因果応報は、凡夫には詳細はわからん。脱・通俗道徳に向けて・・・・
善因善果・悪因悪果も、「現時点で善い(または悪い)と受け取る状況には、その善い(または悪い)に至る根本的原因と複合的要因がある」とし、なぜ今の結果に至ったのかは、断片的に知ることは出来ても、完全に把握するのは不可能であることだと思います
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) September 6, 2023
善い事(または悪い事)をすれば善い結果(または悪い結果)が約束されるという考えは、通俗道徳的には受けるでしょうが、これはある種の運命論・宿命論であり、それは同時に困窮する者、苦悩する者に対して、自己責任論だと切り捨てる上で便利な理屈にもなりますね
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) September 6, 2023
自分が今、幸せだと思える状況でもそれは努力だとか、頑張りだとか、善行だけでそうなったのではなく、様々な複合的要因が上手い具合にそうなったのであって、いくら頑張ろうとも、努力しても、善行を積み重ねようとも、思い通りと結果にはならない
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) September 6, 2023
なぜなら一切皆苦(不如意)ですから
であれば、苦悩する人、困窮する者に対して「かわいそうだから助ける」から、さらに進むと「かわいそうであろうとなかろうと、自分だっていつ何時、同じ状況にならないとは限らない」と考え、「それなら、他者を助け合う世の中の方こそ、自分が安心して、楽しく生きてゆける」となりませんかね
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) September 6, 2023
そもそも
「因果応報の、その詳細は、わからん」のですから、
であれば、苦悩する人、困窮する者に対して「かわいそうだから助ける」から、さらに進むと「かわいそうであろうとなかろうと、自分だっていつ何時、同じ状況にならないとは限らない」と考え、「それなら、他者を助け合う世の中の方こそ、自分が安心して、楽しく生きてゆける」となりませんかね
が良いのですよね。
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