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火災報知器は、たいてい誤作動なんですかね

前日夜深くまでゲームをした関係で、寝坊をしてしまった。今日入っている大学の2限の授業は 10 時 30 分から始まるが、起きたときの時刻は 10 時 47 分。アラームをかけずに寝ていたわけではない。二度寝したのである。

寒くなってくるほどに、ベットから出ることができずに二度寝してしまうことが増えた。

いや、この言い方はちょっと適切ではないかもしれない。

僕は、いわゆるライフハックと言えるのかどうか、布団から出ないとアラームを止められないように、スマホをベットから少し遠くに置いている。一回起き上がればそのままの勢いで行動できることが多く、そうして以降、アラームさえかければ早起きができるようになっていた。

しかし、冬は例外だ。普通に考えても、外が寒ければわざわざそこにとどまらず、本能的に暖かい部屋に移動しようと する。同じことで、アラームを止めた後本能的に布団の中に戻っているから、二度寝した記憶があいまいな時すらある。というわけで、ベットから出ることができても二度寝はする。

今日の朝も 9 時半に一度アラームを止め、布団の中に戻り、10 時 47 分に再び起きた。遅刻か欠席が確定してしまったが、せっかく起きたのだから授業に顔を出そうと思い、準備を整え、11 時頃に家を出た。

家から 2 限の授業がある教室までは、歩いて 15 分ほどである。自転車も持っているが、 最近ではめったに使うことはない。というのは、イヤホンで音楽を聴きながら歩くのが好き だからだ。それに、ぼんやりとできる。自転車に乗っていると、周りをしっかり確認し、判断して運転しなければならないことが多く、ぼーっとはできない。いくら授業に遅刻しそうでも、実際にしていても、自転車には乗らなくなってしまった。遅刻してでも歩きたいのだ。 授業の成績評価としても、遅刻をしてもそこまで痛くはない。

いつも通りに歩いて教室へ向かった。寒くはあるがよく晴れていて、心地よかった。いつもと違うことがあるとすれば、普段は授業間の休み時間に移動するが、休み時間は大学内の通行人が多く、歩きづらい。対して今日は授業中であるから、少し驚くくらいには人がいなかった。そして、大学内の草木を整えたり、荷物を運搬したりするためのトラックが行き交ったため、新鮮な、ほんのちょっとした非日常の風景を見せてくれた。

目的の教室が入っている講義棟が見えてくると、ぞろぞろと、そこから人が出てくるのが 見えた。留学生の割合が多く、授業の一環でお散歩でもするのかな、と呑気に考えていた。 実際僕も、少しは焦りつつ、お散歩気分であった。少人数で交流を図る授業であれば、お散歩をしてもおかしくはない。知った顔はいなかったから、僕の出ようとしている授業ではないとわかった。

しかし、歩いて出てくる人の列はしばらく絶えない。彼らの様子も、これか らお散歩をするという和やかな雰囲気ではなく、どちらかというと神妙な顔つきであった。 僕も、軽い耳鳴りのような音がして、険しい顔をしていた。何かがおかしいということは察した。

列の合間を縫って建物に入ろうと、入り口に近寄って行ったところで、異常に気がついた。 それまで気がつかなかったのは、イヤホンをしていたからだった。

僕のしていたイヤホンにはノイズキャンセリング機能がついている。外部音を小さくする機能であり、その機能を使えば電車内でもはっきりと音楽が聞こえてくるため便利だ。車の通過する音も静かであり、 すべての車がプリウスになったようである。

最初、軽い耳鳴りのように聞こえたのが、ベルの音だと気づいた。イヤホンを外して、それが火災報知機の音だと認識する。納得した。お散歩に行くと思われた人々は、避難してきていたのだ。

僕は、火災報知器にはありがちな誤作動か、それとも本当に火の手が上がったのか気になり、それに、僕の出る授業がどうなるか、情報を集めたかったから、避難してきた人の一人 に話しかけた。

「すいません、これ、授業してたら鳴ったんですか?」

「そうっすね。一応避難してきたんです」

一応、という言葉からもわかるように、本当に火事が起きたというよりは、誤作動か、誰かがタバコを吸ったりでもしたのか、といったところだろうと思われた。

突然話しかけられたのにも関わらずにこやかに応対してくれた彼に感謝を告げて、とりあえず待つことにした。コミュニケーションは苦手ではあるが、全く見知らぬ人であれば話しかけることは嫌ではない。それに、見知らぬ人の親切さに触れることは好きである。

遅刻しているため、早く教室に行って出席をアピールしたかったが、やがてその授業の面々も外 に出てくるだろうと思い、講義棟前の広場で待った。
しかし、やがて列が途絶えても、知っている顔は誰一人出てきていない。火災に巻き込まれ、避難が遅れているのか、といった深刻なことはもちろん考えなかった。誤作動に賭けて 授業を続けているタフな人たちなのだろうなと思った。

とはいえ、遅刻した身としてはそれではなおさらまずかった。アラームが鳴る現場に一人飛び込まないと、出席点を救い上げる ことはできないということになるのだ。 焦りを徐々に募らせながら、それでも知っている顔がいないかきょろきょろしていると、 先ほどの彼がいそいそと近づいてきた。

「先週もここで鳴ったんですよね。でも誤作動だったんですよ。だからまあ今回もそうなん じゃないですかね」

「そうなんすね。やっぱり誤作動なんですかね」

やっぱり誤作動なんでしょうね。外からも、建物の中で座っている学生を見ることができた。 これまで火災報知機の音は何度か聞いたことがあったが、それは、訓練・誤作動・いたずら のいずれかにその原因を分類することができた。

余談であるが、火災報知器のボタンには、「強く押す」と書いてある。小学生のころ、誰もが一度押してみたくなったことだろう。僕もその一人であるが、押すことはしなかった。 だが、僕が小学生の時所属していたバスケットボールのクラブで、押したやつがいた。

練習が終わったころだと思う。突然ジリンジリンとあの高い、警戒心をあおる音が体育館に鳴り響き、多くの人は焦った。そこにいた大人たちは、やはりそれまでの経験から誤作動を察したようで、落ち着いて、しかし子どもたちを守るために、念のため外に避難するように促し た。焦ってはいたが、実際に火が見えたわけではないため、子どもたちも冷静に外に避難し た。

その時一番焦っていたのが、火災報知機の「強く押す」を実際に強く押してしまった少年だろう。これはいたずらだったのだ。彼も最初このような事態になるとは思っていなかったようで、慌てたが、強く押したことは隠していた。ところが、当然大事になり、警備会社か 消防もやってくるだろうと大人が話しているのを聞き、罪の意識で黙っていられなくなったのだと思う。その話を聞いてすぐに大人たちにこっそりと自白した。大人たちも驚いたが、 その場で叱るようなことはしていなかった。事態を収めることの方を優先したのだと思う。

後日、その少年はしっかりと叱られたと聞いた。ただ、大人たちだって押してみたかったはずで、あまり強く叱り切れなかったのかもしれない。最終的には、その少年がすごいとい うことで落ち着いた。何がすごいかと言えば、力がすごいのである。「強く押す」のボタンはガラスのような硬いものに守られていて、子どもではなかなか押せないようにされているらしい。それを強く押しきったその少年は、力の強い子だ、ということになった。好奇心 の強い子でもあるが、これを言ってしまえば、火災報知機を押すことを推奨しているようだったから、誰も言えなかったのだろう。

これが、いたずらという理由で僕がその音を聞いた 経験である。

何はともあれ、今日の報知器が誤作動であれば、うかうかとしていられない。外で待っていて授業が終わってしまえば、せっかく講義棟まで来たのに出席点をもらえないのだ。

話しかけた彼は両手をダウンのポケットに突っ込み、講義棟を落ち着いた目で見上げていた。じりじりと焦ってきた僕とは正反対である。

「出席しなきゃいけないんです。行けますかね」

僕は、講義棟の 2 階部分を見つめながら、火の手が上がった家屋に大事な人を取り残して きたかのようなセリフを吐いた。

「まあ今は行きにくいですよね」

やめろ、お前まで焼け死ぬ。とか、または、黙って行け。大事な単位なんだろ、今行かないと後悔するぞ。といったセリフを期待したわけではないが、彼のその、背中を押しも引きもしない言葉に、彼の見知らぬ人に対する優しさを感じた。

僕もポケットに手を入れながら講義棟ににらみを利かせていると、やがて報知器の音が 鳴りやんだ。

そして、職員と思われる人が走ってきて、建物の中に飛び込んでいった。

ここがチャンスだと直感した。

優しかった彼には「行きます」と言った。感謝の言葉を添えるの も忘れなかった。

群がる人をくぐりぬけ、建物に入った。職員と僕が連なって小走りに行く姿は、勇気ある戦士たちといったところだろうか。 そのまま階段を一段飛ばしで上がり、2 階にある教室に到着した。

案の定、と言うべきか、 あまりにも平常運転な授業が行われていた。40 人ほどが入れる、大学の講義室としては比較的小さな部屋は、何か特別なことが起こったことを全く感じさせなかった。僕も、少しだけ荒くなった息をひた隠し、平然と席に着いた。

その後にも、アラームのスヌーズのように数回短くベルが鳴ったが、そのたびに講師も、鳴ってますね、と、それは隣人の犬が吠え始めたときのように、ちょっと迷惑に感じながらも、穏やかな表情を浮かべていた。

さすがに、と僕は思った。先週にも誤作動があったとしても、火災報知機が鳴っているのだから、さすがに一時的にも避難などしないのだろうか。これでは、火災報知器が、今日の朝のアラームのように、なんの意味もなさないものに成り下がってしまう。「避難勧告」などが出されても、また大丈夫だろうと慢心し、避難しない人が多いということを思い出した。 慣れは非常に役立つものだが、人を危険にもさらす。

僕の後からも学生が入ってきた。その人はマスクをしていなかった。それを発見した講師は少し声を荒げ、マスクをするように命じた。

「建物内には、マスクをしなければ入れないことになっています」

マスクに対しては慣れを発揮しないのは、それがルール化されているからだろうか。火災報知機が鳴ったら逃げる、というのもルールにしなければならないのか。

終始、平常に授業は終わった。無事、出席点を得た。朝ご飯を食べていないためおなかが空いており、お昼に食べるものを考えながら教室を後にした。

階段の下では消防士が忙しく歩き回っていた。あまりにもいつもと変わらぬ授業を終えた後であったから、それに対して、 何かあったのかな、と一瞬考えてしまう。

講義棟から出ると、消防車が止まっていた。

キャンパスのちょっとした非日常を、今日は 二つも味わった。

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