天皇は、日本の貧国弱兵を保証する。

より

上記文抜粋
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日本の「貧国弱兵」が進むとしか思えない、国防巡る有識者会議の報告書

内閣総理大臣決裁により開催することとされた「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」。この報告書の内容を見ると、筆者には岸田政権が我が国の国防・安全保障について危機感を持たず、平時の発想で国防ごっこのようなことをしているとしか思えない。(政策コンサルタント 室伏謙一)

● 「国力としての防衛力を総合的に考える」ものになっていない報告書

 ロシアによるウクライナ侵攻を契機として、欧州を中心に、世界的に国防費の増額の動きが加速化している。日本の場合、中国、ロシア、北朝鮮、そしてアメリカという4つの核保有国に取り囲まれており、かねて自主防衛力の強化は喫緊の課題であった(なぜアメリカを含めるのか、アメリカは同盟国ではないか、と思った読者諸氏、日米同盟ではなく日米安全保障条約であること、そして、パーマストン卿の「我々(英国)には永遠の同盟もなければ永遠の敵もない。‘We have no eternal allies, and we have no perpetual enemies.’ 」という言葉を想起されたい)。

 加えて、近年、勢力を伸張させてきている中国による尖閣諸島周辺海域への侵入や、北朝鮮による日本周辺海域へけたミサイル発射が回数を増し、さらに中国による台湾侵攻が現実味を帯びてきている等、自国を取り巻く国際環境が大きく変化しているところ、防衛力増強のための防衛費増額を求める声はあった。遅きに失した感はあるが、やっと日本政府も防衛費増額へ向けた議論を本格化させるに至った。その最初の舞台となったのが、9月22日付で内閣総理大臣決裁により開催することとされた、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」である。9月30日に第1回会合が開かれて以降、取りまとめが行われた11月21日までに4回開催された。

 しかし、同会議における議論は冒頭から真に「国力としての防衛力を総合的に考える」ものとはなっていなかった。「総合的に考える」とは、防衛力の増強を多角的な視点から考えるという趣旨ではなく、簡単に言えば、防衛力の強化とは直接関係がないものまで防衛力に含めて考えていこうということである。したがって、防衛費を実質的に増やさないばかりか、「総合的」な防衛費の増額にかこつけて、防衛力に関連付けられてしまった経費まで減らされかねないのである。

 なぜそのようなことになってしまったのか。同会議の事務局が実質的に財務省であろうことの影響が大きいだろう。開催根拠である「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議の開催について」(令和4年9月22日 内閣総理大臣決裁)においては、「有識者会議の庶務は、内閣官房において処理する」とされているが、内閣官房はいわゆるキャリア官僚を独自採用していない(少なくとも筆者が知り得る限りにおいてはそうである)。つまり各府省からの出向者を中心に構成されているということであり、同会議の事務局を担当した部局にも財務省の出向者がおり、彼らが財務省本省と連携というより指示を受けて議論が進められたのであろうということである。

 実際、第2回会合においては「総合的な防衛力強化に向けた論点」と題して財務省が説明を行っているし、第3回会合においても、今度は「総合的な防衛体制の強化に必要な財源確保の考え方」と題して説明を行っている。そもそもなぜ財務省が防衛力強化に向けた論点について説明するのか、少し考えてもおかしな話である。加えて、財源確保に関しても、これは政治が考える、政治が決断すべき話であって、財務省ごときがしゃしゃり出てきて説明するような話ではないはずである。要するに、財務省が同会議の議論や結論を相当程度方向付けていたことの証左、ということであろう。

 そうしたことは、同会議の議事要旨からも明らかである。第1回会合から「経済財政の在り方」なる項目が立てられ、防衛費増額の財源として、国債を否定し、増税によるべきとする発言が目立っている。その後の会合でも、同様に同旨の発言が、表現は変えつつも繰り返し行われている。まるで決められたセリフを読み上げているようだ。

 さて、11月22日、その結果を取りまとめた「『国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議』報告書」が岸田首相に手交された。その内容は、我が国が置かれた状況に対する危機感や緊張感に欠けた、とても我が国の防衛力の強化にはつながらないような内容である。

● 平時が前提としか思えない発想が散見される内容に

 例えば、最初の「防衛力の抜本的強化」のところで、防衛省の掲げる抜本的強化の方向性に続けて、我が国として優先的にどの分野を強化するべきかを考えるについて、同盟国等とのシナジー効果も考慮するとしている。そもそも、最初から他国軍とのシナジー、つまり相乗効果を前提に自国の防衛力の強化を考えるというのは、半ば他国頼みで考えているのと同じであり、国防を本気で考えていない姿勢の表れである。

 防衛産業育成・強化については、経済産業政策や農業政策等と同様の輸出依存思考に陥っている。防衛装備品という特殊な製品は簡単に売れるものではない。防衛産業という特殊産業を担う企業からすれば、輸出依存の場合、海外で売れなければ投資が回収できないところ、売れるかどうかこの段階で分からないというのであれば、投資などできないだろう。アメリカ等と同様に、国が安定的に調達する、つまり国が防衛産業に係る需要を創出することが必須であり、だからこそ巨額の投資が回収できるし、1単位当たりのコストも下がるのである。

 同報告書では自衛官の処遇改善にも言及している。これは総論としてはいいことである。ただし、退役自衛官の活用を記載する一方で、現役自衛官の増員を書かないというのは、平時の思考かつ既存の兵力で対処するという観点からのものであり、やはり本気で国防を考えていない証拠であるといえる。

 防衛力に関して、「規模ありきではなく、優先順位づけ、実現・執行可能性のチェック」うんぬんといった平時の公共事業、しかも緊縮思考での公共事業の締め付けと同じ発想で臨もうとしていることからもそのことは明らかである。これでは貧国弱兵が進むだけである。

 「縦割りを打破した総合的な防衛体制の強化」と題した部分で、冒頭から「『自衛隊だけでは国は守れない』ということも肝に銘じ」としている。これも緊縮ありきで国防を考えようという発想であり、貧国弱兵の発想である。「自衛隊だけで国を守る」ということが基本としてあって、その上で現行制度の不備を補完する形で海保等との連携を図っていくというのが当然であり、そうであれば聞こえがいい「縦割りの打破」などと書くべきでない。領域警備法の整備や、軍隊として組織されることや、軍隊として機能することを前提としていない海上保安庁法の関係規定の改正等により、海上保安庁と海上自衛隊の緊密な連携を実現する。それとともに、海上保安庁についても大幅に体制・装備を強化することとするのが妥当であろう。確かに、同報告書にはその旨も記載されているが、その趣旨は、それによって海自の強化を代替しようというものに他ならないだろう。

 サイバーに関しては民間企業まで登場する。現状における実態を踏まえてということなのだろうが、それは平時の発想である。有事になったら国が企業やその職員を強制的に国防のために徴用する仕組みでも創設するとでも言うのだろうか。官民の連携体制という表現は出てくるが、有事にはそれでは対応できまい。国が強制的に徴用ということになればその対価を支払うなり補償しなければならない。それをしたくないから、要するに有事の対応をやる気がないから、「連携」という言葉で誤魔化しているのではないか。

 具体的な仕組みに関して、研究開発については、防衛省の意見を踏まえた研究開発ニーズと各省が有する技術シーズをマッチングさせる政府横断的な枠組みを構築するのだそうだが、防衛関係の研究開発は長い年月を要し、かつその技術や研究の成果がいつ、どのような形で生きてくるのかが分からない。したがって、日常的な基礎研究が重要ということであるが、橋本行革以降、小泉・竹中改革を通じて基礎研究の現場である大学や研究機関を、独法化と運営費交付金の削減、そして短期的な競争的資金の導入により疲弊させてきた。そうなるとシーズといえるような技術がどこまであるのだろうか。各省が所管する民間企業の有する技術シーズということなのであれば、防衛省の研究開発ニーズに見合うものを見つけるのはなおさら困難なのではないか(そもそもニーズとシーズのマッチングというのは、商用の製品開発の発想である)。

 公共インフラについては、自衛隊や海上保安庁のニーズに基づき空港・港湾等の整備や機能強化を行う仕組みを創設するとしており、投資を拡大するようにみえるが、実際にはそうではない。なんと、既存の空港や港湾等の利用等に係る規程の整備を行うというのである。つまり、あくまでも既存のインフラを活用するだけということ。これでは戦う前からこの国を脆弱(ぜいじゃく)のまま放置しておきますと言っているようなものである。もしそのインフラが破壊されたり機能不全にさせられたりしたらどうするつもりなのだろう。この報告書には国防のためのリダンダンシーやレジリエンスの確保といった考え方は欠落しているようだ。それで国が守れると考えているのだろうか。

 極め付きは国際協力に関する内容である。なんと、外国軍隊への資機材供与や外国のインフラ整備等のための「特定安全保障国際支援事業」なる無償資金協力を創設するのだそうだ。我が国の防衛力がまだまだ不十分なところ、そのための防衛費の増額だというのに何を考えているのか。

 経済財政の在り方という項目は、当然のように同報告書にも設けられているが、間違った認識が目立つ。防衛力強化には経済力強化が必要というのは当然だが、財政基盤の強化というのは直接的には関係がない。なぜなら日本はインフレ率の許容する範囲内で国債発行による財政支出ができるからだ。ただし、それは経済力、つまり供給能力が十分であればの話。食料等の国民生活に不可欠な物資の国内での調達が困難となり海外からの輸入に頼らざるを得なくなれば、外国通貨建の国債を発行して外貨を調達しなければならなくなる。まさにレバノン状態である。現在、日本はそうではないので、その必要はないが、現状を維持し、さらに国内供給能力を高めていくには国がしっかりと投資をしなければならない。これは防衛装備品についても同じである。しかし、国際的金融市場の信任だの、海外投資からの資金調達だのと頓珍漢なことが書かれている。要は国内に国がしっかり投資をして供給能力の維持・向上を図る気はないということなのだろう。これでは防衛力強化も何もないではないか。

 そして、防衛費増の財源については、増税と歳出改革なる歳出削減策によるとしている。いずれも国民経済を縮小させることにしかつながらず、困窮する国民をさらに困窮させるもの。それで、貧国化を進めてどうやってこの国を守ろうというのか。戦う前から国を弱体化させるようなものである。まさに貧国弱兵である。

 更にこれを補強するために、日本が戦前、戦費調達のために国債を大量発行して敗戦直後にインフレになったとし、それを教訓として位置付けているが、これも完全な間違いである。敗戦後のインフレは、空襲等によって様々な工場等が破壊されて供給能力が著しく低下していたところに、外地からの兵士の復員や戦後復興のために需要が急増していたこと、更に、占領軍に駐留のための住宅や娯楽施設の整備を命じられて公的需要が一気に高まったこと、つまり供給能力が著しく不足しているところに需要が一気に高まったので高いインフレになったのであって、国債の発行とは何の関係もない。

 この報告書を受けた11月24日の自民党政調の全体会合において、防衛費増額の財源についての議論になった際に、萩生田光一政調会長は、「財源は国債である」と明言したそうである。また、同党政調の国防部会では増税反対の声が多く上がったとのことであり、防衛費の増額を増税によって行うことを回避できる可能性は高くなってきたようだ。

 11月25日、中国海警局の76ミリ砲を搭載した艦船が、尖閣諸島周辺の日本の領海に侵入した。これは同有識者会議の議論の内容、そして岸田首相に手交された報告書が、以上指摘してきたように全く我が国の国防につながらず、むしろ我が国を経済社会の根底から弱体化させることにつながりうるものであることが明確になったことも、一つの背景としてあるのではないか。

 つまり、岸田政権が我が国の国防・安全保障について全くと言っていいほど危機感を持たず、平時の発想で国防ごっこのようなことを、しかも緊縮思考でそれを進めようとしていることを、中国は見抜き、これ幸いと逆手に取られてしまったのではないかということである。そうであれば、こんな危機感に欠ける報告書は無視するか参考程度にして、国債を財源に、既存のものの組み合わせや使い回しではなく、本腰を入れた、防衛装備の増、自衛官の増等による、真に意味のある我が国国防力、自主防衛力の強化を進めるべきではないか。

ダイヤモンド・オンライン

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抜粋終わり

まあ、そこそこ正論。

第一




てことすら、日本人の知識人・法律家が理解できてない。って馬鹿が法律家・知識人なのですから、当然に、防衛・軍事もうまく行くはずもない。

まあ「上官の命令責任」を言われると、天皇の戦争責任で、最悪斬首・よくても退位ですから、当然に天皇真理教の日本のセレブは、それをわからないようにさせる。

まあ

まあ、日本は、天皇カルトのために、古典もまともに教えない。

まともに孫子を教えたら、天皇家などとっくに処刑されているからな。

天皇を殺し尽くして 世界泰平

天皇を卒業し 供養し 浄土へ送る

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


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