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中年独身男のリアルなFIRE生活(FC:ドラゴンクエスト2を久しぶりにやってみた)

今回は約20年ぶりにFC版ドラゴンクエスト2をクリアしましたので、やってみた感想やリアルにやっていたころの思い出を情報発信したいと思います。

仲間が出来て戦いの幅が広がった

当時の背景
ドラゴンクエスト2 悪霊の神々は1987年1月26日にエニックスから発売された。私は当時小学校2年生の終わりころだったのだが、発売直後にクラスで話題になった印象はない。小学校3年生になったころ友達の家でプレイしたことを覚えている。当時はRPGをやったことが無く、アクション性のないドラクエは何が面白いのか最初はわからなかった。ただ、私はゲームがあまり得意ではなかったので、じっくり楽しめそうなドラクエにすぐ興味を持ち、親に頼んで買ってもらった。たぶん5月ころだったと思う。
それからは情報交換の毎日である。サマルトリアの王子との出会い方、風のマントの取り方、覚えた魔法の効果、福引所でもらえるアイテムの事等など
。いやー毎日楽しかった。今のゲームではこの感覚は味わえないかなと思う。
ただ、私は購入が遅かったこともあり、ほとんど教わる側だった。
そして夏休みの頃についにクリアした友達が現れた。クラスのヒーローである。彼のクリア時の復活の呪文はクラス中に飛び回り、みんな暗記した。暗記である。
復活の呪文??という方も多いと思うので説明しておくと、ファミコン初期のゲームはデータをカセット内にセーブしておく機能がなかったため、それに代わる機能として、それまでのゲームの情報を以下の画面のような文字を自分でメモして、入力してという事を行っていた。
復活の呪文は最大52文字と多いため、これをメモするときに間違えたり、メモした紙をなくしたりとトラブルもあった。今ならデジカメなどで撮ってしまえばよいのだが。
そして、復活の呪文の入力も大変なため、入力に1分くらいかかってしまう。これもドラクエ2おなじみのネタである。

最大52文字の復活の呪文

この52文字を暗記するのだから、当時の記憶力はすごい。
今ならせいぜい10文字が限界だろう(^^)
このように復活の呪文はこのように面倒であるが、メリットもある。
1つは他人に教えることが出来る事、今回のようにクラス中に拡散できたのは復活の呪文ならではである。もう1つは今でも復活の呪文を残していればプレイ可能であることである。
少し脱線したので話を元に戻すと、クラスのヒーローがクリアした時の復活の呪文はまあまあ強かったのだが、当時小3レベルの頭脳では、なかなかクリアできなかった。そうドラクエ2のラスト地点からラスボス撃破までの道のりはとてつもなく大変だったのである。

ブリザードの容赦のないザラキ
ラスボスは容赦なくベホマで全快

そのため、クラスでは結局クリア出来ないという不満が多く、当の本人も2度目のクリアは出来ないありさまだった。
そこで私は絶対に倒せる復活の呪文をつくることを企てた。
全員のレベルを最強にし、ふしぎなぼうし、はかいのつるぎ、といったレアアイテムを揃え、最強の復活の呪文は完成した。
レベル最強という事でクラス全体に広まり、私は家に招待されていろんな友達の家に行ってシドーを倒しまくった記憶がある。
シドーを倒すコツとして、ルカナンの魔法を使うといいなど自慢げに話していたことを思い出す。そしてクリアした後に流れるエンディング。この道わが旅は本当に思い出深い。いつ聞いても涙腺が潤んでしまう。
こんな感じで思い出いっぱいのゲームだが、アラフォーになって改めてプレイして、いろいろ思うところはあったので次回以降に紹介したいなと思います。
ドラクエ2はゲームバランスについて厳しい評価をする人も多いようですが個人的には思い出補正は大いにあるせよ。本当によくできた素晴らしいゲームだと思います。


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