ。

したがって、天皇や皇族を、天皇・皇族という理由だけで敬う理由も必要もない。そして天皇・皇族の利用をたくらむ勢力の跋扈を許してはならない。

⑩ 今の世の中でも、この天皇や皇族を、敬愛し崇拝しなければならないのだと、馬鹿げた不合理なことを主張する右派天皇崇拝主義勢力が存在する。

こうした天皇崇拝主義者は、いまだに戦前の皇国思想そのままの「日本は天皇を中心とする世界最古唯一の神の国」だという、とんでもないことを平気で口にし、加えて憲法も明治憲法に復古せよと主張したりする。

しかし、決してこのような考えに与してはならない。

⑪ 【まとめ】: 日本に、後に「天皇」と呼ばれるようになる豪族の長が出現し他の多くの豪族を支配したのは、だいたい4世紀頃。

しかしこの天皇が、自身の意思で政治力と軍事力(=「権力」)を思いのままにできたのは、せいぜい平安時代の初期まで。

それ以降現在まで「権力」は失ったままで、わずかに残った「権威」だけを細々と引き継いでいただけに過ぎない。

権力の方は、藤原貴族等を経て武士政権へ、そして明治以降は国民の政治家・軍人に移った。

特に徳川時代は、皇室を取り締まる法律として「禁中並公家諸法度」が制定され、皇室は、政治・軍事に口出しするな、和歌を詠んだり読書だけしていろというもので、徹底的に皇室は封じ込められた。徳川政権は、皇室に僅かに残っていた権威的なものを儀礼として利用するだけだった。

そして当時の一般庶民の大半は天皇の存在すら知らなかったというのが実態。

さらに明治以降は、倒幕勢力中心の明治政権が、天皇への絶対忠誠を突然国民に強制し、天皇の名のもとに戦争で多くの国民が犠牲を強いられた。

アジア太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦以降も、国民の心の奥底、本音の部分では、皇室を敬うなどという意識は皆無に等しい実態が続いている。

これらのことは、右派天皇礼賛論客がよく口にするフレーズ「125代という悠久の歴史を重ねる連綿とした皇室の存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝である。日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできた。」は、全く歴史的事実を無視したデタラメという他ない。

⑫ 【結論】: 以上のこと(特に⑨)を考慮すれば、天皇制度は廃止すべきだと強く主張する。

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抜粋おわり

いち早く、天皇家を根絶やしにして、 日本人を助けないと、日本人は死滅するだろう。


天皇の無い 蒼い空を取り戻す









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