「お金」は劇薬。その使用を誤って滅ぶ・・・て、人間滅亡の一形態。

上記文抜粋
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少し前に神さまから
頂いたお言葉です

神さまのお言葉

"神さまはお金では動きません 動くのは人間です

神さまは戦争はしません するのは人間です

神さまは自然を壊しません 壊すのは人間です

神さまは国を作りません 作るのは人間です

神さまは動物実験をしません するのは人間です

神さまは貧富の差を作りません 作るのは人間です

神さまは穢れたところにはいきません
正確に言えば行かないというより行けないのです
なぜなら神には穢れた心がないからです あるのは人間です

神さまは嘘はつきません つくのは人間です

神さまは見捨てたりしません 見捨てるのは人間です"

神さまはよくお話の中で

"人類がお金を作った時から
滅ぶ事が決まっている"

という事を、おっしゃられます。

元々地球にはお金はなかったのに
いつか誰かが
他の人よりも豊かになりたい
優位に立ちたいと思うようになり
お金を作り出したのだそうです。

地球以外の宇宙にある星には
お金はなくて、みんながそれぞれ
自分の得意な事(出来る事)をして
助け合って生きているから
戦争もいじめも起こりようが
ないのだそうです。

今回のこのお言葉を読んでいると
今人類が困っている問題は
元をたどっていけば

全て人間が作り出したり
始めたものであって

神さまは人間が助け合って
生きていけるように
人間が困らないように
美しい地球を創られたのに

人間自らの手で壊して
苦しむように苦しむように
どんどん作り変えてしまっていて
それがさらに現在も進行している
のだなあと思いました。。。

お金が無ければ

戦争も起こらないし

自然破壊もなく

貧富の差も出来ず

差別もなくて

お金のための殺人も起こらないし

泥棒する必要もなく

人同士がいがみ合う事もなく

今、たくさんの人々が
苦しめられている事は
生まれなかったのかなあと
思いました

神さまのお言葉は
本当にシンプルで分かりやすいので
余計に胸に突き刺さりました。。。

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抜粋終わり

人間は、金を作ったから滅びる・・・て極論だけど。

ただ「その使用を誤って滅びる」ってのは正しいと思う。

そういう意味で、間違いではない。

国家だけでも・・・・ソ連型社会主義国家・新自由主義社会・・みんな滅亡しているし、滅亡中。

より

上記文抜粋
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主人はマネー(古井由吉とラカン)


古井由吉の「主人はマネー」を何回か引用してきた。

このまま右肩上がりを前提にし続ければ、意外に人類の滅亡は早いんじゃないでしょうか。 もはや、滅亡をどう先送りするかという地点にまで来てしまったのではないでしょうか。〔・・・〕

民主主義の極地は、「民意」という名の下に全体主義の形を取り、全体主義の極地は、国家間の境界を越えた超資本主義の形を取ります。

ここで、無主主義という観念を導入した方がいいと思います。今は民主主義が尖鋭化して全体主義になった状況を考えた方が世界を見易いですが、独裁者がいるかと問われれば、 いないでしょう。主人はマネーかもしれないんです。(古井由吉『新潮 45』2012 年 1 月号 片山杜秀との対談)


ーー古井由吉は似たような話を何度もしている[参照]。

ところで、ーー次のジャック=アラン・ミレールへのインタビュー記事は見逃していて先程偶然行き当たったのだがーー、ラカンは既に1960年代に「主人はマネー」と言っていたようだ。


◼️ジャック=アラン・ミレールインタビュー

「ラカンは資本主義の世界的支配を予見した」

Jacques-Alain Miller: “Lacan Foresaw the Global Domination of Capitalism”


8 August, 2022 Oscar Ranzani*

極右の台頭が著しい世界で、資本の言説についてどう考えればいいのでしょうか。

ーーラカンは、若者やそれ以上の人々が資本主義について話していたときに、資本の言説を形式化した。例えば、68年の大いなる問いである。ラカンは当時の文化に本質的な問題を求め、それを自分の言説に翻訳した。資本の言説について語られるとき、それは、共産主義諸国や第三世界には、左派に共鳴的な代替案があるように思われたからだ。しかし、現在はそうではない。資本主義はどこにでもある。グローバリゼーションは資本のグローバル化である。代替案はない。あるいは、民主主義的資本主義と権威主義的資本主義との間の代替でしかない。そして、もしラカンが今日のことを考えたら、資本の言説の形式化は違ったものになっていただろうと思う。同時に、私が言っていることとは正反対の逸話もある。

How can one think about capitalist discourse today in a world marked by the advance of the ultra-right?

– Lacan formalises the capitalist discourse when all the youth and beyond were talking about capitalism. It was the great question of '68, for example. Lacan sought in the culture of his time the essential concerns and gave them a translation in his discourse in order to divert, to have an impact on these issues without rejecting them, accepting them in order to transform them. When people spoke of the capitalist discourse, it was because it seemed
that there was an alternative in the communist countries, with the Third World, but which was more sympathetic to the left. This is not the case today. Capitalism is everywhere. Globalisation is the globalisation of capital. There is no alternative. Or the alternative is between democratic capitalism and authoritarian capitalism.
And I think that if Lacan thought about things today, his formalisation of capitalist discourse would be different. At the same time, I have an anecdote that perhaps says the opposite of what I am saying.
どんなものですか?

– かつて、私的な会話の中で、私はラカンに中国で何が起こっているかについてどう思うか尋ねた。 1960年代のことだった。私はマオイストで、毛沢東が中国でやろうとしていることは全く前例のないことだと考えていた。するとラカンは私にこう答えた、「他のどこでもそうであるように、北京でも主人はマネーだ」。その予測と洞察において並外れたものだった。彼はすでに、未来は資本主義が世界を支配するという考えを持っていた。

How does it go?

– Once, in a private conversation, I asked Lacan what he thought about what was happening in China. It was in the 1960s. I was a Maoist and I thought that there was something totally unprecedented that Mao was trying to do in China. And Lacan answered me: “In Peking, as everywhere else, the master is money”. It was extraordinary in its anticipation and lucidity. He already had the idea that the future was the domination of capitalism in the world.

もうひとつラカン派ポール・バーハウによる「主人はマネー」と言い換えうることができる文を掲げておこう。



それほど昔のことではない、支配的ナラティヴは少なくとも四種類の言説のあいだの相互作用を基盤としていたのは。それは、政治的言説・宗教的言説・経済的言説・文化的言説であり、その中でも政治的言説と宗教的言説の相が最も重要だった。現在、これらは殆ど消滅してしまった。政治家はお笑い芸人のネタである。宗教は性的虐待や自爆テロのイメージを呼び起こす。文化に関しては、人はみな芸術家となった。唯一残っている支配的言説は経済的言説である。われわれは新自由主義社会に生きている。そこでは全世界がひとつの大きな市場であり、すべてが生産物となる。さらにこの社会はいわゆる実力主義に結びついている。人はみな自分の成功と失敗に責任がある。独力で出世するという神話。あなたが成功したら自分自身に感謝し、失敗したら自分自身を責める。そして最も重要な規範は、利益・マネーである。何をするにもマネーをもたらさねばならない。これが新自由主義社会のメッセージである。
Not so long ago, the dominant narrative was based on the interplay between at least four discourses: the political, the religious, the economic and the cultural, in which the political and the religious aspects were the most important. Today, they have all but disappeared. Politicians are fodder for stand-up comedians, religion calls up images of sexual abuse or suicide terrorism, and as for culture, everybody is now an artist. There is only one dominant discourse still standing, namely the economic. We live in a neoliberal society in which the whole world is one big market and everything has become a product. Furthermore, this is linked to a so-called meritocracy in which everyone is held responsible for his or her own success or failure – the myth of the self-made man. If you make it, you have yourself to thank; if you fail you have only yourself to blame. And the most important criterion is profit, money. Whatever you do must bring in the cash; that is the message.
(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, Higher education in times of neoliberalism, November 2015)

※このラカン派ポール・バーハウのいう経済的言説はラカンの資本の言説[le discours capitaliste]の言い換えである、➡︎「最悪の時代への突入


ここではラカンの資本の言説の内容ではなく、ジャック=アラン・ミレールからもう一つ引用しておこう。
今日、私たちは家父長制の終焉を体験している。ラカンは、それが良い方向には向かわないと予言した[Aujourd'hui, nous vivons véritablement la sor tie de cet ordre patriarcal. Lacan prédisait que ce ne serait pas pour le meilleur. ]。〔・・・〕
私たちは最悪の時代に突入したように見える。もちろん、父の時代(家父長制の時代)は輝かしいものではなかった〔・・・〕。しかしこの秩序がなければ、私たちはまったき方向感覚喪失の時代に入らないという保証はない[Il me semble que (…) nous sommes entrés dans l'époque du pire - pire que le père. Cer tes, l'époque du père (patriarcat) n'est pas glorieuse, (…) Mais rien ne garantit que sans cet ordre, nous n'entrions pas dans une période de désorientation totale](J.-A. Miller, “Conversation d'actualité avec l'École espagnole du Champ freudien, 2 mai 2021)

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抜粋終わり

お金は、方便。。。

その便利さゆえに目的になり神のようになってしまった。

そう、劇薬なんですは、、、「お金」は・・・

「病を病としたら、病でなくなる」by老子。

お金の「疾病性」を知りわきまえて使えば、大過ないが、まあ結構な劇薬なので、国家でもぼこぼこ滅びているからね・・・。

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