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和尚さんの、警句。
「多くの怨みは怨みによっては、決して止むことがない
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 19, 2022
怨みを捨ててこそ止む」
『法句経』の有名な言葉であり、多くの人に引用されます
しかし、この言葉は安易に使うと極めて残酷であり、ひいては抑圧と弾圧の正当化にしかならないと、気をつける必要性があります
やもすると被害者や弾圧、抑圧される当事者に、「どんなに苦しくてもそれを受け入れなさい。抵抗するなんて『恨み』ですよ。被害を受けたのはあなたが悪いのですからね」という、加害の正当化に利用されかねない言葉だという、そんな危険性をもはらんでいるからです
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 19, 2022
私は「恨み」とは感情論であり、野蛮であることだと思います
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 19, 2022
だからこそ「恨みを捨てる」とは、論理、知性に基づく行動をすることであり、単なる敗北主義、どっちもどっち論ではないと
そうでなければ、なぜ釈尊がカーストを否定されたのかが、説明つかなくなります
「恨みを捨てる」は、感情論や野蛮に対して同じく感情論や野蛮で対抗するのではなく、法(ダルマ)と理性と知性をもって対処、抵抗することの重要性だと思います
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 19, 2022
しかし悲しいかな、「恨みを捨てて」という言葉を喜んで使う人の中には、いうなればイジメを受けている子に対して、「抵抗なんかするから虐めが止まないのです。あなたは自分の虐めを受け入れなさい。そうすれば虐めは(表面化しないから)なくなります」という理屈を
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 19, 2022
「恨みを捨てる」という、表面的な言葉の美しさで使いがちになります
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 19, 2022
私たちは簡単に加害者になるのだと、よくよく心しなければなりません
「怨みを捨ててこそ怨みは止む」は、被害者に向けての慰めや諦めではなく、加害者に対する戒めでなくてはなりません
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 26, 2022
被害者に対してこの言葉を発しては、加害の協力者となってしまいます
他人が当然の権利を行使し、幸福を追求していることに対して、そこになんら合理的利害関係が生じる訳でもないのに、そのような行動が許せないと感じ、そのような他人を阻害しようとする
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 26, 2022
「のび太のくせに生意気だ」というセリフは、正しく「怨み」なのです
つまり殴られたのび太に「怨みを捨てなさい」と言うのではなく、ジャイアンやスネ夫に対して、「『のび太にくせに生意気だ』こそが怨みであり、自分が一方的に抱いたのび太への理不尽な怨みに報いるために、暴力という怨みで攻撃してはならない」
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 26, 2022
「『のび太のくせに…』という怨みを捨てなさい」と言うのでなくては、被害者を永久に被害者として押し込めてしまいます
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 26, 2022
もっとドライな事を言えば、芸能人がプライベートで誰と交際しようが、どこに行こうが、何をしようが、その個人がどんな属性であろうが、そこになんら違法性も不正もなければ、一切興味を抱かない
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 26, 2022
下世話な視線を向けないということですか
なんら合理的な理由がないにも関わらず、他人が権利を行使し、幸福の追求しようとすることに、「許せない」と感じてしまう理不尽な感情の働きが、捨てるべき「怨み」です
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 26, 2022
特に社会的弱者、少数派が何かを求めることに対して、そこになんら自分に不利益が生じず、また社会の弱体化に繋がることでもないのに、なぜか「許せない」と感じ、彼らが自分を攻撃しているからと称して、迫害を正当化する
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) March 26, 2022
これこそ怨みに対して怨みで報いる行動でしょう
「怨みを捨ててこそ怨みは止む」は、被害者に向けての慰めや諦めではなく、加害者に対する戒めでなくてはなりません
被害者に対してこの言葉を発しては、加害の協力者となってしまいます
のび太に「怨みを捨てなさい」と言うのではなく、ジャイアンやスネ夫に対して、「『のび太にくせに生意気だ』こそが怨みであり、自分が一方的に抱いたのび太への理不尽な怨みに報いるために、暴力という怨みで攻撃してはならない」
「『のび太のくせに…』という怨みを捨てなさい」と言うのでなくては、被害者を永久に被害者として押し込めてしまいます
これは、まったくもって、正しい。
マトモな仏者は、もっと声を大きく、こういうことを言うべし。
て、日本には、仏者は少なく「天皇真理教仏教モドキ派信者」が、圧倒的多数な状態で、坊さんも、過半数が「天皇真理教徒」だからね・・
天皇を消滅させて 日本泰平
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
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