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【観劇レポ】これは愛の物語 ミュージカル「ジキル&ハイド」

4月の観劇ラッシュ終盤戦、ミュージカル「ジキル&ハイド」の観劇レポです。

1日でマチネとソワレの2回観劇。マチネは3階席最後列、ソワレは1階席センター最前列という文字通り端から端まで見尽くしました。最前列は生きてきて初めての経験で、もう感動でちょっと記憶が怪しいです。ちなみに最後列は最後列で、後ろを気にしなくていいので楽でした(僕は平均身長ですが、やっぱりミュージカルは女性客が多いので気を遣ってしまいますのでね)。

マチネは石丸幹二・最後の変身。

ソワレは柿澤勇人・実験開始。

最後の変身

ミュージカル俳優としてトップに君臨すると言っても過言ではない石丸幹二。いやほんまにこの圧倒的声量と安定した美声。生で拝見するのは初めてでしたが、最後列の僕の細胞一つひとつに染み込んでくる美声と言ったらもう、今生忘れることはないでしょう

一幕の見せ場でもある「時は来た」は、もはや石丸幹二の代表曲といっても良い。観劇した日が石丸ジキルの大阪千穐楽=大千穐楽、つまりホントのホントに最後の実験だったということもあって、歌唱後の拍手が鳴り止まなかった。たぶん普段よりも長く舞台が止まっていたと思う。これはほんまにええもん観た。

石丸さんのジキルは、ジキルとハイドを「善と悪」で演じ分けているというより、いい意味でニュートラルな印象。ジキルの中にもハイドがいるし、ハイドの中にもジキルがいる。善と悪とを分ける薬を使うけれども、完全に分離できていない感じが絶妙。ジキルの研究欲はある意味狂気的とも考えられるし、ハイドの欲望に忠実な様は、純粋ともとれる。この「ええ塩梅」は10年ジキルを演じてきた石丸さんならではでしょうね。

あと、舞台メイク、衣装、役作り等の色々な要素はあるとはいえ、若い。最後列からでも分かる。石丸さん、若い。若いといっても単純に若いというのでなく、ハリ?ツヤ?大人っぽいDandyな空気感がありながら若い、つまりエロい。

実験開始

今回からジキル/ハイド役を担うかっきーこと柿澤勇人。

いや!最前列でかっきー見てしもた!!かっっこよ!!数メートル先にいる!!かっっこよ!!どうしたらあの優しさと情熱と狂気とセクシーさとを共存させられるの?かっっこよ!!

という気持ちの悪い情緒は一旦置くとしてですね。

今回が初めての役とは思えないほどしっくりハマっているというか、ジキルもハイドも両方かっきーのものにしている感が伝わってきました。これは良い役をゲットされたのではないでしょうか。ジキルのどこかお育ちの良さを感じながら研究に執心するある種の狂気も、ハイドのまさに凶悪な振る舞いとそれゆえに見え隠れする人間らしさ、その両方見事だった。

ジキルとハイドの演じ分けの最たる名シーンは、白い照明とジキル、青い照明とハイドが次々に切り替わる終盤の「対決」にあるわけですが、演じ分けが素晴らしすぎて、多分観ている間の数分間、呼吸を忘れてた。二人分の演技を見ている気分。これだから生観劇はやめられない。

余談ですが、前回かっきーを観たのは「ブラッド・ブラザーズ」。この作品も最後撃たれて終わったな…。かっきーってちょっと陰のあるキャラクターが合いますよね。僕、陰がちらつくキャラクター、大好物なんですよね。つまりそういうこと。

愛の物語(ルーシー編)

娼婦のルーシー。後述する圧倒的慈愛を体現するエマと対局に描かれる、愛を知らない女性。

ルーシーは、ジキルからは「やさしさという愛」を、ハイドからは「愛欲」をぶつけられる存在であり、ジキル&ハイドの二面的な要素の両方を担う役割のキャラクター。先述の通り、エマとも対比的に描かれ、楽曲「その目に」はその象徴。

人を愛し愛される経験のないまま、体を売る商売で心を満たそうとするも、ジキルのやさしさに触れることで「愛」を知る。でも最後はハイドによって惨殺される。救われなさ度合はミュージカル作品トップクラスじゃないでしょうか。

ルーシーは笹本玲奈ちゃんと真彩希帆ちゃん。二人はもうミュージカル界ではお馴染みの方ですね。

玲奈ちゃんのルーシーはどこか退廃的で、娼婦を鎧にして生きているような感じ。「メリー・ポピンズ」とかも良かったですが、こういうちょっとアングラな強くて弱い女性の役が似合いますよね。声量が3割増しくらいに感じたのは気のせいかな、ホンマに良く通るお声だ。最後のシーンでジキルの手紙を持ったままだったのが印象的。
希帆ちゃんは「天使にラブソングを」以来ですが、イメージと異なるキャラクターなのですごく新鮮。ルーシーの純真な部分というか、少女性みたいなところが強く出ていました。ジキルの手紙を読むときのたどたどしい様子とか、ああ、この子は教育をちゃんと受けてこられなかったんだな、みたいな背景がにじみ出てました。

愛の物語(エマ編)

ジキルの婚約者・エマ。このジキル&ハイドの物語は、エマの懐と愛の深さは尋常じゃないことを踏まえないと成り立たない。
正直、エマみたいな天女のような深い愛を持つ人なんて、多分実在しない。たぶんマザー・テレサですらここまで深くない。ある意味常軌を逸しているんですよ。

結婚直前に婚約者が雲隠れして、挙句結婚式の場で殺人を起こした婚約者を、なんなら自分にすら牙をむく婚約者を、「あなたが私を傷つけるはずがない」と最後まで信じぬく。しかもその上、最後のセリフは死にゆくジキルに向かって「つらかったでしょう」ですよ。怒り狂ったり、慟哭してもおかしくない立場なのに、いったい人生何十周目なのでしょう。

ジキルのどこに、エマをここまで思わせる要素があるのかと思ってしまうほどの愛の深さですが、孤独な実験に身を投じるジキルの、唯一と言っても良いよりどころになることが、まるで自分の天命であると知っているかのように、一貫した姿勢。「あれは夢」ではかつての優しいジキルとの日々に思いを致しながらも、「その目に」で「すべて許すわ」と歌う。

エマは、もしかするとジキルの中の「ハイド」にずっと前から気付いていたのかもしれない。それでもなお、ジキルを愛し、信じ、許す、というのでしょうか。どう育ったらそうなれるんだ。

ルーシーにとっての愛が「やさしさ」であるなら、エマにとっての愛は「すべてを受け入れること」なのかな。

エマ演じる桜井さん、DreamAmiさんは両方初めてなのですが、まさにこのエマというキャラクターを体現された慈悲深いたたずまい。お二人ともポップシーンの出身なんですね。そこはかとない、この世から一歩引いた立ち位置にいるような、フェアリー感と存在感。

愛の物語(アターソン編)

ジキルの親友であるアターソン。ジキルを信じるという意味では、エマに匹敵するくらい愛の深い人物。最初と最後の語りをするのもアターソンなので、もしかするとこの物語はアターソン視点なのかもしれない。

明らかに様子のおかしいジキルに気付き、またハイドを目の前で見ていながら、なぜ最後までジキルを信じ切れるのか。それは作品では描かれない、いわゆる第0幕の部分から想像するしかないのですが、誰よりもジキルの努力、あるいは父との関係性を傍で観てきて、ジキルが研究をする意味や意義を一番に理解しているのかもしれません。

ラストシーンで、ジキルに対しては引き金を引けないけれど、ハイドに対しては躊躇なく引き金を引く(いや、躊躇はあるかもしれないんですが)。どこまでも「ジキル」という人を信じていたのかなと思います。
エマもルーシーも救われない中、アターソンもまた、最愛の友人をその手で撃ち抜くという悲しい結末。このフィナーレのあとに、エマはもちろん、アターソンがどのように生きていくのか、心配でなりません。誰か救ってやってくれよ。

アターソンもWキャストだったのですが、僕が観た2公演はともに石井一孝さん。学生時代の悪友のような雰囲気もありつつ、とにかく真っすぐな心が伝わる感じでした。そういえば「天使にラブソングを」でも最後に引き金引いてらしたな…こちらは悲劇的な引き金ですが。

余談ですが、前回の公演ではアターソンを、我がマイフェアプリンス万里生氏がやってたんですってね。2018年の僕、なぜ観なかった。マイフェアプリンスが演じたら愛に溢れるアターソンになるにきまっているじゃないか。きっと僕は耐えられへんな。

総括

最後列と最前列という両極端で観ることができた作品。しかも順番も最後列で観た後に最前列だったのがよかった。1回全体を観た上で、最前列で浴びれるんだものね。
最前列の感想を「かっきーやべえ」しか書いてない気がしますが、女性陣の肌がきれいやなあとまで思うくらい近かったし、アンサンブルさんが迫ってくる勢いとか、他のキャストの演技を目の前で観れたのは(首痛かったけど)本当に、ミュージカルファンとしてこれ以上ない経験でした。

このミュージカルの楽曲はワイルドホーン作曲ということで、非常にドラマチックでエモーショナル。感情がズシンズシン迫ってくるような楽曲。1曲として「休憩」がない。1日に2公演も観ようもんなら心が持たねえ(いい意味で)。

僕が大好きアンサンブルも非常に映えていて、1幕序盤の「噓の仮面」、2幕序盤の「事件、事件~レクイエム」なんかは最たるもの。グランドミュージカルで観たいのはこれですよ!これ!いやあ、間近で見る「嘘の仮面」は迫力が段違いだった…真正面で真記子さんやら麻田さんが歌ってらしたもん。

作品自体の二面性、あるいは善悪というテーマは中々重いですが、善も悪もあってこそ人間なのかなと感じた作品。僕は割と性悪説で生きている人間ですが、それでもやっぱり、人の善の部分に期待して生きてしまうもの。

というか、そもそも何を善として、何を悪というのか、それ自体の定義が人や時代によって変わってしまうもの。ジキルの実験も、父との場面で始まり、主人公だからもっともらしく見えるけど、理事会メンバーが言うように外道的なものと感じるのも当然の感覚だと思う。ある意味この作品のテーマは永遠のテーマなのかも。

カーテンコールでは千穐楽を迎えるキャストが順に紹介されましたが、何より石丸さん。「バトンは渡したので、この作品を長く愛して」という趣旨のことを仰っていました。かっきーの実験は「成功」していますから、これからも色んなキャストさんがこの作品を演じて、そのたびに異なる色や味わいを生み出してほしいなと思います。

はあ、とにかく最前列センブロで観れるなんて、もうないかもしれない。善行積むからまたチケット用意してください。さて、僕の言う「善行」とは。

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